野暮用が重なって更新出来なかったので過去ネタを載せます。「エロい言葉」に関する真面目な考察です!
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/07/blog-post_28.html
東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
野暮用が重なって更新出来なかったので過去ネタを載せます。「エロい言葉」に関する真面目な考察です!
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先日、六本木で食べたセクシーチャーハンがウマかったせいで改めて「炒め飯」の世界に引き寄せられている。自宅でも週末になるとテキトーなレシピで炒めメシを作りたくなる。
子供のころのソウルフードである我が実家特製?のひき肉チャーハンは失敗しようがないほど簡単なのでひき肉さえあればアッという間に完成する。
一応、最近はみじん切りタマネギや生のマッシュルームなどを投入して本格料理ぶっているが、タマネギはみじん切りで冷凍されている商品をドサっと入れるだけで、生マッシュルームもハサミでテキトーに切るだけだから実に簡単。
塩コショウだけでも成立するが、隠し味的にウスターソースや焼き肉のたれをちょろちょろ入れてみるのもオススメだ。
この画像は先日作ってみたカラスミ炒め飯だ。作ってみたという表現が大げさなほど安直な一品である。台湾で買ってきたカラスミペーストと白米を適量で混ぜて炒めただけである。
味見しながらやや薄かったので粉末カラスミも追加投入。見た目はマズそうだがそこそこの仕上がりになった。具材はカラスミだけだから贅沢といえば贅沢だが、台湾製のペーストはさほど高くなかったので問題なし。
もともとカラスミパスタを作ろうと思って購入したのだが、炒めメシにも応用できたから考えればもっと用途はあるのだろう。
でも、旅先でこんなものを土産に買って自炊用の材料にしちゃうあたりは私もいっぱしの“ベテランシングル”だと痛感した。
離婚して十数年。レトルトとデリバリーと外食だけに頼らず手軽な自炊ごっこを楽しんでいるわけだから人生はなかなか楽しい。
炊飯器を使うだけの各種炊き込みご飯や安直な味付けのパスタなどは今やそこらへんのの一人暮らしの若造よりも上手に作れるような気がする。
最近は、どの作り方でもデミグラスソースを隠し味的に追加投入するワザ?も覚えた。デミソースは小さいサイズの市販品が売っているからそれを使うか、場合によっては高級レトルトビーフシチューを少しだけ流用することもある。
普通の主婦のように細かく食費を考えないシングルオジサマならではのエンゲル係数破たんメシだという部分には目をつぶろうと思う。
私の自作メシの話ばかりでは退屈だから、最近の我がヘンテコディナーメニューを紹介したい。
キックボクシングジムのおかげでちょっぴり身体が締まってきた気がするので、このところ夜の炭水化物を控えめにするという私らしくない食生活を続けている。
とはいえ、サラダで終わりにしたり豆腐だけで我慢するようなストイックなことは御免だ。ちゃんとウマいものやジャンクフードも食べたい。
というわけでバーガーキングである。バーキンの肉は他のハンバーガーチェーンよりマトモらしい。猫の肉でもないし、一応ちゃんとした牛肉を使っているというフレコミだ。
「ハンバーガーのパン抜き」はこのブログでも何度か書いてきたが、今までは口をすぼめたりしながら中の肉だけを吸い出すような食べ方が基本だった。たまにパンも少しかじったりしてハンバーガー気分も一応堪能していた。
最近は最初から全部バラしてハンバーグ状態で食べる。左側の皿に除けたパンは結局捨てちゃう。罰当たりではある。バーガーソースやトマトやレタスとともに肉を味わえばパンがなくてもしっかりハンバーガーを楽しんだ気分になる。
バーガーキングのワッパーと称するシリーズは肉の分量が110グラムと良心的である。味の違うワッパーを3種類注文するのが基本パターンだ。アボカドワッパーやらマッシュルームワッパーやらナンチャラチーズワッパーといった感じで味の違う商品を3つだ。
パンを外して肉だけを皿に盛り、付属の具材をトッピングし直す。剥がしちゃったパンの裏についているソースはフォークではぎ取って肉に戻す。これで準備完了である。
いわば3種類のハンバーグを味わえるわけだ。合計で330グラムだから結構なボリュームである。普通に街のレストランでデカいハンバーグを頼むよりも楽しい。3種類の味が楽しめるだけでなく、アボカドやチーズやマッシュルームやジャンクでたまらないバーガーソースも味わえるわけだからかなりの満足感がある。
コスパについてはあえて触れない。考えてみたらこのブログは、富豪を目指す私の日常を書いているブログである。高いの安いのだの細かい話は横に置く。
でも、デリバリー用の高めの値段のワッパーをこんな風に注文するとファストフードを食べたとは思えない値段になるのは事実だ。やはりシングルライフは無軌道に走りがちである。ちょっと反省しようかと思う。
いつのまにか世の中から消えてしまったのが「アイスクリームに添えられたウエハース」である。昭和の子供は誰もがあの謎の食感に魅せられた。一つだけちょこんと添えられた感じも有難さを強めた気がする。
ウエハースの出自はドイツあたりらしい。ワッフルとかの親戚みたいだ。風月堂のゴーフルも仲間の一つみたいだが、あちらは表面がぺランとしているから蜂の巣状のウエハースとは全然違う気がする。
スーパーやコンビニに行けばありとあらゆるお菓子が手に入るスイーツ天国ニッポンだが、不思議なことにウエハースの存在感は薄い。ナゼだろう。
中身がホロッ、サクッって感じのお菓子はブラックサンダーやキットカットなどあれこれ存在するが、蜂の巣状のウエハースが主役を張っている商品は非常に少ない。
