2019年8月21日水曜日

月光にやすらぐ

月を見ていると落ち着く。時々、やたらと月を見ていたい気分の時がある。

なんだかロマンチストみたいな書きぶりだが、別に誰かに恋しているわけではないし、とくに感傷に浸っているわけでもない。

月の光を見ていると安らぐ。せわしない気分が小休止するような感覚になる。



若い頃の話だが、中秋の名月の頃に海の中から月を眺めたことがある。夜の海に潜った時のことだ。とくに見るべき生き物も見つからなかったから、夜光虫がキラキラ光る景色を眺めていた。

ふと水面を見上げると月が見えた。水面のさざなみで月の形もゆらゆらと動く。実に神秘的かつ幻想的だった。

夜の海は静かだ。自分がレギュレーター(呼吸装置)越しに空気を吸う音と、吐きだす泡の規則正しいリズムしか聞こえてこない。それをBGMにして揺れる月明かりに見とれた。

夜の潜水は大学生ぐらいまでしかやらなかったから、まだ20代前半の頃の記憶だ。その後は日が暮れるとすぐに酒を飲むことばかり考えるようになったから、ダイバーならではのオシャレで小粋な月の楽しみ方はそれ以来味わっていない。

さて、高い建物だらけの東京では、月が見える場所を意識して探さないとならない。だから月への関心も低くなるし、畏怖の念みたいな気持ちも薄くなっていく。

地球のすべての場所を古来から照らしてきたのが月の光だ。考えてみるとその事実だけで凄い。

高い建物もネオン街もなかった大昔は、どれほど存在感が大きかったのか想像を絶する。

電気が無い時代、もちろん街灯など無い。家の窓だってガラスではない、行燈の明かりが建物から漏れ出るぐらいだ。集落から離れれば、まさに真っ暗だ。

月の灯りがなければ闇の世界だから、月が隠れてしまう曇りの夜と晴天の夜とでは、まるで異質の世界だったはずだ。

満月ともなれば、月の存在感はとてつもなく大きかっただろう。平安貴族などの間では満月を直接見るのは不吉だとして、水面や杯に映した月を眺めたという話もある。

そんな話に限らず、満月に関連する逸話や伝説は世界中で聞かれる。狼男しかり、かぐや姫しかり。

伝説はさておき、満月の影響は人間にも及ぶのはよく知られている。人間は身体の大半が水分で出来ているから、海と同じで潮の干満のような影響を受けるという話だ。

実際に女性の月経周期は月の月齢周期と同じだし、満月の日に出産が多いとか、満月の日に凶悪事件が起きるという話もある。

カミュの「異邦人」で、殺人の動機を「太陽のせい」とする有名な場面があるが、実際には月のせいで様々な現象が起きているわけだ。

ちなみに、満月の夜は発情する人が多いという言い伝えもある。性欲は人間の根本的な生理現象だから、確かに満月の影響を受けても不思議ではない。

とはいえ、私自身、このウン十年、満月だからといって発情したことなどない。やはり都市伝説に過ぎないだろう。

いや、常に発情していたから気付かなかっただけかもしれない・・・。

ひょっとしたら、満月には発情するのが当然で、現代人は文明の発達のせいで、そうした自然の力を感じなくなっているだけかもしれない。

タイムマシンに乗れたら、江戸時代の月見の名所である九段坂に行ってみたいと考えていたのだが、やっぱり満月の夜の吉原に行ったほうが面白そうだ。

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