ひょんなことで先週の平日、温泉宿で1泊する機会があった。伊豆の伊東で会社関係のヤボ用があったので、どうせなら泊まってしまおうと企んだ。
ここ数年、“一人温泉”が妙に好きになった私だ。伊東ではかつて「いずみ荘」、「青山やまと」に出かけた。サウナがある宿が条件なので選択肢は限られる。
行ったことのある宿にするか、初訪問の宿にするかチョット悩む。「陶心庵米屋」と伊豆高原側の「坐漁荘」を候補にした。平日なので割増料金を払えば一人でもウェルカムらしい。
こういうことを悩んでいるうちが旅の楽しみだ。ウジウジ決めきれないのが楽しい。そうこうしているうちに“面倒くさがり病”が頭をもたげる。
チェックアウト後に出社することを考えると東京に近いほうがいい。なんだかんだ悩んだことはまったく無意味となって、結局熱海に足を向けた。
熱海では「大観荘」だ。もう5回ぐらい行っただろうか。文句をつけたい点もあることはあるが、私にとって妙に居心地が良い宿。メシ良し、風呂良し、サウナ良し、眺めや庭の感じもいい感じ。

最近ハヤリの格好いい和モダンの高級旅館にも興味はあるが、やはり伝統が醸し出す雰囲気はポッと出の宿とは一線を画す。
客層もミーちゃんハーちゃんはいない。大声で携帯と話しているテカテカした御仁もいない。のんびり現実逃避するにはバッチリだ。
部屋も広く、海の眺めも気持ちがよい。各部屋にはマッサージチェアもある。気取らずにジジイムードに浸れる。
古いだけでなく、適度なリノベーションもしっかり行われていて、昨年には個室食事処が誕生。これはこれで効率的。部屋に臭いが残らないし、布団敷きのタイミングも気にならない。

大観荘の食事は安定感がある。奇をてらった創作料理みたいなものは無い。キチンとしたマトモなメニューが揃う。前菜類もマトモ、刺身もマトモ、お吸い物もマトモ。こういうマトモさは結局、客に対する誠実さだ。

牛肉と蕨の小鍋仕立てもカキと白身魚の南蛮漬けも味付けの加減が至極マトモ。ミョウガの酢漬けなんかも酢加減がバッチリ。ちゃんとした料理人がちゃんと作ってるんだと思う。
ちょっと誉めすぎか。まあ悪く言えば「印象に残らない味」とも表現できる。そうは言っても「印象に残らない味」ってある意味誉め言葉かも知れない。変にインパクトの強い料理が苦手な人なら満足できる。
シメのご飯は春っぽいちらし寿司。デザートはそのまんまのイチゴ、キウイに少量のヨーグルトムース。ゴタゴタしたスイーツが苦手な私にはそういう単純さが良い。
朝飯しかり。丁寧に味付けされた味噌汁、温かいまま供されるアジの干物、たらこ、蒲鉾、小鍋の湯豆腐、ひじき、漬け物、そのほか諸々。何だか分からない食べ物がまったくない。とはいえ、それぞれの味付けや素材が上等だから実にホッコリする。
単純を貫くことは基本的なレベルが高水準だからこそ可能なんだと思う。
やっぱり少し誉めすぎだ。あえて悪く言えば、旅行に「ハレの日」的な高揚感を求める人には地味すぎる宿かもしれない。
肝心の温泉は大浴場が3カ所。それぞれにサウナが併設されている。これって貴重だ。3カ所とも昔ながらの高温ドライサウナ。ミストサウナとか低温サウナとかインチキみたいなサウナじゃないことが私にとっては最高。
遠くに海の絶景が眺められる貸切の露天風呂も3カ所。そのほか私のお気に入りが「温泉床」。蒸し風呂みたいなものだ。
スノコの上で横になる。下には熱い温泉が流れていて湯気が心地よい。顔だけ外に出るような形のかまぼこ形のカバーをかぶせられてローストされる。いや蒸される。
iPodを耳に入れてしばし蒸される。砂蒸し風呂のような感じだ。ジンワリ温まって15分もするとビシバシと発汗。基本は30分だが、15分ほど延長してもらう。
