久しぶりに銀座にある「九谷」に出かけた。北海道直送品を中心に新鮮な鮨や珍味を楽しませてくれる店だ。
東京では、なかなかお目にかからないイバラガニの内子は、残念ながらこの日は品切れ。それでも、珍味好きな私にアレコレと不健康そうな酒肴を出してくれる。有難い。
「不健康そうなもの」。これは旨いものの代名詞だろう。コレステロールや尿酸値、血糖値、血圧関係すべてにおいて、身体に悪いと言われているものは旨いものばかりだ。
この日、最初に出てきたのは、旬のヒラメとカワハギのお造り。これだけ書くとヘルシーな感じだが、画像中央部に鎮座している面々が私を夢中にさせる。
カワハギの肝は、いわゆる肝醤油に使われており、並んでいるのはヒラメの卵、キモ、皮。皮以外は、うっすら味付けされており、お燗酒のお供にピッタリ。刺身を食べる合間に同じ魚から作られた珍味を味わうのもオツなもの。
レギュラーメンバーの毛ガニもミソをしっかりトッピングしてくれる。毛ガニはなんといってもミソが醍醐味であり、画像のような色合いのミソならバッチグー。緑色系、茶色系ではなく、このエロティックな黄色のミソなら甘みも強く大満足。
上質なクジラの尾の身も醤油だけでなく、少しだけごま油を落として刻み葱と一緒に味わう。珍味合戦の合間の楽しい変化だ。
いつも酔ってしまうので、少しづつ出された酒肴はいっぱいあるのだが、全部を覚えていないのが私の悪い癖だ。クジラもこの原稿を書いていて思い出した。反省。
この日、拍手喝采だったのが、アワビのキモとウニ和え。キモウニと呼んでみる。アワビのキモをドロリとした状態になるまで大将がつぶす。そこに新鮮なウニを投入、混ぜ込んで極上珍味が完成。そりゃあウマいです。
一応、アワビの刺身も出してくれた。キモウニソースが絡みやすいようにカットしてくれたところが憎い。でも、贅沢な話、アワビが邪魔に思えるぐらい、キモウニが最高。刺身を混ぜずにチビチビ味わう方が酒飲みには嬉しい。
その後、ニシンの切り込みや鮭トバの麹漬け、アカホヤの塩辛、ボタンエビのミソ和えなどをチョロチョロ出してもらった。
言うこと無し。お寿司屋さんで徹底して珍味ばかり食べていていいのだろうかと申し訳なくなる。
お寿司屋さんで珍味以外といえば、当然、寿司飯だ。ちゃんと握りを食べようと思うそばから、また邪道精神が頭をもたげる。
さきほどのアワビのキモとウニを使ったキモウニを少量だけ残しておいて、ほんのひと握り分のシャリをもらう。シャリと混ぜ合わせて酢飯リゾット風に仕上げて食べてみた。
大満足。しょっぱい系の珍味なら、たいていこの酢飯混ぜ混ぜ作戦は至福の瞬間が味わえる。
最後にいくつか握ってもらった記憶があるが、何を頼んだかすっかり覚えていない。思い出すのは珍味だけ。こんなことでは握りの修行をしてきた板前さん達に失礼だと思う。
次回は、珍味は減らさず、酒の量を減らそうと思う。
2009年2月10日火曜日
銀座 九谷 珍味
2009年2月9日月曜日
迫力の密教体験
昔ながらの縁起ごとや占いでいえば1年の節目は節分。節分あけの先日、縁起かつぎのお参りをしようと会社の主だった幹部と赤坂にある豊川稲荷に出かけた。
わが社では例年、正月仕事始めに会社所在地の氏神様に社員一同で詣でている。今回改めて商売繁盛を司る神様にお参りに行った理由はただひとつ。業績が悪いから!。
さてさて、慣れ親しんだ近所の神社のお祓いスタイルを想定していた私は、豊川稲荷の本堂で繰り広げられた祈祷に正直ビックリ。ちょっとエキサイティング・・。
聞くところによると密教の祈祷独特のスタイルだそうで、ごく普通らしいのだが、初体験の私には充分インパクトがあった。
かなり早いテンポで、太鼓をリズミカルに打ち鳴らす。合いの手を入れるように鐘の音が低くこだまする。それに合わせて数人の僧侶がスピーディーに念仏を唱える。ド迫力だ。
僧侶がいっせいに経本をパラパラとダイナミックにめくる動きも、壮大な音の響きのなかではアコーディオンを動かしているように見える。太鼓と鐘も、いわばドラムとシンバルの掛け合いに見えなくもない。打楽器ライブと表現したくなる光景だった。
不謹慎に表現するなら、端的に「格好いい」。
おっとり、ゆったり粛々と祭事が進行する神社神道の祈祷とはまるで趣が違う。比べるようなものではないが、対称的な印象を受けた。
確かに密教系の迫力のある祈祷を受けると清らかな気持ちになるというより、エネルギーをもらえたような気分になる。商売にも勢いが必要という意味で、あの打楽器ライブは霊験あらたかなのかもしれない。これで今年は業績アップ間違いなし!