あったとしても輸入物のLoackerのモノばかりである。大きなスーパーで探してもこのラインナップしか置いていない。一択状態である。もちろん、Loackerのウエハースが大好きな私はバニラ味やココナッツ味を中心に家に常備している。
たかが、と言っては申し訳ないが単なるウエハースである。輸入ものに依存する感じが引っ掛かる。もっと駄菓子感に溢れた大衆向けウエハースが欲しい。
ネットで探せばそんな商品も見つかるが、たいていはすごい分量で販売されている。ブラックサンダーみたいに手軽に買えるウエハースを見つけることは難しい。
そう考えると昭和の喫茶店やレストランはアイスクリームに添えるウエハースをどうやって調達していたのか不思議な気持ちになる。いつの間にかウエハースを添えなくなったことと何か深い関係があるのかもしれない。
ウジウジ言ったところで仕方ないので、最近ハマっている美味しいウエハースを紹介したい。BABBIというイタリアのメーカーだ。元はジェラートのワッフルコーン業者だったらしい。
上で書いたLoackerはオーストリアだかスイスのメーカーだ。ウエハースはヨーロッパの一大産業なんだろうか。きっとヨーロッパ人は誰もが毎日ウエハースばかり食べているのだろう。そんなはずはないか。
BABBIのウエハース、これがまた妙に高いのが困ったものだ。かなり高い。贈答品でもらいたい値段だ。でもとてもウマいから富豪を目指す私としては平気な顔を作って買ってしまう。
薄い生地、口に入れるとすぐに消えてしまうはかなさが最高だ。でも値段を考えると飲み込まずにグチャグチャしたままでいたくなる。
バニラ味、ヘーゼルナッツ味、チョコ味のほか、ピスタチオクリームのウエハースが絶品である。もともとピスタチオクリームが大好物な私はいつも悶絶しそうになる。
普通のウエハースだけではなくチョコがコーティングされている商品もかなりウマい。なかでもピスタチオクリーム入りウエハースをホワイトチョコでコーティングしてある一品は最高だ。許されるなら100個ぐらい一気に食べてみたい。
BABBIのウエハースは都内ではいくつかのデパ地下に行かないと買えないのが面倒な点だ。成城石井やカルディ、いや、マルエツやピーコックあたりにも置いてほしいと切に願う。
というか、欧州勢にやられっぱなしではなく日本のお菓子メーカーにぜひとも頑張ってもらいたい。ウエハースの現状に革命を起こしてほしい。もっと手ごろな値段で美味しいウエハースを売り出してほしい。
その際はぜひピスタチオクリームをメイン商品にして欲しい。お菓子メーカーの皆様、なにとぞよろしくお願い致します!
都心の桜の季節が終わったようだ。今年はヘンテコな気候のせいでわりと長く桜を楽しめた。3月末の暖かい日に一気に咲きだして一週間はずっと見頃だった。
夜桜が3月28日、そのほかは4月6日に撮影した。今日(9日)の段階でも都心部ではまだまだ見頃の樹はあちこちで見られる。
桜より梅のほうが断然好きな私だが、さすがにこんな姿を見せつけられてしまっては足を止めて見入ってしまう。
思えば高校生の頃、満開の桜に興味を示さない私に母親が「しっかり見なさい」と口うるさく言っていた。当時は情緒のカケラもない子供だった。今ぐらいの歳になると桜から人生の郷愁や感慨を覚える。
「あと何回見られるのかな」。そんな感覚も数年前から沸き起こるようになった。そりゃあ平均寿命まではまだ随分あるが、平均点すら取れないバカな子供だった私が平均にまで達するとは思えない。
健康面に問題がない前提で考えるなら残り10回程度はいけると思うが、今年の後半にはいよいよ還暦を迎える。そろそろ何が起きても不思議ではない段階に入るのも確かだろう。
言霊とやらもあるようだからそんなことを言うとホントに10回で終わっちゃいそうだ。とりあえず「あと15回」と叫ぶようにしようと思う。
話は変わる。
先日、突然歯を抜くことになった。これもある意味で加齢が要因の一つである。虫歯でも歯槽膿漏でもないのに上の奥歯に近い歯を一本だけ抜くハメになった。
歯ぐきの違和感をチェックしてもらったところ、歯の奥の骨が割れていることが判明。横に割れているなら土台に積み重ねる感じで治療のやりようもあるらしいが、タテに割れていた。
抜くしか選択肢がないらしかったので渋々頑張ることにした。思えば歯を抜いたことは人生で一度もない。若い頃は不摂生で虫歯だらけだったが抜歯までいく事態にはならなかった。
問題の歯は若い頃に治療済みの歯だった。当時の治療で神経を抜いてあったのだが、それが時間の経過によって歯の骨を弱らせていた可能性があるらしい。強く嚙んだりした何かの拍子で骨が割れたみたいだ。
さてさて、私は歯医者さんに行くと尋常ではないビビリマンに変身する。十数年前に重症の虫歯治療の際に一瞬気を失いかけたほどの激痛を経験して以来トラウマになってしまった。とにかく歯医者さんに行くだけで血圧は上がるし肩も凝るしヘロヘロになるのが標準パターンだ。
定期的に歯のクリーニングに行く際も「怖い怖い」と言い続けて歯ぐきに塗る麻酔をベッタリ塗布してもらってから掃除してもらう。ゴキブリに遭遇するのと歯医者さんに行くのとどっちがイヤかと言われたら迷わず歯医者さんを選ぶ。
そんな私だから抜歯当日も死刑宣告を受けたぐらいの表情で治療台に座り、とにかく麻酔をブリブリうってくれ、なんなら全身麻酔でやってくれ等々あらん限りのビビリ発言をかまして歯医者さんに苦笑された。
で、抜歯開始。麻酔の効き具合をしっかり確認してもらってから何だかモゾモゾ始まった。すべての神に必死に祈る私。全身が力みまくって大変だったのだが、10分もかからないぐらいで終了。拍子抜け。
ホッとしたがとにかくグッタリである。歯を一本抜くぐらいでこんな調子なら、いずれ大病になって手術することになったらどうなってしまうのだろう。心配である。
痛み止めのおかげで抜歯した箇所も思ったほどは気にならずに済んでいる。一か月ほど放置してその後は一本だけ入れ歯を作ることにした。「入れ歯」という言葉を聞くだけで自分が「中年」を卒業して「初老」に突入する現実を突きつけられた感じだ。