蒸しすぎで、すっかり余計な脂を落とされた鶏肉のような気分になれる。そういう気分になりたい人にはオススメだ。
なんかダラダラ書き殴ってしまった。それにしても平日の温泉宿はノンビリできる。やはり命の洗濯は平日に限る。
2010年3月15日月曜日
熱海
2010年3月12日金曜日
恥知らず
もはや犯罪と表現しないと不自然だろう。国交省が管轄する空港需要予測のデタラメぶりは異常だ。予測と実績が比較できる72カ所の空港のうち、9割が需要予測を下回ったとか。
年間利用予測37万人に対して実際の利用者が5万人弱だった北海道の紋別空港をはじめ、予測に対して実績が2割にも満たない空港がゴロゴロ。滅茶苦茶な話。
テレビや新聞もさかんに批判的な報道を展開していたが、これも一種の風物詩。批判する方もされるほうも慣れっこになっているだけ。
批判すら気にしない悪人どもには「罰」という観点で対処すべきだろう。あまりにも無責任。民間企業がここまでひどい予測をもとにプロジェクトを失敗させたら、ハラを切る人間が出る。
建設ありきで数字をでっち上げ、再検討をしないまま「きっと予測通りになるはず」と傍観する極悪体質。誘致した首長や関係者も空港完成後数年もすれば勇退や人事異動で我関せずを決め込む。誰も責任を取らないし、責任を取らせる制度も風土もない。
日本航空の破綻だって、赤字路線を渋々飛んでいたことが要因のひとつ。結局回り回って、税金投入という事態になって該当地域以外にもツケがまわってくる。
空港に限らず、高速道路や無用な橋なんかの道路関係でも昔から大甘な需要予測の弊害は指摘され続けている。
族議員の介入、ヒモつき政治献金、官僚の天下りという“ズブズブシステム”がもたらす構造的な犯罪だ。このあたりを正すことを期待されて政権の座についた民主党だが、一向に斬り込む気配がない。
同じ税金でも、納める税金はわずかなミスにも加算税という罰がつく。悪質で高額な脱税なら刑事事件として立件され、懲役刑も用意されている。
一方の使われる税金はどうだ。意図的なウソデータを作り上げて、それを根拠にムダ遣いしても罪にならない。納税者をバカにした話。
国交省航空局の言い分がまた凄まじい。
「空港によっていろんな事情があり、一概に需要予測が甘かったとはいえない」。
傲慢不遜極まりなくてビックリする、居直りと言うにはあまりにふざけた内容。まさにバカにつける薬はない。
税金のムダをチェックする会計検査院という組織があるが、役所のふざけたムダ遣いを見つけても、基本的にはその悪事を「指摘」するだけであり、極悪脱税犯がとっ捕まった時に比べれば屁のカッパだ。
西洋の「罪の文化」に対して「恥の文化」と表現されてきた日本の国民性。いまや中央省庁が先頭に立ってウソとデタラメを繰り返す「恥知らずの文化」になってしまった。
2010年3月10日水曜日
2億円
2億円が当たってしまう予定なので、使い道を思案中だ。
先日、ジャンボ宝くじを思いつきで6千円分も買ってしまった。年末ジャンボは9千円も買ったのに600円しか当たらなかったから今度はきっと大当たりだ。
宝くじを買った日、子供を二人連れてノンビリ散歩していた。すると、わが家の息子と同じダウン症のお子さんを連れたお母さんが宝くじ売場に入っていくのを目撃。
ダウン症の子が生まれる確率は古今東西千分の1だ。確率論的にそういう境遇の親子が接近遭遇するのは珍しい。ましてやそんな強運?なお母さんが買いに行った売場だ。同じく強運の私もあやかろうと後に続いたわけだ。
先月のこのブログでダウン症の我が息子が「福子」だとか書いてしまった以上、立証責任は私にある。
これまで3年以上もの間、わが子は私に幸福や教訓をいくつも運んでくれた。しかし、いまだに富は運んでこない。今回はチャンスだろう。きっと。
