2022年5月16日月曜日

女子と行くメシ



 私は花の?独身男だから女子と食事に行くこともある。別に独身じゃなくても行くだろうが、花の独身男(クドい)である私はどこにも誰にも何の気兼ねもなく大手を振って行ける。

 

そんなことを声高に叫んでいるからきっと独身のままなのだろう・・・。

 

女子を連れて食事に行く場合、店選びはちょっと厄介である。相手との関係性にもよるが、向こうはこちらを「こなれたオジサマ」だと思っているからデニーズに連れて行くわけにはいかない。

 

私の主戦場は当然ながらオヤジメシである。店の名前がローマ字表記ではない店だけである。漢字か平仮名、もしくは漢字と平仮名が混ざった表記の店になる。平たく言えば和食系全般になる。

 

お寿司屋さんはちょっと厄介だ。板前さんが目の前でこちらの様子に注意を向けている。会話は丸聞こえである。おまけに馴染みの店でスカした顔で女子を口説こうものなら、後日ひとりで訪ねた際に小っ恥ずかしいったらありゃしない。

 

私は父親と母親がイタリア人だから女子と食事をする際は相手を口説かないといけないと思っている。これは親の遺言でもある。だから数十年それを実践してきた。したがってお寿司屋さんに連れて行けるのは既に口説く必要がなくなった女子だけである。

 

お寿司以外の和食、それもカウンターで板さんにガン見されないで済む店といえば、まずはカッチリした料理屋さんが思い浮かぶ。女子連れの場合、個室を取っておけば無難な選択になる。

 

掘りごたつの席で偶然のフリして相手の足先に自分の足先で触れるなどというイタリア人ならではの行動もお茶の子さいさいである。

 

そういえば「お茶の子さいさい」って言葉を使うのはいつ以来だろう。すっかり聞かなくなった。もう死語になっているのだろうか。まあいいか。

 

普通の料理屋さんも悪くないが、嫌いな野菜を食べなくて済むという点では鰻屋さんが最適かも知れない。すっかり高値が定着して非日常食みたいになってしまった意味でもご馳走イメージがあるし、オジサマ特有のウンチクを語るにもちょうどいい。

 


 

私の祖父と祖母はポルトガル人だから、戦国時代にポルトガル人が日本人に鉄砲を伝えたように私も若い世代にウナギのなんたるかを伝えないとならない。伝道師としての役割を担っているわけだ。

 

鰻屋さんにはひとりでもふらっと出かけるが、ひとりだと困るのがう巻きを注文できないことである。白焼きも食べたい、鰻重は外せないとなるとボリューム的にう巻きは厳しい。

 


 

だいたいオジサマ世代はタマゴを摂り過ぎてはいけないから、う巻きは一切れぐらいで我慢する必要がある。女子に4分の3ぐらい食べてもらえば私の健康も守られるわけだ。

 

うざくのウンチクを語り、肝の苦さに大人の厳しさを教え、関東風と関西風の蒲焼きの違いを説き、気付けば物知りなオジサマに女子はメロメロである。

 

と、実際にはそんな状態になっていなくても勝手にそう思い込んで勝手にハッピーな時間を過ごす。私自身ウナギが大好きだから正直に言えば相手が誰であろうとハッピーなのは確かである。

 


 

和食以外で考えるなら中華料理が無難だろう。カジュアルな店ではなくちょっとした高級店なら女子としても未体験のメニューをあれこれ味わえる。私のイタリア人やポルトガル人としての要素を満たすにもちょうどいい。

 

エビはチリソースだと思い込んでいる女子に淡い味の塩炒めを勧め、こちらもよく分かっていない料理を「こんなの食べたことないでしょう?」と知ったかぶりをして、温めた紹興酒とフカヒレの姿煮を口の中でマリアージュさせる醍醐味を伝える。

 

和食や中華の安心な点は、フレンチやイタリアンで聞いたことのない名前の謎の料理について女子から質問されてオドオドする心配がないことに尽きる。自己防衛である。

 

和食系の店で筆で書かれたお品書き一覧の難しい漢字を読みこなすのもオジサマ族の得意ワザである。玉蜀黍、軍鶏、鱶鰭、栄螺、等々サラッと読むことで物知りなオジサマに女子はメロメロである。

 

と、実際はまるでそうじゃなくても勝手にそう思い込んで勝手にハッピーな気持ちになれる。まさに自己承認欲求が歪んだ感じで満たされるわけだ。

 

と、ここまで書いてきて自分の脳天気ぶりにちょっと呆れる。

 

キリがないからこのあたりでヤメにします。






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