本堂を出て敷地内を散策、奉納された金額に応じて飾られている木札やちょうちんも会社関係が多い。芸能人も結構あったが、金額に応じて大きさに差が出るあの手の表示は有名人には気の毒だ。
「あんな有名女優がそれっぽっちかよ」みたいな印象を見物人に与えてしまう。私もそう思った。
奉納関係で目を引いたのが、けた違いの金額を納めた企業名などが刻まれた石碑だ。
1千万円単位の寄付を奉納した印だ。うらやましい。2千万円とか5千万円という数字も誇らしげに刻まれている。よほどここでの祈祷が商売繁盛につながったんだろう。
わが社もそのぐらいのお礼返しができるぐらいどかんと飛躍したいものだ。うーん、いつの日か石碑を寄進できるようになってみたい。
さて、神社仏閣への寄進もそうだが、健全に利益が上がっている企業が考えるのが寄付だ。昨今の不況風のもとでは、企業の寄付を頼りにしている各種団体やイベントが苦しい運営を迫られている。
寄付に依存せざるを得ない団体やイベントは、比較的、社会的弱者層が関わっているものが多い。こうした階層をサポートする意味でも経済が元気にならないといけない。
ましてや不況ムードを理由に不況じゃない企業まで萎縮しちゃっている風潮は困ったものだ。
知人が少し関わっている某イベントを紹介したい。私もほんの少しでも支援できるように頑張らねば。関心のある人は下記サイトを覗いてください。
http://www.son.or.jp/
2009年2月6日金曜日
眠れぬ夜
日々、ストレスと闘う経営者は睡眠導入剤とか安定剤のお世話になっている人が多い。「マイスリー」とか「デパス」あたりの錠剤は、わが家にも結構ストックがある。
なるべく使わないようにしているが、やはり、いざお世話になるとかなり効く。私程度のストレス性不眠ならコテっという感じで夢のなかに連れて行ってくれる(イヤな夢ばかり見るが・・・)。
薬に頼らず眠くなるためには、やはりアルコールの力は偉大だ。ただ、私の場合、ツマミが無いと呑めないのでちょっと問題がある。すなわち、寝る直前まで飲み食いしていると胸焼けという別な問題が起きてしまう。
薬に頼らず、アルコールに頼らず、スムーズに眠りに誘われるのは読書だろう。私の場合、昔から短編小説が好きで、これまで読んできた本もどちらかといえば短編が多い。
とはいえ、眠れぬ夜にお供してもらうには長編小説のほうが短編小説より都合がいい。短編だと一話を読み切った読後感が頭を活性化してしまう。
最近、面白かったのが、伊集院静著「羊の目」。1年ほど前の新刊時に買ったのだが、ようやく読み始めてアッと言う間に読んだ。昭和初期から現代まで続く大河小説。夜鷹が産み落とした子供が伝説の侠客となって生きていく姿を描いた作品だ。
スリリングなストーリー展開はもちろん、任侠ワールドならではの迫力ある設定や描写に圧倒された。久しぶりに物語の世界にのめり込んだ感覚に陥り、読みながら随所でタメ息が漏れた。
じっくり向き合って読む時間があれば、かなり楽しめると思う。束の間、物語の中の世界に逃避できる点で、寝付けない夜に手に取るにはオススメだ。
先日、旧友と会った際に、ひょんなことで浅田次郎作品の話になった。最近刊行された短編集「夕映え天使」をアレコレ評していたのだが、浅田ワールドが好きなつもりでいた私に旧友がダメ出しした。
「天切り松」シリーズを私が読んでいなかったことがその原因。単行本4巻に渡る長編大河だ。さすがに評判の良い作品だとは知っていたが、今まで縁がなかなった。