とにかく日頃から歯のチェックを怠らずにいてもひょんなことで抜歯する事態も起きるという“老い”ならではの悲哀を痛感した。
めげずにキックボクシングに精を出すことにしよう。でもマウスピースもしたほうがいいかもしれない…。
今日は不倫について考察した過去ネタを2つ。10年近く前に書いた話なのだが、世の中に漂う「綺麗事原理主義」?はこの頃よりもますます強くなっている気がする。
不倫やら浮気やら
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不倫の歌
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先日、久しぶりに六本木に行く機会があった。すっかり縁遠くなった街だが、20代から30代前半にかけては頻繁に通った思い出の場所である。
この日はわがオヤジバンドの強力なサポートメンバーが所属するスカ専門のバンドライブを覗きに行った。客層は若者中心で私などは来場者の平均年齢を上げてしまうぐらいだったが、それはそれで最前列に陣取って声援を送ったりして楽しく過ごした。
人様のバンド活動を見に行くのは久しぶりだ。今年も11月にライブを控える身としては勉強になることも多い。やはりこういう場にはマメに出かけたほうが良いと痛感した。
さて、六本木である。ライブ見学を終えたあと我がバンドのメンバー3人で飲み屋を探す。昔より飲食店の数が減っているように感じたのは気のせいだろうか。天下の六本木である。そんな急激に衰退するはずはないが、どうにもサビれた感じを受けた。
土曜の夜だったので平日よりは静かだったのだろう。それ以外にも近年ニョキニョキ出来た大きなビルの中に飲食店が吸収されたのかもしれない。
で、適当に見つけた沖縄料理屋でダラダラ飲む。夕飯は済ませていたので黒糖ピーナッツで泡盛のソーダ割をぐびぐび。音楽談義はほとんどせず中年の悲哀を語り尽くす。
飲み終わったものの、せっかくの久しぶりの六本木である。もう一軒行こうと街をさまよう。私が頻繁に出歩いていた頃にあった店は跡形もない。街の形だって変わっている。
行き当たりばったりにシャレたバーに入ろうかと思ったがオッサン同士の飲みの場としてはビミョーにズレている。さんざん歩いたけど入りたい店が見つからず完全にオノボリさん状態に陥る。
一緒にいた友人はたまたま私とご近所さんだったので地元に戻って飲み直そうかとか、どこの街にもあるチェーン店の居酒屋に入ろうかなどと弱気な気持ちになる。何とかそんな“攻めない気持ち”にフタをして散策を続けた。
とはいえ、足も疲れてきたので六本木らしからぬ小汚い(失礼)居酒屋に入店。結局、野郎同士だとモツ焼きとホッピーみたいな昔ながらの居酒屋が落ち着く。タバコも吸えてつまみ類も真っ当だった。異国?の地で安息の場所を見つけてバカ話に精を出す。
六本木らしさのカケラもない場所で、相も変らぬワイ談に精を出して楽しく飲んでいたのだが、ひょんなことで「六本木らしさ」に遭遇してちょっと感動した。
それがこの画像の料理だ。その名も「セクシーチャーハン」である。安いメニューの中にこれだけが「1800円」と異次元の価格設定だ。腹が減ってはいないのに注文してみた。
オッパイとチンチ〇である。おまけに刻み海苔によって縮れた毛まで再現されていた。素晴らしい一品だ。下品かつ悪趣味である。オヤジ飲みの場にこういう一品が出てきてくれると気分も高揚する。
銀座や日本橋あたりの居酒屋ならこういう一品は出てこないだろう。これこそ六本木のセンスである。夜の街を店を探してさまよい続けた我々への神様からの祝福みたいなものである。
肝心の味も良かった。チャーハン自体はあっさりしていたが、乳輪部分に盛られたマヨネーズと乳首のつもりの明太子を混ぜると実に斬新な味に変化して単なる“ネタ”とはいえない美味しい一品だった。
このチャーハンのおかげで「六本木で楽しい夜を過ごせたぜ」と意味深な笑みを浮かべることが出来た。たかが居酒屋、されど居酒屋である。
2月からキックボクシングジムに通い始めた。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2025/02/blog-post_21.html
週2回というコースに申し込んだが、週に一度しか行けない日もある。平均すれば週に1.5回だろうか。
それでももう10回以上は通った。微妙に我が身に変化が生じていることを感じ始めた。最初の頃は10分ちょっとでフラフラになっていたのだが、ちょっとは改善されてきた。
自宅から徒歩3分の距離にあるジムなのだが、最初の頃は超絶的にヘトヘトになって帰路が3キロぐらいの距離に感じた。でも今では2キロぐらいの感覚で済んでいる。進歩である。
汗の出方が変わってきたことも驚きだ。ウン十年眠っていた我が身の細胞が活性化してきたような気がする。身体の表面ではなく奥のほうから汗がドバドバ出る感じだ。
高校時代に格闘技経験が少しあったせいで、キックボクシング独特の身体の使い方に慣れるのに時間がかかる。ようやく少しはそれっぽくなってきたが、最初は独特の動き方を覚えるために身体よりも脳が疲れた印象がある。
格闘技を昔に少しかじった身としてはちょっと納得できない動きもあるのだが、そこは還暦近い初心者である。言われたことを謙虚に黙々と身につけようと頑張っている。
セミプライベートなので、ウロウロしている数人のトレーナーさんがマメに声をかけてきて指導してくれる。一人でサンドバックに向かうよりアレコレ細かい指示を受けたほうがバテやすい。だからどんな指導も喜んで受け入れている。
不自然にフォームを直されたりすると姿勢がキツイから汗がバンバン出る。困ったことにトレーナーさんごとに指導にクセがあるから人が変われば言ってくることも変わる。若い頃なら文句の一つも言いたいところだが、今の私はいちいち違ったことを言われてもニコニコと受け入れる。
