2020年6月1日月曜日

歴史モノ


最近、時代劇を観たり、時代小説を読む機会が増えた。きっと非日常に浸りたい気分がそうさせるのだろう。

歴史上の架空の話である。非日常の極みだ。何かと厄介な今の世の中から目を背けたくて、究極のアナログな世界の中に逃避しているわけだ。

自宅で暇なときはAmazonプライムで無料で観られる時代劇を楽しんでいるが、最近ハマったのが、「山本周五郎時代劇 武士の魂」という番組だ。



3年ほど前にBSで放送されていた一話完結式の時代ドラマである。あまり有名な俳優は出ていないし、全体の作りがちょっとシャビー?な感じもあるのだが、物語自体に力があるからグイグイ引きこまれた。

1話あたり45分程度だからラクチンだ。映画みたいに構える必要はない。出演者も毎回違うからいちいち新鮮だ。



お茶をすすりながら、私が大好きな越後製菓の「きなこ餅」を食べながら作品の世界に浸る。実に快適。今の私にとって一番安らげる時間である

Amazonプライムといえば、いま私がイライラして仕方がないのが映画「柘榴坂の仇討ち」がナゼか視聴できないことだ。

権利の関係なのか、「現在再生できません」という表示がずっと続いている。以前、映画館で観たのだが、最近になって原作本を読んで感動しまくったので改めて観たくて仕方がない。

ヤフオクでレンタル落ちの中古DVDも探してみたが見つからない。困った困った。



原作は浅田次郎の短編集に収録されている。「桜田門外の変」で主君を守れなかった護衛役の武士をめぐる維新後の切ない姿を描いている。

何とも言えない男の悲しさ、武士の矜恃みたいな世界が切なくて泣ける話だ。時代の移り変わりについて行けないという点では、現在の中高年だって身につまされる話である。

時代劇や時代小説が魅力的なのは、潔さやスジの通し方みたいな部分が爽快に思えるからだ。見終わった後、読み終わった後にジンワリしながらすっきりした気分になる。

先々週のことになるが、仕事で書いたコラムにも歴史モノの魅力をマクラに使ってみた。ついでだから、そのまま載せてみる。


▼私事で恐縮だが、家にいることが増えたせいで読書の時間が増えた。このところ時代小説ばかり読んでいる。山本周五郎、池波正太郎、藤沢周平等々、どの作品も独特の味わいがある
 ▼なぜ今になって時代小説ばかり読むのか不思議に思ったのだが、多くの作品に共通する人間の矜恃みたいな部分に惹かれていることに気づいた
 ▼「徳」、「信」、「義」といった今の時代では時に綺麗事と片付けられてしまうような往事の人々の生き様に潔さや清々しさを感じる。自分もそうありたい、世の中にもそうであってほしいという気持ちになる
 ▼コロナ渦という大変な状況の中で無理強いされそうになった検察庁法改正案。いったんは取り下げられたが、廃案ではなく継続審議だ。絶対的な数の力を持つ政権与党はこの秋にも成立を目指すという
 ▼検事総長を違法に任命する暴挙を正当化する滅茶苦茶な辻褄合わせが発端だ。「徳」は誰かさんの「得」、「信」は不審の「審」、義はまさに「偽」に置き換えられる
 ▼矜恃のカケラも感じられない。絶望的な悪政だ。時代小説に例えるなら悪代官による“勧悪懲善”である。あり得ない話だ。

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