2023年6月12日月曜日

消費税の思い出

 

私が社会人になった頃、世の中は消費税騒動でガタガタしていた。もう35年も前の話だ。それまで売上税、一般消費税と立て続けに導入に失敗した自民党政権が満を持して用意したのが今に続く消費税だ。

 

反対運動は全国に広がりメディアも朝から晩まで消費税問題一色だった。「とにかく反対」を主張する土井たか子率いる社会党が勢力を伸ばし、マドンナ議員と称されたオバサン議員が大量に生まれたのもあの頃のことだ。

 

導入ありき、で制度設計された当初の消費税はそれはそれはヒドいものだった。お目こぼしのオンパレードで何とか企業や事業者からの反発を抑えようとユルユルの仕組みが講じられていた。

 

売上3千万円までは免税事業者になっただけでなく、売上5億円までの企業に対しては簡易課税制度という名の“預かった消費税は納めないでフトコロに入れちゃってOK”という措置が用意された。

 

消費者のオバサンたちは大反対したものの、企業経営者や事業者からは「お目こぼしもいろいろあるし、3%程度の税率なら仕方がない」という空気も広まった。

 



当時、駆け出し記者として霞が関をウロウロしていた私が印象的だったのは大蔵省幹部の「導入さえすれば後々どうにでも出来る」という言葉だ。

 

あれから35年が経った。税率は3%から5%、8%を経て現在の10%になった。当初の「お目こぼし制度」も気づけば壊滅状態。

 

もっとも、預り金である消費税で儲けちゃう“益税”という現象が放置されるのはマズいから正常に修正されて当然ではある。でも当初のあのハチャメチャぶりを思い返すと理屈も正義もあったもんじゃなかった当初の“アメ乱発”は“お上のズルさ”を表すいやらしいやり方だったと感じる。

 

その後、消費税はグングン成長?していく。当初は全税収に占める割合はヒトケタ程度だったが、35年後の今は全税収の3分の1が消費税になった。幼稚園児だったショウヘイ君が今の大スター・大谷翔平に進化したような激変ぶりである。

 

その昔、税収を支えるのは法人税や所得税というのが通り相場だったが今ではダントツで消費税が主役だ。「導入さえすれば何とでもなる」という当時の官僚の予言そのままである。

 

モノを買う現場でのコスト増ばかりが世間では話題になるが、事業者側の負担も厳しくなる一方だ。理屈では預り金である消費税を納めるだけという話になるが、実態は“第二法人税”みたいなもので納税に苦しむ企業や事業者は後を絶たない。

 

 

平たく言えば、「売上に乗せた消費税」から「経費にかかった消費税」を差し引いて納めるだけの仕組みだ。ただ、人件費などの経費にはそもそも消費税が課税されていない。つまり差し引ける「経費にかかった消費税」は限定的になるため、赤字企業だろうと消費税の納税は避けられないわけだ。

 

赤字の事業者であれば日々の資金繰りに苦労しているから消費税を含んだ収入もすぐに運転資金に消えてしまう。理屈では「消費税分は除けておくべき」と分かっていてもなかなかそうもいかないようで、実際に消費税の滞納は全税目の中でも突出して多くなっている。

 

35年前、マドンナ旋風を巻き起こして時の人になった土井たか子社会党委員長は、消費税に反対する理由として「ダメなものはダメ」という実にぶっ飛んだ発言をかまして話題になった。



 

当時、理念も理論もない実に乱暴かつテキトーな発言にも聞こえたが、現在の消費税をめぐる諸々を思うと、今になってあの時の土井発言に妙な説得力を感じる。

 

今日はなんだか小難しい話を書いてしまったが、言いたいことは一つ。ある意味で消費税が聖域視されている現状への不満だ。

 

税制改正論議で消費税減税が本格的に検討されたことはない。これって異常なことだ。法人税、所得税をはじめ他の税目は過去何度も増税と減税を繰り返してきた。消費税だけは議論イコール増税になっている。

 

そもそも「消費」に対して課税する制度である以上、消費動向に応じて柔軟に税率や減免措置が見直されて然るべきだが、そうした風潮はない。

 

政府の税制調査会では「すべての税に聖域を設けずに議論を」という意見が出ているが、例の防衛費大増強をはじめ何かと増税だけを念頭に置いているのが現実だ。聖域になっているのは「消費税は増税議論しかしない」という誤った慣習そのものだろう。

 

「議論イコール増税」という認識は大きな間違い。これだけは声を大にして主張したい。

 

 

 

 

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