なんてったって目的は体力増強である。無駄に?動き回ることが大事である。それぞれのトレーナーさんに何度もアレコレ修正をされると身体を必要以上に動かす効果があるからヘロヘロに疲れる。すなわち運動量がアップしているわけだ。
いま私に必要なのは「ヘロヘロに疲れる」ことである。別に試合をしたいわけでもない、ダイエットが目的でもない。もちろん痩せてくれるならハッピーだが、とにかく体力をアップさせたい一心で真面目に頑張っている。
たいして減っていなかったら泣きたくなるから体重計には載っていない。でもネクタイを締めるワイシャツの首周りがラクになってきた。今年の初めにはキツくて着られなかったスーツが何とか着られるようにもなった。これは経済的な意味でも朗報である。
ジムのそばに鳥貴族があるのだが、練習後にそこに立ち寄るのが当面の目標である。今はフラフラになって帰るので鳥貴族の階段すら見たくない状態だ。コンビニに立ち寄るのも一苦労である。
とことん疲れるメリットは空腹を感じないことだ。ジムの日はろくに夕飯を食べずに一日が終わる。予想外の副次的効果だろう。ジム前に食べちゃうと練習中が苦しいから事前にはせいぜいイチゴやみかんを食べてから向かう。
帰宅してから何か食べるつもりで出かけても帰宅する時は病人のようにヘロヘロだ。空腹を感じない。せいぜいプリンを食べてオシマイである。
こんなパターンを週2回キチっと続けたらきっとシュッとした体形になるのかもしれない。でも目標はそこではない。昨年後半あたりから続いていた謎の倦怠感や息苦しいまでのバテやすさが改善できれば充分である。
ここ最近、朝起きてからの体調が少しスッキリし始めた。キックのせいなのかは不明だが、少なからず影響はあるだろう。キックでの運動量、キックの日の食事量の激減ぶりが悪いはずがない。
でもキックを始めたのと同時ぐらいにコンビニの菓子パンをやめ、テストステロンのサプリを飲み始め、毎朝ヨーグルトにキウイを入れて食べ始めた。はたしてどれが効果を発揮しているのかは謎だ。
ちなみに体調が良くなりつつある原因がキックのせいじゃなかったら大変だ。ヘロヘロに疲れることが単なるバカな行動になってしまう。
ちなみにジムに行ったら最初の15分ぐらいはストレッチをするのだが、実は出発前の自宅でも同じぐらいストレッチに励む。変な話、30分ぐらいは準備運動しないと何となく怖い。ウン十年も運動をサボっていた私の身体は思った以上に硬直化している。気をつけないとケガをしそうだ。
ジムで30分もストレッチしている人はいない。私だけ延々とストレッチばかりしていたら悪目立ちしそうだから仕方なく自宅でも準備をするわけだ。年齢には勝てないことを痛感する。
とりあえず8月あたりまで続けることを目標にしている。もし達成できたらきっと年末まで続けられるような気がする。
このブログで書いたり、宣言することも大事だ。自分を律する場面、体力的に頑張る場面ってこの歳になると無理やり作り出す必要がある。老骨にムチ打って日々の暮らしに爽快感を取り戻したいと思う。
この季節は週末になると散歩欲が強まる。普段はグータラ暮らしなのに春の陽気に誘われてガシガシ歩きたくなる。ナゼか浅草ばかり行きたくなるのだが、先日は地元の日本橋界隈をじっくり歩いてみた。
日本橋の三越側、神田寄りのエリアが今の私のお膝元?である。三越から神田に向かうエリアといえば、各県のアンテナショップがいくつか集まっている。富山、新潟、三重、福島などのほか淡路島専門のお店もある。
それぞれ名産品が置いてあるのが嬉しい。三重は伊勢の「赤福」が有名だが残念ながら常備ではない。時折、店頭で赤福フェア?があるのでその際は手軽に入手できる。
淡路島専門の店も玉ねぎスープや玉ねぎチップをまとめ買いするのに好都合である。どの店も時期によってイベント的なノリで売り出したい名産品をPRしている。結構楽しい。
有楽町の交通会館に集まっている各県のアンテナショップにもよく行く。私にとってはこの2つのエリアをマメに散歩するだけで全国各地の名産品の存在やそれぞれの旬なども知ることができる。
ちょっと大げさだがアンテナショップ巡りは教養を高める効果がある。どこの地域は何が特産でどんな特徴があるのかといった知識は日本人として知っておきたいところだ。
ぶらぶら散歩しながら学べちゃうわけだから散歩にも意味がある。最近は兜町の方に宮城のアンテナショップが出来て、私の好物でもある「ずんだシェイク」も飲める。
さて日本橋界隈の話である。隣の銀座では週末の混雑具合はかなりのものである。まさに人ゴミである。入りたいお店にスムーズに入れることもなく、買い物をするにも人出が多くてゲンナリする。
それに比べて日本橋は穴場である。週末こそそこそこの人出だが、銀座など他の繁華街に比べれば実に余裕がある。
コレド室町あたりの店舗も人混みが凄いという場面に遭遇したことがない。カフェもレストランも特別こだわりがなければどこかしらにはスムーズに入れる。
中央区民になって以来、日曜の夕飯は外食に困るというイメージがあったが、それも新富町や八丁堀界隈だったからで、今ではいくつもあるコレドやその界隈を覗けばちっとも困らずに済む。
三越本店はさすがに週末は混雑しているが、午後早めの時間に行けばデパ地下も意外にのんびり散策できる。銀座の三越とは不思議とビミョーに空気感が違うのが面白い。
銀座三越のほうが気のせいかワチャワチャしている印象があるが、日本橋三越は客層が高齢者ばかり?なのかちょっと静かめなイメージがある。
私にとってデパ地下のお楽しみは和菓子コーナー周辺だ。ウマそうな甘味を見ながらウロつくのが至福の時間だ。これからの季節は「たねや」の水ようかんがわが家の常備品になる。
店の人によると季節によってもろもろ配合が変わるらしいが、いつ食べてもここの水ようかんは絶品だ。世の中にあふれるさまざまなスイーツをむさぼり食べている私だが「たねや」の水ようかんを食べるとすべてがリセットされる気がする。ニッポンの甘味の原点、心のふるさとみたいな味がする。
