2009年8月21日金曜日

鬼子母神の大イチョウ

どんなときでも左ウチワでいたいのだが、ご多分に漏れず、わが社でも最近は景気のいい話を聞かない。というか、なかなか大変だ。

ガラにもなく、胃が痛くなることが昔より増えてきた。私自身の身体がだらしなくなったのか、はたまた、業績が深刻なのか、なんともスカッとしない日々だ。

シンドイモードが高まるとプチ職場放棄をすることがある。煮詰まったら外の風を吸うのが一番。たとえ社屋の裏階段の踊り場だろうとも、しばしたたずめばリフレッシュ効果はある。

裏階段の踊り場の一角には私専用の椅子が置いてある。安いアウトドア用の折りたたみ椅子だが、ある意味、私にとって憩いのファーストクラスシートだ。

“血圧上昇中”と感じる時には、よくそこでマッタリしている。ときには隣のコンビニで夕刊紙を購入して、エロ記事に没頭しながら葉巻をふかす。

プチ職場放棄ならぬプチ逃避行というパターンもある。近場への散歩だ。わが社のほど近くに雑司ヶ谷・鬼子母神がある。由緒ある神社で風情もある。

今の時期はセミの大合唱が異次元的な効果を発揮してくれる。セミしぐれに包まれてボケーっとしていると、心と頭がほぐれてくる。こういう時間ってわずかでも大事だ。

さて、鬼子母神の敷地内には東京で2番目に古い大イチョウの大木がデンと構えている。樹齢は何と600年以上だとか。とにかく立派だ。圧倒される。

600歳以上の老木なのにこの時期はしっかり緑で覆われる。冬になれば枯れ葉を落とす。そんな何百年も不変の営みに接すると素直に感動的だと思う。

この大木に私は随分と助けられている。仕事はもちろん、プライベートでもシンドクなると、ここに足を運ぶ。大木をボケッと見るだけなのだが、それだけで効果がある。

大木を見ていると必然的に600年という気の遠くなるような年月に思いをはせる。600年だ。昭和大正、明治時代はもちろん、江戸時代だって通過してきたわけだ。

泰然と生きてきた大木を思えば、自分の心労がイヤでも小さく感じる。「まあいいか」「なんとかなるかも」「どうでもいいか」・・・。前向きなのか、あきらめなのか、投げやりなのかは分からないが、ひとまず心が落着くことは確かだ。

ひとまず落ち着けるというだけで、私にとって大木の癒し効果は抜群だろう。有難い存在だ。

でも、悩みや困っていることがないと大木を見に来ることはない。まさに“苦しい時の大木頼み”だ。

なかなか機会がないのだが、いつか、元気ハツラツ、ストレスゼロの心境でこの大木と向き合ってみたい。きっと弱っている時以上にエネルギーをもらえる気がする。

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