動き回りたいさかりの我が家のダウンちゃんに引っ張り回されていたので、娘に買い方を任せた。娘の選択はバラ10枚と連番10枚。娘には「当たったら半額やる」と宣言した。
小学校低学年の娘は宝くじの仕組みもよく知らないし、それ以前に金額的な概念がまだ育っていない。
「いくら当たるのか?」と聞かれたので「2億円だ」と答えたところ「1億円が私のものね」と答える。
「Wiiのソフトは10本ぐらい買えるのか」と聞かれたので「千本でも買えるぞ」と答えたら満面の笑みだ。
娘に1億円を取られてしまうので、私も1億円しかもらえないことになる。ちょっと早まったようだ。簡単に1億円を失ってしまう。
ちなみに出資者が私、クジを選んだのが娘だった場合、当たった賞金から1億円を娘にくれてやったら贈与税とかがかかるのだろうか?ちょっと悩む。
まあ、総理大臣の贈与税脱税も見逃されるぐらいだから心配はないだろう。
さてさて1億円なり2億円が当たったらどう使おうか?こういう妄想は誰もが一度はしたはずだ。
貯金するという選択は話が面白くないので、貯金以外でアレコレ考えてみた。結局、土地を買うとか金地金を買うとか、そういう夢のない結論になってしまう。それも面白くない。
本気で考えてみた。
そのうえで出た答えは次のようなもの。
「会社に5千万円プレゼントする変わりに1年間まるまる休暇をもらって世界中を放浪」。
なかなか良い選択だ。なぜ5千万円も払わねばならないのか良く分からないが、そのぐらい払っておけば安心だろう。誰に遠慮することもない。「すいません、ちょっと休暇を」などと低姿勢にならずに堂々と威張って戦線離脱できそうだ。
家族は基本的に留守番だ。学校とかがあるし。しょうがないから夏休みと正月ぐらいは私の滞在地に呼び寄せてやろう。
何かこんな妄想を書き連ねていたら切なくなってきた。そんなヒマがあったらとっとと労働しないといけない。
それでもやっぱり考えてしまう。世界放浪の次はどうしよう?ハンサムスーツでも買ってモテモテ人生でも歩もうか。。。
この辺にしておこう。どうもストレスがたまっているようだ。
2010年3月8日月曜日
邪道は美味しい
邪道などというと大げさだが、普段食べているジャンルのものに一ひねり加えるだけで妙に嬉しくなることがある。
お寿司屋さんの突出しがウマかったら、軍艦巻きのネタにして握りで食べるといった程度の一ひねりだ。
私にとってこのパターンの代表が「ツナ軍艦」だ。高田馬場・鮨源で一定の周期で作られている突き出し用のツナサラダが主役。寿司ネタとしては、本来邪道なんだろうが、ウマいんだからしょうがない。
本マグロなど極上のマグロを二次利用したツナだからマズいはずがない。いつもコンモリと盛ってもらってチョロッと醤油を垂らしてペロリだ。
先日は、ホタテの身やヒモ、キモなんかを混ぜ合わせてマヨ風味にした突出しが出たので、懲りずに軍艦巻きで食べた。お土産として持ち帰ったほど。
こちらのお店では、生きた車海老でエビフライを作ってもらったり、クジラで竜田揚げを頼んだり、ホッキ貝をバター焼にしてもらったりとアレコレとわがままオーダーをしている。
先日は、厚岸の小ぶりなカキをバター焼にしてもらった。生で食べられるカキをバター焼で堪能するわけだから贅沢だ。
カキから滲み出たエキスがバターと混ざり合う。そんな極上の“残り汁”が小皿に浮かんでいる。
飲み干したい、なめ回したい感覚で睨んでいたら、優しい板さんが即席リゾットにしてくれた。
残り汁に寿司飯を投入して、ちょっと炙ってくれた。そりゃウマいはずだ。カキの旨味エキスとバターのコク、ほんのり酸味のシャリ、ちょこっと焦げた風味がミックスされる。邪道バンザイだ!