今の季節は夕方になると三越エリアから神田方面に向かって街のアチコチがピンク色のライトアップで飾られる。桜のイメージである。三井本館あたりの石造りの重厚な建物がちょっとファンキーな雰囲気に変わる。
週末散歩にオススメだ。今週末もきっと私は小汚い格好でウロウロしているはずだ。
たいていの人は忘れてしまったが焼肉屋さんの雰囲気って昔は一種独特だった。例えて言うなら、つき合い始めて間もない若い男女が行くような感じではなかった。
叙々苑が人気になって牛角あたりのカジュアルなチェーン店が普及したことでいつの間にか風向きは変わった。高級とかオシャレとかそれまでとは違うノリの焼肉屋さんが一気に増えていった。今ではそっちが主流かもしれない。
それこそ私が学生の頃は「焼肉屋に行く男女はもうヤッている」みたいな下世話な都市伝説がまだ残っていた。バブルの前、昭和の後半まではそんな空気が確実に支配的だった。
当時の焼肉屋さんと言えば、薄暗い看板、煙も匂いも強めなディープな店が多かった。若かった私としては気軽にのれんをくぐると言うより旅先の見知らぬ店に飛び込むような緊張感を強いられた記憶がある。
個人経営の店が大半だったから、イメージとしては繁華街のちょっと外れや、細い路地裏にチンマリと構えている店が基本だった。モノトーン調の対極のようなオレンジや黄色の看板、店名の漢字もモダンなフォントとは無縁、全体にちょっと煤けた感じだった。
もちろん、そういうディープ路線のお店は下町あたりには今もたくさん存在する。個人的には勝手に「王道系」と呼んでいる。
イマドキのオシャレな焼肉屋さんは生肉をそのまま自慢気に出してくる。ヘタすると「ワサビ醤油でどうぞ」とトンチンカンなご提案?までしてくる。それはそれで結構だが、昔ながらの焼肉とは大違いだ。その点、王道系の店はたいていの肉がタレに漬け込まれた昔ながらのパターンである。
焼肉が食べたい気分なら断然タレにどっぷり漬け込まれた古典的な肉が欲しい。鉄板焼ともステーキとも違う「焼肉」というジャンルである以上、そっちのほうがシックリくる。あれはあれで一種の様式美だ。
そういう王道系の店のもう一つのポイントが焼き上がった肉につけるタレの味だ。昔ながらのタレに出会うケースが多い。私のボキャブラリーではその特徴を上手に説明できないのが残念だ。
いまどきの焼肉屋さんのタレは総じてベタっとした印象がある。味も甘ったるさばかり感じる。昔のタレはもっとスッキリしていた。
もちろん甘い味が基本だが、今よりも醤油感というか、みりん感というか、何かが確実に違っていた。とろみはなくサラっとしていた。ベタベタしていた印象はない。いつの間にかそういうタレに出会うことが無くなっていった。
昭和の後半からシェアを広げてきた市販の焼肉のタレの存在も影響しているのだろう。家庭用のタレはサラっとしているというより少しドロっとしているのが主流だ。いつの間にかそっちが“正解”になって新たな定番になっていったのかもしれない。
中央区民になった頃、新富町の外れにポツンとあるディープ路線の王道系「焼肉KAZU」という店で昔を思い出すタレに久しぶりに遭遇した。肉自体もかなりウマいのだが、タレが昭和50年頃にタイムススリップした懐かしい味だったので感動した。
それ以来、「黄色やオレンジの煤けた看板のディープな焼肉屋」に郷愁にも似た思い入れを感じるようになった。
一応ダンディー路線を目指す私だから、時には銀座あたりのきらびやかな焼肉屋にオネエサンを連れて行く。でも正直言ってそういう店の焼肉自体にはちっとも心は踊らない。一方で下町の煤けた王道系の店に行く際には「あのタレ」に出会えるんじゃないかとワクワクする。
妙に長い前フリになってしまった。
先日、浅草をぶらついたついでに王道系の焼肉屋に入ってみた。その名も「金楽」である。路地裏っぽい立地で看板はイメージ通りの黄色である。「焼肉」という文字のフォントも妙に懐かしい雰囲気だ。
タレに漬け込まれた肉を炭火で焼く。心のなかで「これだよこれ!」と叫ぶ。センマイ刺しのタレも甘ったるいイマドキ風ではなく酢の感じが強めで嬉しい。
最近はキムチも甘いタレをまぶしたようなやつが普及しているが、こちらの店ではザ・発酵食品と言いたくなるような酸味が強い本格派だった。すっかり焼肉を食べる機会が減った私だが、上記した「焼肉KAZU」だけでなく、こんな店が近所にあったら頻繁に通う気がする。
肝心のタレも良かった。サラっとしたすっきり系だった。さすがである。これが各テーブルごとに小さな甕に入ってすくい放題だった。
なにかにつけて昭和昭和と懐古趣味がもてはやされているが、焼肉の味というジャンルにおいてはこの店は昭和感バリバリだと思う。古い世代の人間には居心地バツグンだろう。
浅草に行くと洋食屋さんか釜飯屋さんばかり行きたくなる。でも目線を変えるとディープ路線の王道系焼肉屋さんがそこかしこにあるのも浅草の特徴だ。時代に媚びていないそういう焼肉屋さんを巡るのもオツだと感じたひとときだった。
「少年の心を失わないのは素敵!」、「いい歳してバカなのか?」。これは同義語みたいな話である。遠からず還暦を迎える私も時に少年時代のような行動に走ってしまうが、そうなると必然的に後悔することも増える。
新橋にあるラーメン屋さん「ほりうち」のチャーシューざる麺だ。ハーフサイズで充分なのにヤケクソみたいにチャーシューがテンコ盛りの標準を頼む。幸せなことは確かだが、最近では食後がちょっと苦しい。
脳の中は昔の感覚のままだから何を食べるにしてもテンコ盛りだと条件反射で嬉しくなる。牛丼にしても大人になってからは一度たりとも並盛を注文したことがない。そんな判断を今も続けていることは「男の勲章」だと信じている。バカだ。
量の問題はともかく、ふと目にしたヘンテコな商品に目が輝いてしまうのも昔の感覚のままだ。コンビニのカップ麺コーナーに見慣れぬジャンク系を見つけると絶対に買わなきゃならない気持ちになる。
