日々、何かと悩み苦しみながら生きている中高年男にとって目指すべきは「高田純次」だと思う。もはや高田師匠と呼ぶべき崇高な存在だ。
「適当男」と呼ばれる高田師匠だが、もちろんこの場合の適当は的確といった意味合いではない。いい加減という意味。いわばテキトーとカタカナ表記する感じだ。
今年で75歳になったそうだ。後期高齢者なのにあの元気さには恐れ入る。その昔の大人気番組「元気がテレビ」で一気に世に出てきた頃から40年ぐらい経つわけだ。
あの番組では大御所女優の宝物である指輪を口に入れたり、オリンピックの金メダルを食べちゃったり若き日の師匠の活躍ぶりは凄かった。YouTubeで探せば今もそんな勇姿が手軽に見られるのが嬉しい。
当時から高田純次は高田純次のままである。いまも朝の番組「じゅん散歩」では街の一般人相手にテキトーな発言を爆発させている。キャラ変など彼には存在しない。実に立派だ。
タレント本を手にすることは無い私だが、高田師匠の本は別である。昔からつい買ってしまう。読んでもすぐに捨てていたから何度買い直したか分からない。この歳になって読むとバイブルのようで捨てられなくなる。
師匠の発言は投げやりなように見えて実は深い洞察のもとに成立している。たぶん違うと思うが私はそう解釈するようにしている。
このブログを書き始めて15年、これまでにも数々の著名人になりたいと書いてきた。イタリアのハレンチオヤジの代表であるベルルスコーニ、いつも上手に勝ち馬に乗っていたかつての小池百合子、フィリピンの無頼派大統領・ドゥテルテ、他にも気の良い酒場オヤジである吉田類になりたいなど「なりたいシリーズ」をあれこれ書いたが、突き詰めれば「高田純次になりたい」のが私の一大目標かも知れない。
何より気が明るい。これは年寄りにとって大事だ。クヨクヨすることはなさそうだし、細かいことに囚われていない感じが良い。話をすぐにオチャラケ路線に持っていくのも他人を楽しませようという気配りに違いない。
彼の本からいくつか引用したい。まずは75歳になった立場で自分の方向性について尋ねられた高田師匠の答えである。画像で読んでください。
この発想が既に偉人レベルだろう。普通はそれっぽい答えを考えしまいそうだが「オッパイを吸わずに吹いてみようと思う」と切り返す天才ぶり。誰にもマネできない次元で脳ミソが動いているのだろう。
次の発言もまた凄い。「由美かおる」についての考察である。凡人にはこういう発想は無い。
結構な年齢になるとすべてのことにおいて達観が強まり無駄に思い悩むことがバカバカしいと分かってくる。それでも私を含めた大半の人はついついどうでもいいことで悩みがちだ。
悩みが無いことは素晴らしいことだが、悩みが無いこと自体を嘆いている人に対して高田師匠は次の画像のようなアドバイスをしている。もはや「世の中の人生相談はすべて高田純次に頼め」といいたくなる。
さてさて、以前に出版された本ではことわざを高田純次流にアレンジしている。傑作揃いである。オフザケにも程があると眉をしかめる人もいるだろうが、単なるオフザケとは言えない深い真理が隠されているようで個人的には座右の銘にしたいぐらいである。
いくつか紹介してみる。
いかがだろう。見方によっては実に深い言葉の数々である。敵に塩を送るような必死の戦いに明け暮れるより「適当に日々を送る」ほうが平和で穏やかな日常が過ごせる。
清水の舞台から飛び降りるような冒険をせずに、そこに佇んで鳥を眺めている方が無難かつ安全だ。“親しき仲にも~”も実に重要な示唆に富んでいる。すべての男が肝に銘じるべき金言だと思う。
先日、週刊誌を読んでいたら老化防止や認知機能を低下させないためにエロいことを考えたり実践することは非常に重要だという専門家の話を読んだ。実際に励まないにしてもエロ動画を見たり妄想したりするだけでも効果があるらしい。
歳をとったことで「ソッチのほうはもう卒業だよ」などと気取っている中高年は多いが大間違いである。いつまでも健康で活力を保って生きていくためにはエロの封印は逆効果になるわけだ。
高田師匠はそんなことは百も承知のようで、ことわざアレンジでも珠玉の名言を残している。
まさにその通りだろう。老いて子に従っていても何も生まない。自らの健康維持のため、はたまたそれに付随する数々の経済効果も考えれば、老いた人のそういう行為は世のため人のためになるはずだ。
せいぜい私も頑張ろうと思う。
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