仕事柄、いわゆる誤字脱字が大いに気になる。最近はテレビのテロップに間違いをよく見かける。雑誌を読んでいても何となく昔より誤字脱字が目に付くようになった気がする。
職人カタギの校正校閲マンが減っているのだろうか。一つ間違いを見つけると途端にその記事の信憑性を疑いたくなる。もっと言えばその媒体自体を低レベルだと思ってしまうから、文字商売にとって誤字誤植は厄介なテーマだ。
このブログも富豪記者などと名乗っている以上、誤字脱字は恥ずかしいのだが、一人で誰のチェックも受けずに書いているからしょっちゅう間違いを起こす。
有難いことにこのブログには“隠れ校正マン”がいる。私の友人がしょっちゅうミスを指摘してくれる。たいてい更新日の朝のうちに誤字や脱字をメールで知らせてくれる。その友人は理系の男なのだが文系バリバリの私より校正能力は上かもしれない。
友人が指摘してくれるミスの他にも私自身が後で気付いてこっそり修正することも多い。紙媒体と違ってネット上の文章はシレっと直せるから便利である。
記者稼業を長年続けてきたから、紙媒体における誤字誤植の恥ずかしさは身に染みて分かっているつもりだ。なんてったって紙だからずっと残ってしまう。どんなに素晴らしい内容の記事でも一カ所誤字があるだけで零点以下の失敗作になる。
若い頃、結構大きな見出しで誤字を見逃した。「遺産」が「遣産」になっていたのを校正担当者も見落とし、最終段階のゲラをチェックした私も見逃してしまった。「遺(イ)」と「遣(ケン)」である。小さい活字のままで流し読みすると簡単に見逃しがちだ。
ミスのほぼ100%は校正段階で見つかるのだが、誤字脱字を見つけた時の喜びって結構クセになる。宝探しに成功したみたいな不思議な気持ちになる。
手書き原稿ではなくなった今では変換ミスが主流だ。「自己資金」が「事故資金」になっているようなパターンだ。普通に読めちゃうから見落としそうになる。
公務員の非行をチェックする役所のポストである「首席監察官」が「酒席観察」になっていたり、それこそ「非行防止」が「飛行防止」になっていて慌てて直したこともある。
「前妻」と書いたつもりが「前菜」だったりすると「前菜はいりません」という話が「前妻はいりません」というシュールな話になる。
「納める、収める、治める」「硬い、固い、堅い」「暖かい、温かい」などの使い分けも時々ミスを起こしそうになる。それぞれ意味が違うわけだから慎重に使わないと間違える。
何かのテレビ番組で「○△の人気が加熱!」というテロップが出てきて驚いたことがある。もちろん「過熱」が正しい。加熱だと○△さんが殺菌されているみたいである。
「ね」と「ぬ」も小さい活字のままでボケっと読み返していると見逃しそうになる。「死ぬ」と「死ね」では随分ニュアンスが変わる。「動物園のゾウ死ぬ」が「動物園のゾウ死ね」だと何だか怖い。「あそこに立っているのが長男です」を「あそこが立っているのが長男です」と間違えるぐらい怪しい感じになってしまう。
誤字や脱字ではなくても句読点の位置が適切じゃないと怪しい文章になりかねない。「うん、この香り最高!」の句読点を抜くと何とも気持ち悪い会話になってしまうわけだ。
「関脇同士、がちんこ勝負」。句読点がずれたら「関脇同士が、ちんこ勝負」になってしまう。最近の若者は文章を書く際に句読点を付けないのが主流みたいだが「関脇同士がちんこ勝負」だと“ちんこ勝負”ばかりが目に飛び込んでくる。やはり句読点は大事だ。
誤字脱字以外にも文章表現の決まりは無数にある。このブログでもしょっちゅう間違って使ってしまうのが「たり」である。
「目隠ししたり拘束プレイに励んでいた」。これは間違い。「目隠ししたり拘束プレイに励んだりしていた」が正しい。「たり」は反復するのが原則なのについテキトーに使ってしまいがちだ。
仕事で記事を書く際にはゲラ段階で間違いを指摘してもらえるから助かっている。すべて頭に入っている校正マンの能力には頭が下がる。
キリがなくなってきた。まとめに入ろう。
世の東西を問わずコミックバンドといえばおちゃらけているように見えて実は演奏レベルは一級品だ。このブログもおちゃらけ話が中心だからコミックバンドを見習ってキチンと正しい文章で書き続けたいものだ。
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