長編小説に惚れ直したタイミングだっただけに、叱られついでに翌日いそいそと本屋で購入。巻末の奥付を見たら、さすがに人気作品だけあって、21刷という重版表示。なんだか今まで損していた気分だ。
これが実に面白い。大正、昭和の大泥棒が江戸弁で語る数え切れないほどのエピソードの数々。市井の人々だけでなく、明治の元勲や歴史上の傑物も実名で登場し、筆者の卓越したストーリーテラーぶりが最大限に発揮されている。
アッという間にはまった。今まで縁がなかったことを悔やむより、ここから先、話の長~い展開が一から楽しめるのかと思うとワクワクする。既に読んだ人にとっては、今頃になって騒いでいる私が滑稽だろう。。
スピルバーグの映画「ET」だって、公開後20年ぐらい経ってから初めて見た私だ(おまけに感動して号泣・・・)。仕方あるまい
先日も夜更けの酒場でふと、読みかけの第1巻の内容が頭をよぎった。いい調子で葉巻をふかし、相変わらずのオールドパーを楽しんでいたのだが、脳みそが下した指令は「とっと帰ろう」。さっさと帰宅して夜更けの読書に没頭した。
寝付けない時のために習慣づけようとしている夜更けの読書。でも、没頭しすぎて結局眠れない。なんだかんだ言って最近やたらと寝不足になった。
2009年2月5日木曜日
言い訳
今日は言い訳を書こうと思う。最近、友人知人からこのブログが原因のイヤミや文句を言われることが多くなった。読んでもらうだけで感謝しないといけないのだが、皆さん辛辣だ。
「イヤミったらしい」、「何が富豪だ、バカ」、「エセリッチ・・」、「普段エロ話しかしないくせに気取ってるんじゃない」・・。まあこんな趣旨の指摘を受ける。
もともと、このブログを始めたのは、わが社のSEO対策の一環だった。いまやあらゆる業種、分野でインターネット対策の王道がブログの展開。わが社の担当者も時勢に応じた作戦を考えたわけだ。
とはいえ、自社商品のヨイショ話ばかりでは、興味を持ってもらえるはずもない。わが社のシステム担当に注文されたのは、富裕層の人が興味を持ちそうな内容に限定してくれということ。
おかげでラーメンを食べた話とか、回転寿司で感動した話とか、松屋と吉野家の牛丼比較ネタとかはNGになってしまった。
「銀座のクラブとかでエラソーな顔して呑んでるんでしょ?だったらそういう話を中心に、ウチの商品に興味を持ってもらうように話をまとめてくれ」。
考えてみたら無茶な注文だ。まさに、言うは易し・・って感じで今も苦悩中だ。
そうは言っても、元来モノを書くのが嫌いではなかったので、試行錯誤しながら続けている。いつのまにか楽しむ余裕も出てきた。時間のある時に2,3日分書きためておく習慣もついた。
このブログを見て新規のお客さんが何度か来てくれたと喜んだ店もある。人に喜ばれるのは素直に嬉しい。ただ、わが社の担当者からは、ブログの影響でわが社が潤ったという話はちっとも聞かない。ここは大問題だ。
ところで、ブログのせいで、改めて書くことの効用に気付いた。普段思っていたり、漠然と感じていたりすることは多いが、それを文字にすることで、予想以上に脳みそが整理される。
思えば長いこと原稿を書く仕事をしてきた。若かりし頃は、締め切りの関係とかで、煮詰まっていないはずの取材内容をやっつけで原稿にまとめることが多かった。
書く前は不安でも、書き始めてしまえばそれなりに形になってくる。そもそも書く仕事に完璧というものはない。充分すぎるほど取材が済んでいてもロクな原稿が書けなかったり、逆に準備不足でもそれに応じて大反響を呼ぶような記事に仕上がることだってある。