先日買ってしまったのはその名も「みんな知ってるウマイやつ・名もなきスパゲッティ味焼きそばハンバーグ弁当風」なる謎めいた商品である。エースコックの商品開発会議でよくもまあゴーサインが出たものだと感心しちゃうネーミングだ。
要は洋食屋さんなどでハンバーグなどに添えられる付け合わせスパゲッティである。そんなニッチな麺料理を商品化してしまうメーカーの冒険心を称賛したい。
付け合わせスパゲッティを愛する人は意外に多い。私も随分前にこのブログでその話を書いた。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/08/blog-post_25.html
あの素っ気ない感じ、やる気を無くしたヌルい存在感が魅力的だ。まさに名脇役と言えよう。たいていは味が薄っぺらいのが特徴だ。薄~いナポリタン風味だったり、下手するとほとんど味が無い状態だったりする。
主役の肉料理のソースと混ざることでようやくそれなりに食べられる状態になることが珍しくない付け合わせスパゲッティだが、このカップ麺はまさにそこに焦点が当たっている。
肝心の味はなんともビミョーではあるが、そんなものを嬉々として食べている自分を自己弁護する意味で「それなりに美味しかった」と言っておこう。
もっと言えば絡めるソースを半分程度しか使わずにいればもっと高評価だったかと思う。ソースを全量使うと味がしっかり強くなる。当然「付け合わせ感」が弱まってしまう。あくまで薄っぺらい味に仕上がるよう調整すべきだった。
ついでに言えば、それを冷めるまで待てばよかった。付け合わせスパゲッティといえばヌルいのが定番だ。熱々で食べたら別モノになってしまう。なんなら常温になるまで待てば感動的な味になっていたかもしれない…。
まあ、こんなことを真剣に考察するのも「少年の心」である。飽食社会で生まれ育ったゆえの余裕だと解釈することにしよう。
話は変わる。
家では簡単パスタを自作することが多い。年齢的には和風あっさり味のパスタを作れば作った方が良いのだろうが、ついついクリーム系に気分が向いてしまい、食後にちょっと胸焼け気味になることもある。
でもパスタ料理そのものが若い頃に親しんだ食べ物だからたいていはガッツリ系の味に仕上げたくなる。基本はレトルトパスタソースを使うのだが、この時点でクリーム系を買ってしまうことが多い。
この画像はカニのトマトクリームというパスタソースを元にカニ缶詰を丸ごと一つ加えた作品!である。エンゲル係数的には破綻しているが、カニ缶詰はふるさと納税で手に入れたから実質的には追加料金ナシである。
レトルトのソースだけでは必死に鼻の機能を総動員しないとカニの雰囲気は感じられないが、カニ缶詰を丸ごと追加すればそんな問題は一気に解決して贅沢な気分にも浸れる。悪くない缶詰消化法だと思う。
お次はベーコンとツナのクリームパスタだ。こちらはレトルトは使わず一から味付けした。麺つゆやコンソメ、刻みガーリック、牛乳を適当に使って仕上げた。我ながらなかなかの味に仕上がった。
このぐらいマトモなパスタを自作できるのにナゼ「付け合わせスパゲッティ」のカップ麺を満面の笑顔で食べてしまうのか…。そんなことを大真面目に考えてしまう日々である。
来日したドジャースやカブスの選手たちがこぞって絶賛していたのが日本のコンビニだ。あの怪しい?タマゴサンドが外国人に大人気になっていることは以前から知っていたが、他にもスイーツなどもかなりの人気があるようだ。
日常的に使っているコンビニだから我々日本人としてはいちいち感心したり感動したりすることはないが、世界的に見れば特異な存在だろう。なんでも売っているだけでなくチケットの発券や荷物の発送、はたまたクリーニングの中継基地のやくわりもこなす。
なんでも屋である。それに加えてプライベートブランドの食べ物も激しい競争のせいで日進月歩でウマいものが増えた。コンビニ飯はマズいという昔の常識も様変わりした。確かにおにぎり一つとっても昔とは別モノである。
私の場合、タバコを買いに行くつもりでコンビニに入ってもついつい余計なスイーツを買って散財してしまう。スイーツじゃなくてもカットフルーツなんかも手軽なサイズだから手を出してしまう。ナゼかいつも4~5千円が飛んでいく。
外ではカッコつけて甘いものをあまり食べない私だが、家だと別人のようにスイーツオヤジと化す。その根源がコンビニである。昨年来ハマっているのが「ジャージー牛乳プリン」だ。知る人ぞ知る名品なのに遅ればせながら昨年の後半に初めて食べて卒倒した。
いまでは我が家の冷蔵庫に3~5個は常備している。そのぐらい無いと不安で夜も眠れない。プリンとは言うものの実態は純然たるミルキースイーツである。中途半端なカラメル部分も無い。ミルクプリン一色だ。牛乳が苦手な人は別にして、はたしてこれをマズいと言う人がこの世にいるのだろうかと思う。
もともと私はプリンっぽい食感のスイーツが好きなのだが、やっつけ仕事みたいに味の悪いカラメルが底に潜んでいるヤツが苦手だ。優しいプリンの風味が一気に壊される気がする。言ってみればプリン部分とカラメル部分がケンカしちゃっているような商品が多すぎる。
カラメルが別途添付されているヤツとかミルクプリンみたいにハナからカラメルが無いヤツは安心して楽しめる。ババロアやパンナコッタと名乗っているカップスイーツもソースが別添だったりすると迷わず買う。
きっと味覚がお子ちゃまなんだと思う。
先日は有楽町マルイに入っているマックスピスタチオなる店でピスタチオプリンを購入した。コンビニ以外でもこういう商品を目にすればすぐに買ってしまう。決め手はやはりヘンテコなカラメル部分が無いことでもある。
でも一個800円である。ちょっとバカみたいな値段だ。値段も見ずに「これください」と条件反射のように言ってしまった私の負けである。そりゃあやたらと美味しかったが値段のことが頭にこびりついていたからウマいとしか言えなかったような気もする。
まあ、ちょっとした名店のスイーツは昭和のオジサマ的感覚ではビックリするほど高いのが今の時代だ。そう考えるとやはりコンビニの品揃えは称賛に値する。