この日、邪道ついでに海苔の変わりに脂ののったサーモンで“イクラ親子軍艦”を作ってもらった。回転寿司的な見た目だが、それぞれの素材が上等だとさすがにウマい。
邪道バンザイだ。
邪道というほどではないが、ウニもちょっとひねってみた。ミョウバンのない極上の甘~いウニがあったので、バクバク食べたいが、健康を考えるとそうもいかない。
1貫だけで我慢したのだが、シャリをほんの少しにしてもらって、ウニだけはアンバランスなほどに盛ってもらった。
ウマい寿司は、ネタとシャリのバランスが合っていることが絶対条件というのが一般常識だ。そんなことは百も承知だが、上等なウニやイクラだったら、あえて常識なんてけっ飛ばしたくなる。
口中に広がるウニ、ウニ、ウニ。思い出したかのように時たまシャリの存在を感じる。おまけみたいなシャリがアクセントになってウニを引き立たせる。邪道バンザイだ。
最後はスーパーカッパ巻きだ。邪道というにはおとなしい組み合わせだが、普通のカッパ巻きにすりゴマをヤケクソのように投入するのがスーパーの由来だ。
電動擂りゴマ機がないと作れない一品だ。ひと言で言って気が狂ったぐらいゴマを投入する。キュウリが口の中で主役にならないようにゴマだらけにする。
口の中が大げさではなくモゴモゴするぐらいの感じだ。正直変な食べ物だと思う。でも無性にこれが食べたくなる時が私にはある。
いっぱい噛んでいるとゴマだんごを食べているかのような錯覚すらある。最後の一品に最適だ。
以前は、気が狂ったかのように辛いかんぴょうわさび巻きをシメに食べることが多かったが、最近は涙腺がゆるくなったので食べていない。
あれもあれで最高なのだが、あまりにワサビが効いていると、一瞬にして酔いが覚めてしまう。寿司デートの後に、酔ったままでは上手くいかない行為を予定している時にはオススメだ。
話がそれた。結局、どんな世界でも一ひねりは大事でしょう。
2010年3月5日金曜日
クルマ・ヒエラルキー
政治力学によるパフォーマンスにしか見えない米中によるトヨタバッシング。嵐が去るのをじっと待つしかないのだろう。
ということで今日はクルマの話題を書く。
旅先や出張先でレンタカーを利用することが多い。たいてい小回りのきく1500~1800㏄クラスを選ぶ。このクラスも昔に比べれば随分ガッチリ感が増した。高速を飛ばしても恐くない程度には進化している。
とはいっても、この手のクルマに乗っていると、やはり厳然たる車社会のヒエラルキーを痛感する。追い越しや割り込みなどの場面で、高級車から虫けらのように扱われる。
技術の進歩によって小型車の安全性も上昇しているが、真の安全性はそういう物理的なものとは別次元だと思う。
ムリな追い越しや割り込みをされないような雰囲気を漂わしていることこそが最高の安全策。やはり、しみったれたクルマは危険だ。「車格」はつくづく大事。
だからメルセデスの安全性には説得力がある。私だって小ベンツはともかく、Sクラスをあおったりはしない。無意識に線引きをする。
私のようなマニアではない人間にとって、クルマは結局のところ面構えがすべてなのかもしれない。
私もその昔はクルマ好きだったのだが、30代後半ぐらいから随分と冷めてきた。きっと飲酒量の増加と関係があるのだろう。昔と違ってクルマと酒は両立できなくなってしまった(本来それが当たり前だ!)。
新車、中古車あわせて相当の数のクルマに乗ってきた。長く持ってしまうと下取りの関係で損なので頻繁に変えていた時期もある。
国産はもちろん、ドイツ車、イギリス車、アメ車、イタ車・・・、思えば凄い数のクルマに乗ったような気がする。
セダンにクーペ、ワゴンにオープンカーに四駆・・・、何でもありだった。今ではあまり強いこだわりはないのだが、最近の高級車市場の傾向はちょっと興味深い。