このブログについても、ネタがないなあと思っていても、ふとしたことを書き始めてしまえば、なんとか言葉はつながっていく。アノ話を書こう、こんな話を書こうなどと気負っていると逆にうまく文章が作れなかったりする。実に不思議だ。
それこそ今日は何を書きたかったのだろう。
そうだ。富豪っぽくない題材をこのブログで取り上げないことの言い訳だ。言い訳ついでに、本来富豪ではない私が今一番食べたいものを書き殴っておく。
すきやの「お好み牛玉丼」がそれ。キャベツ・かつおぶし・青のりといった具材が牛丼の具と混ざり合って、おまけにオタフクの甘辛ソースとピリ辛マヨネーズがアクセントに使われているらしい。
食べたくて食べたくて夢にまで出てくるが、いまだ味わったことがない。これ以上太っても誰も誉めてくれないだろうから我慢し続けている。自宅や会社の近所に「すきや」がないことでナントカ助かっている。
もし、禁断の味を注文することになったら、私が迷わず選んでしまうのは「特盛り」だ。すきやのホームページを見たら、特盛りは670円だという。そんな値段で幸せが買えるなら何個でも食べたい。
でもカロリー表示にビックリ。なんと1277kcal。摂取所要時間は私の場合、7~8分だろう。
やはりヤメておこう。
2009年2月4日水曜日
銀座 割烹とんぼ
銀座に数え切れないほど存在する割烹系料理屋さん。雑居ビルの上層階や地下にひっそりたたずむ店だと、やはり一見では入りにくい。
実際に入ってしまえば、そんなに肩の凝らない居心地の良い店も多いのだが、飛び込みで開拓するのはちょっと面倒、結局、美味しく快適に過ごせる店に足は向いてしまう。
8丁目の通称ポルシェビルにある「割烹とんぼ」もそうした「美味しくて快適な店」だ。端的に言って銀座っぽいお店。他の街ではちょっと成り立たない感じかも。ホームページがリニューアルしていたので貼っておこう。
http://www.kappoutonbo.com/ginza/
ママさんはじめ、接客にあたる女性陣は全員が和装で実にしっとりとした風情。店の作り、置いてある花、全体の空気が清々しい。
先日数ヶ月ぶりに訪ねた。いつも一人か二人でのんびりカウンターを止まり木にしていることが多いが、この時は4人で押しかけた。
お座敷には先約があり、テーブル席に陣取った。もうひとつのテーブル席にも3,4人連れのお客さんがいたので、珍しくこの日はグループ客が集合した感じ。やかましい4人組としては逆に安堵する。
だいぶ昔に入れたままのボトルも保存しておいてくれた。恐縮する。おまけにこの日は、中途半端な時間だったこともあり、本来の食事コースとは違うケチな予算で仕切ってもらった。また恐縮する。
結局、4人でかなり騒いでしまった。恐縮する。ついでにいえば、場所柄をわきまえない相当に下品な話で盛り上がった。恐縮する。
まあ私が使う「恐縮する」という言葉は、いつも口先だけみたいなので仕方ない。若気の至りということで許してもらおう。若気・・、言ったもん勝ちだろう。
正直この日は、純粋に飲み屋さん的に使わせてもらったが、適度にタイミングを見て出してもらう食べ物は、相変わらず美味。呑み助相手といえども誠実かつ丁寧に料理された品々を出してもらった。
上品な味わいだが、しっかりとした出汁のおかげでホッコリした気分になったのが、梅干し入り茶碗蒸し。素直に大人の胃袋を癒してくれる。餡がかかった海老芋(だったと思う)饅頭も味付けが乱暴ではなく、実にいい頃合い。
