2022年5月20日金曜日

串カツ ソースの悦楽


私はソースマンだ。目玉焼きにウインナー、ハム、あじフライにカキフライもソースで食べる。それが至極当然だと信じて疑わない。

 

過去にも声高らかにソースマンとしての主張を書いている。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/11/blog-post_11.html

 

目玉焼きやあじフライなどはソース派と醤油派で論争になりがちだが、私は議論に加わる気もない。問答無用でソース一択だから醤油派に反論する時間すら無駄だと感じる。

 

と、エラそうに語ったがとくにソースに詳しいわけではない。その証拠にいわゆる二度づけ禁止をウリにする関西発祥の串カツのソースが専用ソースだったことを最近知ったほどだ。

 


 

串カツは西の食べ物だから若い頃に食べる機会はあまりなかった。今みたいに専門店がゴロゴロある時代ではなかったせいもあるが、お好み焼きのお好みソースみたいに専用のものを使っているとは気付かなかった。

 

普通のウスターソースでもなければ中濃ソースでもない。そんなことは誰でも分かるはずだが、単なるソース好きである私はビシャビシャと串をソースに浸せることが幸せでソースの違いを考えたことがなかった。

 

串カツ専門店ではそれぞれオリジナルのソースを作っているらしい。ウスターソースをベースに醤油や酢、砂糖やみりんなどを混ぜ合わせることで独特のソースになるみたいだ。

 

いままでそんな基礎知識を知らなかったことが恥ずかしいが、昭和の東京人なんてそんなものだ。若い時代に今ほど「食分野における西からの侵略」を受けていない環境で育ったせいである。

 

薄い衣にあのサラっとしたソースを合わせる関西の串カツが東京でも手軽に食べられるようになったのは15年ぐらい前からではなかろうか。

 

東京で串カツを食べるとしたらトンカツ的なしっかりした衣にドロっとしたソースを合わせるパターンが主流だった気がする。

 


 

もちろん、今もそっち系の串カツも大好きだしよく食べる。モツ焼屋あたりでサイドメニュー的に用意されている串カツはそっちだ。これはこれでウマい。ハムカツと共にホッピーなんかに合わせるとウットリする。

 

私はソースマンだからどちらも好きだ。どっちも美味しい。つくづくソースという一種日本独特の調味料の有難さを痛感する。醤油ばかりが日本の誇りみたいに扱われているが、日本のソースは世界的にみても希有な存在である。

 

「串だおれ」という人気の串カツチェーンがある。チマタのグルメ論評などとは無縁の大衆酒場だが、新橋の店舗にここ最近何度も訪ねている。ちょっとクセになっている。

 

タバコが吸える飲み屋を探して適当に入ったのがきっかけだが、串カツの楽しさにハマってお気に入りになってしまった。テーブルごとにソースは使い放題だから二度づけどころか五度づけ、十度づけだって出来るのが嬉しい



 

ソースでビシャビシャにした串カツを片手にレモンサワーやホッピーをグビグビ飲んでタバコが吸えるわけだから天国である。

 

モツ焼屋さんもそうだが串カツ屋さんも普通に美味しければ充分である。アッチの店がどうだコッチの店がどうこう等々語るジャンルではないだろう。

 


 

ミソだれのメニューもあるからソース攻撃の合間に変化を楽しめる。串カツメニューも豊富で怖いもの見たさのようにいろいろ頼むのが楽しい。値段を気にせず大人食いに徹することが出来る。

 

それにしても何でもかんでもソースで食べちゃう発想がこの手の串カツ屋の素晴らしさだ。紅ショウガ、カマンベールチーズ、うずらの卵などは串カツじゃなければソースとは無縁の食材だ。

 

エビやキス、ホタテなんかもきっと生きている時には自分がソースにまみれて食われてしまうとは想像出来なかったはずだ。先日は岩下の新生姜を肉巻きにした串が妙に美味しくてちょっと感動した。

 

そう考えると冒頭で書いたような目玉焼き、あじフライなどの「醤油派・ソース派論争」の不毛ぶりを痛感する。ソース圧勝だ。

 

「油を使ってるなら全部ソースでいい」。個人的な結論です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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