エレガントなクルマ、スポーティーなクルマといえば2ドアが普通だったが、最近は事情が一変。セダンのプレステージ感にクーペのエレガントさをミックスした高級車が続々登場している。
きっかけはメルセデスのCLSシリーズの成功だ。Eクラスじゃ中途半端、かといってSクラスもジジくさいという人々に圧倒的な支持を得たCLSは確かに独特のデザイン。いい感じだ。
BMWも次期8シリーズとして色っぽい4ドアクーペを出すみたいだし、アウディも今年登場予定のA7がその路線だ。
各メーカーが次々にSUVを市場に投入したのと似たような状況だ。SUVといえば、その昔は一種のオタクのシンボルだった“四駆”が発展したもの。ポルシェですらカイエンを投入して大当たりした。
その昔“四駆小僧”だった私も、5年ぐらい前にカイエンに乗っていた時期があったが、あまり好きになれずにすぐに手放してしまった。「四駆なのにエレガントで速い」ことがちょっと不気味だった。
最近の「スポーティー4ドアクーペ」なら私が感じた不気味な感じはない。単純にカッコイイ。そうはいっても運転席の頭上あたりが大柄な人間には少し窮屈なんだろうか。
4ドアクーペの中でもデザイン的に抜きんでているのがアストンマーチン・ラピード。無条件にセクシーだ。
http://www.asahi.com/car/newcar/TKY201002050178.html
10年ぐらい前、ジャガーのXK8に魅せられ、しばし愛用していたことがある。アストンマーチンと同じデザインの系統だったのだが、その後継車が4ドア化したわけだから気になる存在。いつかは手に入れてみたいと思う。でも高い・・・。
そういえばポルシェ初の4ドア車であるパナメーラというのもある。個人的にはあの顔が好きじゃないのだが、売れてるのだろうか。
ちなみにランボルギーニまでもが4ドア市場に参入するらしい。いにしえのスーパーカーブームを記憶している人間にとってはビックリ仰天ではある。
http://www.goo-net.com/goo_news/news_category9/n_number993.html
さてさて、高級車といえば日本の制度・慣例上、個人名義よりも会社名義で購入されるケースが多い。メルセデスのSクラスなど大半が法人所有だ。
社用車の世界で昔からポイントになっているのが税務署の視線。高価すぎるとか、個人の趣味嗜好が強すぎるクルマだと会社名義での経費処理にイチャモンがつくのではという危惧は少なくない。
大原則は、業務に必要で業務に利用しているのかという点に尽きるのだが、これも個別現実的に判断するしかない話。
まことしやかに囁かれているのが「2ドアはダメだ」とか「赤いクルマはマズい」みたいな話。
こうしたクルマだと社用車としての経費処理を否認されるという“伝説”があるのだが、税法上も通達上もそんな規定は存在しない。
あくまで目立つようなクルマだと税務署に目を付けられやすいという一般常識が飛び火したような表現だ。
逆説的にいえば「4ドアなら問題なし」という単純な理屈になってしまう。まあそれならそれで先ほど紹介したランボルギーニだって立派な4ドアだ。税務署が社用車としてお墨付きを与えたクルマという屁理屈が成り立ってしまう。
それもそれで妙な話だ。ちなみに税務署的視線が良く分かる経営者向きの専門新聞はコチラです。
2010年3月3日水曜日
浪漫が足りない
「景気の底にたどり着いたので、そこからは上昇するだけだ」みたいなテレビCMをよく見る。やはり景気に光が射し込まないとすべてが煮詰まったままだ。