刺身も極めて真っ当。ゴマ豆腐(だったと思う)もその他の酒肴とのバランスがよく、ついついペロペロ食べてしまった。結構酔っていたので、出された食べ物のラインナップが正しいかどうか少し自信がない。ほかにも食べた気がするが、ちょっと覚えていない。
丁寧に誠実に仕事をしているであろう板前さんににとっては、迷惑な客だろう。今度改めてしっかり味わいに行かねばと思う。
酔っぱらいだった私がアレコレ書いても説得力がないが、全体に料理の味付けが優しい。とくに甘みの使い方がバッチグー。砂糖的甘みというより旨味に近い甘みが板前さんのテクニックなんだと思う。
向島芸者出身のママさんも下品全開の我々の席に対して、あきれながらも楽しく相手をしてくれる。
帰り際、ママさんから私の印象が変わったと言われた。
「もっと固い人だと思ってました」。
いままで、この店を一人でふらっと訪ねる時は、きっとエラソーに気取っていたのだろう。
でも固い人に思われるのって、この年齢になると妙に嬉しかったりする。いい大人が石田純一みたいにバリバリ軟派野郎では格好が悪い。
今年はカタブツと思われるぐらいマジメに行動することにしよう。
余計なところを固くするチャンスが無くならない程度に・・。
2009年2月3日火曜日
お通夜の時間
今年に入ってから2回ばかりお通夜に出かけた。冠婚葬祭のなかでも葬の部分は、どうしても笑顔とは無縁なせつない時間だ。
と言いながら、不謹慎覚悟で白状すると、今年うかがったお通夜では2回とも結構笑顔になる時間が多かった。
もちろん、焼香させていただく際は、ご遺族の心痛を思い、切なく辛い気持ちになって笑顔などは出ない。ただ、そのあとに用意された席では事情は変わる。
プライベートの友人知人関係のご葬儀であれば、弔問に集まる顔ぶれも当然内輪の知り合いが多くなる。懐かしい顔に出会ってわいわいガヤガヤ。故人のこと、ご遺族のことを語りながら、次第にアルコールも手伝って昔話に顔がほころぶ。いつのまにか宴会状態になる。
以前、身内の葬儀の際に、坊さんから言われた。「楽しく賑やかに送ってあげることが供養です」。その坊さん自身、楽しそうに酒を呑んでいた。若かったこともあって何か妙な気持ちがしたが、お通夜という場面は確かに闇雲にシンミリしているだけでは正しくないのは確かだろう。
お通夜の席にたくさんの人が集まること自体が、故人の御遺徳だ。お通夜の席で久しく会っていなかった知り合い同士が旧交を温めたりできるのは、まさに仏様のお導きなのだろう。信仰心の薄い私でも本当にそんな気がする。
同じ学校に長く通った友人の父上のお通夜では、大勢の旧友と合流した。おまけに私の幼稚園時代の恩師にまで会った。ウン十年ぶりだ。小学校時代の野球部顧問の先生にも会えた。
お通夜という場面が無ければ顔を合わせなかったような人と接点が生まれることは、その日のお通夜に限った話ではない。その日とは別のお通夜の席でも、お互い名前は知っていたがお会いしたことのない人と話すことができた。
人の輪というか、つながりみたいなものを再認識させられる独特の効果が、故人を偲ぶあのような場面には宿っているのだろう。
私自身、いずれやってくる自分のお通夜を考えてみると、やっぱりいろんな人がわいわいガヤガヤやってたほうが嬉しいと思う。変な表現だが楽しんでもらえたら嬉しい。一応、少しは私を偲んでもらいたいが、集まった人が賑やかに過ごせればこっちも気が楽だ。
そういえば私が敬愛する寅さんも映画のなかで言っていた。「ホトケほっとけ」。法要の場をいつも笑わせてしまう寅さんの主義は、前述した坊さんの話と同じ。賑やかに送ることが供養であり、残された人達がいつまでもクヨクヨしていたら故人だって困るという趣旨だ。