最近ハマっているのが「美食家のプリン」という新商品だ。大げさではなく60年近く生きてきた中でトップクラスにウマいプリンだ。オーソドックスにカラメルが底に潜んでいるプリンなのだが、苦手なはずのそれすらも気にならない。
カラメル部分の味付けが強すぎずプリン本体と絶妙にバランスが取れている。初めて口にした時は久しぶりに目ん玉が飛び出そうな衝撃を受けた。確か160円ぐらいだった。そんな値段でこんなウマいものが買えるなんてニッポンバンザイと叫ぶしかない。
ウチの近所のコンビニでもすぐに品薄になるので見つけるたびに買っている。何回食べても心から美味しいと感じる。
ジャージー牛乳プリンとこのプリンが冷蔵庫にたくさん入っている状態のことを幸せと呼ぶのかもしれない。本気でそう思う。
その昔、砂糖はかなりの貴重品で江戸時代の一時期は医師が処方するものだったそうだ。そんな貴重品を今の時代は際限なく楽しめるのが嬉しい。「時代ガチャ」の点でいえばラッキーそのものだろう。
料理の美味しさを決めるのはダシが基本だが、同じぐらい大事なのが砂糖だ。たいていのウマいものはタレなどどこかしらに砂糖や水飴みたいな甘味を使っている。私が好きなレトルトカレーの成分表示にもしっかり砂糖は記載されている。
有難いことに糖尿の家系ではないから生まれてからずっと糖分をバシバシ摂取してきた。今も私は辛党ではない。もちろん酒も飲むが、ここ数年は甘みの方により強い魅力を感じるようになってきた。
先日、銀座のバーで甘いカクテルを飲んだ。普段だとバーでは「マッカランをロックでね」とキザったらしく注文する私だが、この日は気心の知れた相手と一緒だったので食後酒だと言い訳しながら最初から甘いカクテルにした。
キウイヨーグルトのなんちゃらカクテルと杏仁風味のなんちゃらカクテルである。画像ではわかりにくいが意外に量があって思った以上にふわふわと酔った。甘いもので酔うって悪くない。
大学生ぐらいの頃、サントリーの一大戦略のせいで世の中に「トロピカルドリンク」なる怪しい酒が出回った。ピニャコラーダ、マイタイ、ブルーハワイ、ストベリーダイキリ等々、音感の面白さと甘いからこその口当たりの良さで若者世代に一気に流行した。
確か渋谷だったと思うのだが、入口で靴を脱がされ、裸足でフロアに案内されるトロピカルバーと称する店にも何度か通った。フロアは白い砂が敷き詰められていたため客はみんな裸足にさせられたわけだ。
バブル到来のハッチャけた空気と相まって若者はみんなトロピカルドリンクを飲みまくった。そしてみんな吐きまくった。当時、繁華街に点在していたゲロの多くがトロピカルドリンクが原因だった。
話がそれた。
この日、甘いカクテルを続けて飲んでちょっとベトベトした気分だったのでバーテンさんに次のおすすめを聞いてみた。
で、アタリだったのがゴッドファーザーだ。アマレットとウイスキーを混ぜただけのシロモノだが、甘ったるいアマレットの分量を加減すればウイスキーがやんわりと甘みを帯びるので私にとってはちょうど良かった。今後の定番にしてみようと思う。
さて、トロピカルドリンクブームは全国にゲロを撒き散らして終焉したが、そこから台頭してきたのが今に至る「なんちゃらサワー」の一群である。
レモン、グレープフルーツが定番だが、青りんごサワーやらカルピスサワーやら怪しい系?もすっかり根付いている。私も居酒屋などではそういう怪しい系を注文したいのだが、さすがに人様の前では気が引けて緑茶割りあたりで誤魔化している。自意識過剰である。
その代わりネットスーパーなどの宅配を使う時はガンガン甘い系の酒も注文する。ジュースというものが根っから好きなんだと思う。ほとんどジュースみたいなサワー類を一気飲みするのは結構楽しい。
正しくない飲み方としては、睡眠薬がちっとも効かなかった時にそれらの甘いサワー類を一気飲みすることもある。さすがにこれをやると効果はバッチリだ。
きっとこんなことばかりしているといずれ痴呆症みたいな副作用に悩まされるのだろう。気をつけないと…。
最近は色っぽい話を書いていない。色っぽいことと無縁になったのか、はたまた色っぽいことが過剰にあり過ぎてここに書けなくなったのかは内緒である。たぶん前者だ。
私は独身とはいえ還暦も近い年齢だ。「色恋に歳など関係ないぜ」と寅さんが熱弁していたが、寄る年波にはなかなか抗えない。5年前に比べれば確実に劣化・退化は進んでいる。
とはいえ、生涯現役を目標にしている以上、いろいろな面で「引退」してしまうわけにはいかない。老骨にムチうちながら戦う場面もある。
このブログの閲覧数は色っぽい画像が載っていると増加する。いっそセクシー画像ブログにすれば大人気になるかもしれない。まあ、そんなことをしていたら行き過ぎて逮捕されそうだから、あくまで「ほんのちょっとセクシー」に留めないといけない。
新聞や雑誌にカット写真が不可欠なのと同じで、このブログにもなるべく関連する画像を貼るようにしている。女子を連れてウマいものを食べた話なら女子同席の雰囲気ぐらい画像によって表現しないと収まりが悪い。ウナギを食べに行ったら「うなじとウナギ」はお約束である。
食事うんぬんだけでなく男女の機微や男の切なさみたいな話を書く時にもそれっぽいカット画像が欲しい。というわけで日頃から女性の知り合いにはそれっぽい画像を撮らせてもらっている。
気付けば結構なストックが溜まってしまった。夜景をバックにした画像なども悪くはないのだが、正直ちっとも面白くない。やはり太ももやうなじ、胸元あたりが主役じゃないと退屈だ。
脚線美はもともと私の大好物だから女子友達の多くが被写体として活躍?してくれる。不思議なもので裸の女性を前にしたら脚や太ももに視線はいかないはずなのに着衣だと途端に気になるゾーンになる。
男にだって太ももはあるし、今どきはムダ毛を処理する男もいる。かといって温泉大浴場で男の太ももや脚線を見たい気持ちにはまったくならない。女性ならではのラインに意味がある。
