2009年8月17日月曜日

オバマさんと被爆地

11月にアメリカのオバマ大統領が来日する。早くから焦点だった広島・長崎の被爆地訪問は残念ながら見送られることになりそうだ。

歴史的訪問への期待がかつてなく高まっていただけに見送りは率直に残念。以前から「核なき世界」を声高に提唱するオバマ大統領だけに被爆地訪問というトピックの実現が強く期待されていたわけだ。

「核なき世界」を理想論という批判もあるが、世界唯一の被爆国としては、理想の実現を切に願うしかない。そうじゃないと“日本も核武装しましょう”みたいな物騒な話が広がっていく。

今回の被爆地訪問見送りは、日程的な問題も大きかったようだが、謝罪外交的印象を避けたい米国側の政治的思惑が影響している。

初訪問が謝罪イメージで受け止められるわけにはいかないというメンツの問題だ。原爆投下については米側にも言い分はあり、政府関係者としては、友好ムードを演出する儀礼の場で歴史認識で紛糾することは避けたいというのが本音だ。

ここで少し気になるのが、「現場訪問イコール謝罪外交」という硬直したイメージについて。訪問はあくまで訪問であって、謝罪とセットで認識するのは物事を複雑にしてしまう。訪問自体を謝罪を意味するものとして定義してしまうと今後も被爆地訪問は難しくなる。

もちろん、人類史上もっとも凄惨な大量破壊兵器による無差別殺戮は歴史の事実であり、何よりもまず謝罪を求めるという声もあるだろう。

そうした意見も正論であり否定する気はない。ただ、それとは別に現場を見てもらうことの意義、現場を見せる義務の大事さについてもっと理解が深まってほしいと痛感する。

まず現場を見てもらう。このことの意義って、表層的な発言を引き出すことより優先されていい。実際に見た人は分かると思うが、広島、長崎にある資料館などの被爆関連施設が放つメッセージ性は強烈だ。

被爆後64年が経っても、悲惨な事実を語る声なき声は弱まることはない。あの手の施設を見るたびに日本人はもちろん、来日する外国人すべてに見てもらいたいと思う。

アメリカに限らず各国の指導者にはぜひ足を運んでもらいたい。また、そう働きかけることは外務省をはじめとする外交当局の重要業務だと思う。

東京訪問が基本の諸外国の指導者は地理的問題を広島・長崎への訪問断念の理由にする。だったら、東京にも被爆関連施設を設けたっていい。被爆地ではなくても、被爆国家の首都であり玄関だ。各種資料や写真を展示する施設を作ることは難しいことではないはずだ。

歴史認識や立場の違いを議論することも大事だが、何よりも凄惨な実態を淡々と知らしめることこそがこの国の使命だろう。

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