2022年10月19日水曜日

厄介な日本語表現

                   



前回このブログの誤字脱字を友人がしっかり指摘してくれて助かっている話を書いた。その友人からさっそく連絡が来た。今回は誤字脱字ではなく「たり」の用法についてである。

 

前回、「たり」という言葉は連続で使わないといけない例文として「目隠ししたり拘束プレイに励んだりしていた」と書いたのだが、彼はそれについて疑問を感じたらしい。

 

「目隠しと拘束プレイならば励んでいたのは拘束プレイだけではないか?」。校正というか校閲のように踏み込んだ指摘である。彼いわく「目隠しや拘束プレイに励んでいた」で充分であるという。

 

確かにその通りである。“目隠しイコール拘束プレイ”という認識ならその通りである。

 

が、しかし、エロの道はそんなに生半可なものではない。拘束を伴わない目隠しという状況もある。だから「たり」の連続でも構わないと私は考えたわけだ。

 

エロはもっと奥が深いんだぞなどと実にバカみたいな言い訳を彼に対して返信した私である。でも、こんなスットコドッコイみたいなやり方も正しい文章表現を追い求めるには必要だ。実際に私も日頃は職場の校閲担当者との間で記事の背景などを説明して議論することがある。

 

このブログの文章は仕事ではないので結構テキトーに書き殴ってしまう。さきほどの「たり」の使い方の間違いや仕事では使わない用語も普通に使ってしまう。

 

新聞用語にはかなり細かい取り決めがある。中には別にどうでもいいようなルールもあるが、一応決まりだから守っている。

 

差別的意味合いを抑止する意味で使わない用語も多い。ジェンダーが時代のトレンド?だからその関連も多い。婦人警官、女中さん、産婆さんなどは女性警官、お手伝いさん、助産師さんと表記することになる。話し言葉で婦警さんのことを「メスポリ」などと称する人がいるが、それこそ逮捕されそうなほどヒドい言葉である。

 

正直、女性関連の用語には過剰反応みたいな印象もある。一部には「女子高生」を「高校女子生徒」と表現する動きもあるとか。女傑、女流、才女あたりも使われなくなってきたし、ヘタしたらエリザベス女王もいずれエリザベス国王に変えなきゃいけない時代が来るのかもしれない。

 

父兄会は父母会、老婆も老女になる。昭和の人間としては会話で普通に使う言葉が使えないわけだから何ともビミョーである。

 

この「何ともビミョー」の「何」に関しても新聞用語では「なんともビミョー」に修正される。「なに」と読む場合は漢字表記で「なん」と読む場合はひらくことになる。平仮名に直すことを「ひらく」と表現するのも物書き商売の特徴かも知れない。

 

「特徴かも知れない」も新聞表記だと「特徴かもしれない」にひらくのが正しい。わが社の校正マンもこういう面倒なチェックを頑張ってくれているので、書き手としても原稿執筆段階で気をつける必要があるわけだ。

 

話を戻す。昭和の頃には普通に使っていた外人という言葉も今では差別用語扱いで外国人と表記する。私には詳しい理由は分からないが、たいていはそれを使われると不快に感じる人がいる場合に差別用語として扱われる。

 

だからデブやハゲやブスという表現は基本的に活字メディアは特別な理由や意図があるとき以外は使わない。坊主、サラ金、土方も僧侶、消費者金融、土木作業員として表記する。

 

そういえば私が子供だった昭和40年、50年代あたりは差別用語という概念が希薄だったことを思い出す。「ちび黒サンボ」という絵本が大人気で誰もが読んでいた。その後いろいろと問題になって絶版になったが、タイトルからしても今だったら当然アウトである。

 

♪真っ黒けの土人がヤッホ~ヤッホ~ 槍持って鍋持って追いかけてくる そら逃げろ~ やれ逃げろ~ とっ捕まったらフライパンで揚げられる♪。こんな歌も普通に子供達が歌っていた。記憶が定かではないが、テレビで普通に流れていたか、ヘタしたら音楽の授業で習ったのか(さすがにそれはないか)、いま考えたら実にヒドい歌詞である。

 

差別という感覚が薄かったということ自体が日本の後進国ぶりを示していたのだろう。まだ国として成熟していなかった頃の話だ。

 

この「後進国」という言葉もいまでは差別用語だ。「発展途上国」や「開発途上国」と直さないといけない。他にも町医者、共稼ぎ、孤児院なども使わない。開業医、共働き、児童養護施設と表記するのが基本になる。

 

そうはいっても、いまや1億総メディア化の時代である。既存のメディアが自主規制を含めて様々な用語に神経を使ってもSNSなどでは無秩序に言葉が飛び交っているから、ここで紹介してきたような規制された用語が無くなるとも思えない。ますますホンネとタテマエ的な乖離がいろんな分野で拡がっていくのだと思う。

 

さてさて、日本語の間違いとして私が校正マンから指摘された事例を紹介してまとめにしよう。

 

「マトを得た発言」→「マトを射た発言」。

 

「過半数を超える勢力」→「過半数を占める勢力」。

 

いずれも職場に常備している新聞用語集にも出てくる初歩的な間違いである。他にも若い頃に「雪辱を晴らす」と書いて叱られた記憶もある。晴らすのは「屈辱」であって雪辱は「はたす」ものである。

 

学生時代、国語が得意だったつもりなのに割と頻繁にダメ出しを食らっている。やはり今更ながら漢検の勉強でもしないと劣化するばかりである。

 

 

 

0 件のコメント: