いまどきのコロナは何度も感染するらしいからわりと家にいる時間が増えた。良いことである。一人暮らしなんて糸の切れた凧みたいなものだから時にはおとなしくしようという心掛けは大事だ。
家で食事をする機会も増えた。自炊といってもせいぜい肉を炒めたり御飯を炊いたりするぐらいで、あとはレトルトやらデリバリーを活用している。
時には得意?の牡蠣ぶりぶりパスタを自作することもあるが、これも火を通した牡蠣をレトルトのパスタソースに加えるだけだから自炊と呼べるほどのモノではない。
それにしてもウーバーイーツの存在が私の日常を支えてくれると言っても過言ではない。ウーバーがまだ普及していない地域の人が心底気の毒に思える。
割高と言ってしまえばそれまでだが、エンゲル係数を気にしないふしだらなシングルオジサマにとっては、玄関まで届けてくれる手軽さは捨てがたい。おまけに容器だって捨てれば済む。横着の極みみたいな話である。
朝っぱらから頼めるから何もしたくない気分の時はスタバやらベローチェ、マックあたりの朝飯っぽいものとコーヒーを頼んで安直に済ます。ここから先の画像はスマホ上のウーバーの履歴だ。
早ければ注文後15分もしないうちに届く。都心に暮らしている利点だろう。マンションの窓を開ければ往来のクルマがうるさいというデメリットはあるが、デリバリーの便利さは都心暮らしの大きなメリットだ。
コーヒーもしっかり暖かいうちに届くのが嬉しい。少し冷めていてもレンジで20秒ぐらいチンすれば熱々になるし実にラクチンだ。
甘いモノが食べたくなったらコンビニスイーツを頼む。ウーバーに参加しているローソンのスイーツが中心だ。
わが家の目の前にはセブンイレブンがあるのだが、コートを着てサンダルを履いて、鍵をかけてエレベーターを待って辿り着くのが億劫に思えてついついウーバーを頼る。まさにダメ人間である。
ウーバーではどんなジャンルの料理も探せるから昔の“出前”のイメージとは違う。まさに何でもアリである。メシより酒の気分の時は居酒屋みたいなお店や焼鳥屋さんから酒のツマミっぽい料理をアレコレ持ってきてもらう。
居酒屋的なラインナップを揃えて録画してあった「球辞苑」やら「月曜から夜ふかし」やら「雲霧仁左衛門」を観ながらノンビリダラダラと酔っぱらっていくのも楽しい。タバコだって吸い放題だ。
やはりダメ人間である。
昭和の頃、出前といえばお蕎麦屋さんか町中華、ピザに寿司といったイメージだった。そんな時代に育った私は様々なジャンルのモノが運ばれてくるだけでいまだに気分がアガる。
スペイン料理やらビストロの料理やら美味しいクロワッサンが食べたくなれば妙に高いけどロブションからもデリバリーしてもらえる。
掃除も一応ちょこちょこやっているが、面倒な部分は家政婦さんがやってくれるし、クリーニングだってスマホをちょこっとイジるだけで玄関先まで取りに来てくれて玄関先まで持ってきてくれる。
食べ物だけでなく、ちょっとした日用品や本など欲しいものはAmazonがヘタすればその日のうちに届けてくれる
20代の頃の一人暮らしを思い出すと別な世界、いや別な宇宙に暮らしているかのように世の中は変わった。便利さは人を堕落させるが、これから先も私はどこまでも堕落していくのだろう。
堕落という言葉は辞書によると次のような意味だという。
1 生活がくずれ、品行がいやしくなること。節操を失うこと。身をもちくずすこと。
2 物事がその本来あるべき正しい姿や価値を失うこと。
なんだかこれを読むと私の生活は堕落というにほどではないみたいだ。節操はないかも知れないが別に品行がいやしいってほどではない。とりあえず身を持ち崩しているわけでもない。
2の「物事の正しい姿を失うこと」のほうが的確かも知れない。そうはいっても人生何が正しい姿なのかよく分からないし、あんまり気にしても仕方ない話ではある。
堕落は素敵。とりあえず今日の結論はそれにします。
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