2019年8月9日金曜日

歴史散歩

このところ散歩にハマっている。暑さにもめげずに休日の朝や夕方にぶらぶら近隣散策に励んでいる。



中央区界隈はさすがに江戸時代からの歴史を感じさせる場所が多い。昔の時代に思いを馳せながら歩いていると束の間のタイムスリップ気分になる。

“歴史さんぽ”、“古地図で歩く”みたいな本もアレコレ買った。どれも同じことしか書いていないのだが、その場所の古いエピソードや由緒を知ると散歩も文化的趣味?みたいな気分で楽しめる。

新富町は花街、八丁堀は与力・同心の街、佃島の住人達が造成した築地をめぐるエピソードなどにフムフムうなずきながら、その時代を勝手に想像すると飽きない。

古い時代を想像することは、自分が生きている今現在そのものもしょせんは歴史の一瞬の通過点であることを実感する。

そう思うとちょっとした悩みや葛藤もちっぽけに感じて大らかな気持ちになれる。なるようにしかならないという達観した気分になれるのが歴史散歩の効能だと思う。

10年前にこのブログで、樹齢数百年の木を眺めに行く話を書いた。長い時の流れを実感して郷愁に浸るのは、どうやら私の趣味みたいだ。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/08/blog-post_21.html

それにしても、江戸時代の地図と今とを比べると、よくもまあこれほどまで埋め立てをしたものだと感心する。

ベイエリアだ、ウォーターフロントだといったエリアはもともと全部海だったわけで、最先端マシンなど無い時代にあれだけ地面を増やしたわけだから。先人の苦労は相当なものだっただろう。

添付したのはネットで見つけた古地図と今の比較画像が載っているサイト。記事の真ん中あたりに一目瞭然の画像が載っていて興味深い。

https://kawlu.com/journal/2017/01/24/5001/


さて、地名の由来ひとつとってもさまざまなウンチクがあって楽しい。築地は文字通り土地を築いたからその名がついたわけで、月島ももともとは築島と表記されていたそうだ。築地と区別する意味や、月見の名所だったこともあって現在の表記に変わったらしい。

橋が付く地名の多さも歴史を感じさせる。日本橋、京橋、新橋。みんな橋である。いかに川や堀だらけだったかを想像するだけで面白い。

昔は水運中心だったから東京湾に面した今の中央区あたりは川や堀が張り巡らされて物流を支えたわけで、古地図を見ると水の都と呼びたくなる。

考えてみれば銀座通り(中央通り)、電通通り(外堀通り)、昭和通り、新大橋通りといった幹線道路は、もともと川だったからスッキリと道路に出来たわけで、近代化は埋め立ての歴史そのものだと実感する。

江戸時代はしょっちゅう大規模火災が起きたからガレキが大量に出て、その後も震災や戦災のガレキが元になって現在の都市の姿になったわけだ。そう考えると散歩の時の足元ひとつからロマンを感じる。

私の家の近くも入船橋、新富橋など、川は無くても橋だらけである。かの三島由紀夫の小説にも新富町界隈のいくつもの橋をめぐる女の情念を描いた作品があるらしい。



私が散歩の際に風を浴びながら気分良く渡るのが佃大橋だ。築地側と佃、月島を結ぶ立派な橋である。

池波正太郎の江戸散歩本では、この橋が酷評?されていたのが印象的だった。「味も素っ気も無い鉄橋」が出来たことで、若き日の池波少年たちは失われた風情に大いに落胆したらしい。

なんだか脈略が無い話になってしまったが、こんな調子で散歩を続けていたら、そのうちどうでもいいウンチクばかり語りたがる偏屈な爺さんになりそうな気がする。

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