ところで友人の父上のお通夜は銀座に近い場所で行われた。お通夜のあと、なんだかんだ言いながら悪友達と連れだって銀座でハシゴ酒。喪服姿で泥酔。
不謹慎かつしょうもない自分を反省。
2009年2月2日月曜日
日税連前会長 記者の仕事
比較的地味なイメージの税理士業界に降ってわいたスキャンダル(詳細は1月16日付けのこのブログをご参照)。
税理士業界を専門に取り上げる唯一の新聞を発行しているわが社にも様々な情報が寄せられている。
生保の不正契約というテクニカルな話題がニュース報道の柱だが、税理士会の全国組織トップを務めた人物をめぐる話題もくっついていた。
各地でこの時期行われている賀詞交歓会では、税理士の間でこの話題が熱く取り上げられているが、興味の中心は、どちらかといえば「前会長」に関するもの。
平たくいえば夫人が絡んだ副業的な部分でアレコレあったことが取りざたされている。
http://www.asahi.com/national/update/0117/TKY200901160344.html
ところで、一般的に“ひとかどの人物”であれば、集まる情報や持ちかけられる話はバラエティーに富む。ビジネス面でメリットのある話なら有難く有効活用するのが普通だ。
当たり前の話だが、どんな世界でも上昇志向を強く持ち、上昇している人には、それに見合った話が飛び込んでくる。逆に言えば、上昇していない人、上昇する見込みのない人のもとには、そんな話はやってこない。
経営者、事業家も同じだろう。うさん臭い話もひっくるめて「ネタ」を持ち込まれる頻度が多い人ほど他人様から見込まれているわけだ。
まあ見込まれるというか狙われているとも言えるが、ある意味、狙われるぐらいじゃないと成功も手に入らない。
不思議なもので、好調な時ほど「ネタ」はやってくる。何の因果か循環かわからないが、「流れ」ってそういうものだ。
スランプの時には、ロクな話が持ち込まれない。いかにしてマトモな「ネタ」が集まる状態に自分を置いておけるかが大事なことだと思う。
なんか精神論みたいになってしまった。噛み砕いてバカ話風に言えば、異性からのモテ方に波があるようなものだろう。不思議なもので、モテない時とモテる時ってなぜだか連鎖反応が起きる。
また、怪しげな話を書き始めそうになってきたので、この辺にしておこう。
ところで、冒頭の税理士業界の騒動だが、周辺取材をしている担当記者からの報告だと、取材相手が突然泣き出したり、突然脅してきたり、なかなか賑やかなようだ。
事件に絡んだような内容で記者が動く話は、たいてい人間の“業”が絡んでいる。「人間交差点」みたいになんともビミョーな話が多い。
活字にする話、活字にしたいけど確証があと一歩足りない話、活字にすると厄介な話、あれこれと情報整理が必要になる。
個人的な感傷で恐縮だが、最近、現場記者やデスクから持ち込まれる微妙な表現や記事構成の視点などに関する相談が減っている。これって現場記者が素材を攻めきっていない、守りに入ってしまっていることでもある。
本来なら判断をせまられるこちらが苦悩する頻度が多くないとダメだ。私自身が諸事情に考慮して取材や記事作成にブレーキをかけたり、胃が溶けそうになるような相談・打診を多く受けるようになれば、現場記者の仕事は鋭いということになる。
当然それに比例して記事そのものも面白くなる。そう考えるともっと現場記者のお尻をひっぱたかないといけない。
今日は自分を叱咤するような内容になってしまった。