寒い季節にはミニスカとブーツという組み合わせをよく見かける。脚が長く見える視覚効果があるとかないとかで今や定番みたいな感じだ。確かにパッと見はスタイルが良く見えるのは確かだろう。
ふくらはぎが隠れてしまうのは残念だが、フィット感があるブーツならその点もある程度カバーしてくれるので悪くない。女性たちはそのあたりも意識して選ぶのだろうか。
それにしてもこんな画像を一生懸命に撮影している自分がちょっと切ない。一応ジャーナリスト精神を言い訳に頑張っているわけだが、スマホを向けている時の顔はスケベヒヒオヤジ感を丸出しにしているのだろう。反省。
でもまあキレイなモノに目がいくのは自然なことだし、その瞬間を保存してこのブログのカット画像に利用させてもらえるわけだから無駄ではない。
ご協力いただいた皆様には心から感謝である。思えば15年以上前にこのブログの夜の銀座ネタに添える画像が欲しくて気のいいオネエサンがたに協力してもらったのがきっかけである。
その後、知り合う人々皆々様に協力してもらい数々の力作?につながったわけで、これもまた「継続は力なり」を実感している。
調子に乗ってここに載せられないカット画像まで撮れてしまうのは御愛嬌だが、それはそれで私が老後に懐かしく見返すための宝物?である。
いずれにせよ今だにこんなことで喜んでいられるわけだから単純明快に幸せなことである。
下町の風情を愛でながら散歩するのが好きだ。文京区に住んでいるときは「谷根千」エリアをウロウロするのが好きだった。今は住まいに近い人形町やちょっと足を伸ばした門前仲町あたりがお気に入りのエリアだ。
先日、いつもと違う景色が見たくなり錦糸町界隈をせっせと散歩した。「月曜から夜ふかし」で街頭インタビューが行われるようなディープソーンもあるいわば東京らしい場所である。最近は昔のイメ―ジと違って錦糸町界隈もすっかり近代化されてヨソの繁華街と似たような佇まいになりつつある。
それでもちょっとした路地で見られる昭和的な景色を目にすると何だか嬉しくなる。この日は押上方面にも足をのばしてウロウロしたのだが、ちょっと渋い銭湯を見つけた。寄ろうかと思ったもののかなり混雑していたのでパス。
Googleマップを見ながら散歩していたのだが、近くに別な銭湯があることが表示されたので、そっちに向かってみた。散歩の途中で銭湯に入るなんて休日の正しいオヤジの過ごし方である。多少の混雑もものともせず入ってみた。
幸か不幸か、下町風情というよりモダンな感じだった。でも「見知らぬ街を歩きながら小休止にひとっ風呂」という自分の行動センス?のおかげでかなり良い気分になった。
その後、スカイツリーのエリアまで歩き、浅草がほんの目と鼻の距離だと気づく。ついでに大河ドラマ「べらぼう」の記念展示企画が浅草の区民館で開催されていることを思い出す。
調べたら夕方5時で終わっちゃうらしいのでタクシーで浅草までひとっ飛び。区民館で蔦屋重三郎関連の展示をしげしげと見て回った。ドラマで実際に使った小道具などの展示に感心する。アップでテレビに映るわけではない小物もかなり精巧に作られていた。さすがNHKである。
その後、浅草をぶらつく。東洋館に行ってマイナーな漫才師のシュールな芸でも見ようかと思ったのだが、この日は運悪く特別企画で「寅さんを語る会」なるトークイベントが行われていたため断念。
賑わうホッピー通りなどを黙々と散策しながら空腹を覚えたので何を食べようか脳みそをフル稼働させる。まず頭に浮かんだのが「釜飯」である。いつも浅草に来ると洋食屋さんに行きたくなるのだが、この日は刺し身で一杯やりながら釜飯を待つのもオツだと考えた。
有名店「釜めし春」の店先を覗くと開店直後だったみたいでガラガラだった。それなら慌てて入るまでもないと他の候補はないものかとウジウジ考えながら散歩を続行。優柔不断の極みである。
そうこうするうちに空腹感が強まる。一気にパンチの効いたモノが恋しくなってきた。せっかく渋く?釜飯でキメようと思っていたのにまたぞろ頭の中は洋食屋さんのメニューがガンガン浮かんでくる。
で、近くにあるビーフシチューの名店「ぱいち」に向かったのだが定休日だったので途方に暮れる。しかし、既に釜飯に戻る気分ではなかったので、安定の店「ヨシカミ」に向かう。
カウンター席には空きがあったのですんなり着席。ビールで一息入れながら、タンシチューとチキンライス。追加でメンチカツも一つもらう。
洋食屋さんで欠かせないベシャメル系を頼み忘れたことに気づく。とはいえ、一人メシだから今の私はこれ以上は食べ切れない。5年若ければもう一品いけたはずだ。残念で仕方がない。
カウンター席で料理人がテキパキと作業する姿を眺めるのもこの店の楽しみである。ナポリタンの作り方、オムライスの作り方、いずれも私から見れば神業かと思える。プロの機敏な動きは見ているだけで楽しくなる。
結構な満腹をかかえて帰路につく。腹ごなしに歩いて帰ろうと無謀な計画をたてる。田原町を過ぎ蔵前を過ぎ鳥越を過ぎ、浅草橋のあたりで無理な計画だったことに気づく。
タクシーで帰るのもシャクだ。アプリでレンタルチャリが近くにないか探してみる。運悪くチャリは出払っていて電動キックボードしか見つからず仕方なくそっちを借りて日本橋方面に向かう。
寒風の中、途中で思い切り逆方向に進んだりといつものように方向音痴ぶりを発揮しながら何とか帰宅した。ウチに着いたら着いたで中途半端に元気さを持て余していたのでキックボクシングジムに行こうとひらめく。
ところがこの日の夜はジムが早仕舞いしていて私の涙ぐましいガンバル計画は断念せざるを得なかった。でもあのままジムでサンドバックを蹴っていたら腰や脚を痛めたかもしれない。風呂に入りながら充分疲れていたことに気づく。
年相応にハッスルしないと健康には逆効果かもしれない。体力増強月間ではあるが動き過ぎには気をつけないといけない。昨年チャリで転んで長期間にわたって難儀したのも調子にのったせいである。
そんなシャバダバな現実を突きつけられた気持ちで眠りについた。良い一日だった。
以上です!