先日、銀座8丁目の「かに道楽」にいた。何を食べたいか考えながら、ひらめくものが無いとついついベタに「かに道楽」を選ぶ。私のカニ好きは病的だ。
禁煙のテーブル席は、御門通りを見下ろす2階の窓側。金春通りあたりがまっすぐ見える。飲み屋街として銀座でも濃いエリアだが人通りがまばら。月末、天気も良く温かな日なのにそんな状態。なんとも元気がない。
街に活気がないと、そこにいるのが面白くない。わざわざ繁華街に出て行く以上、賑やかな街の空気とか、集う人々が持つエネルギーを吸収したい。陰気な空気などご免こうむりたい。

カニミソ甲羅焼とかカニ刺身を頬ばりながら、人通りを眺めるが、夜が更けてきてもまばらな状態は続く。
考えてみれば、カニ道楽あたりのレストランだって満席になっているのを見かけない。いまどき安定的に満席になる店など希少な存在だろう。予約が取れないことで有名な店を攻めるには今がよい時期なのかも知れない。
“檀家まわり”と称するクラブ活動をしていてもたいていの店が空いている。状況を“取材”してみても「厳しい」という反応ばかり。結構深刻みたいだ。
バブル崩壊後、いろいろと不景気はあったが、昨今の不況は深刻らしい。同伴客やアフターの客も激減しているとか。
客層が変わったという指摘も興味深い。あの世界独特の空気を楽しむ客が減って、プロを求めない客というか、短絡的な若い客が増えたそうだ。
口説き、口説かれ、騙し、騙されみたいなイジイジした時間なんかはまるで無意味とばかりに「ところで、ヤレるの?ヤレないの?」というストレート?な御仁ばかり増殖中らしい。
いいとか悪いとかではなく、それも時代の特徴だろう。情緒が無い、深みが無い、趣が無いなどと表現するのが適当だろうか。
ちょっと格好つけすぎかも知れないが、強いて言うなら「浪漫が足りない」。
夜の街ではいろんなフリをして、いろんなフリをされ、さまざまな思惑を交錯させながら酔っぱらうのが正しい。
突き詰めてしまえばどうってことのない男女の関係を味気ないもので終わらせないために演出しているのがあの世界だ。
街や店そのものが舞台装置であり、女性陣は女優だし、客だって、いわば男優だ。
私だって、仕事にしか興味が無いカタブツの聖人君子であり、本当はホモなのに、あの街に行けば一生懸命にスケベオヤジを演じる。女性に好かれる男になろうと演技に磨きをかけているわけだ。
安直にヤレるヤレないと騒ぐようようではせっかちすぎるし情緒もない。まさにガサツだ。男のホンネは確かにその一点にしか向いていない。それは認める。だとしても、クネクネ道をさまよってこそオトナだと思う。
クネクネ道がかったるいなら、吉原の社用族専用の超高級店に行けば良い。あれはあれで無形文化財技能保持者みたいな凄い世界であり特筆モノだ。。。と知り合いに聞いたことがある。
やはり、キチッとした住み分けも必要だろう。
だんだん話がそれてきた。今日は何を書きたかったんだろう。
そういえば、銀座方面では世相を反映してスナック的価格のお気軽なお店も増殖中。先日も新規開店のその手の店に顔を出してみた。
これも住み分けの一種だと思う。居心地が良ければお手頃価格だけに悪くない。そう言いながら初めて会った南米出身のオバサンに延々と説教されたりした。
ちょっと微妙だ。でも最近すっかりM気味の私だ。また行ってしまうのだろう。
2010年3月1日月曜日
エセ文化人
中年男にとって恥ずかしいことは教養が足りないことだろう。40年以上も生きていると、知っていて当然、知らないと間抜けみたいな事柄が増える。若い頃、若さを理由にバカを貫けたことに比べると実に厄介だ。
かといって、知らないものは知らないし、今更興味のないことを吸収するのも面倒だ。だから自分が好きなジャンルについては、多少大げさにでも詳しいフリをしてしまう。
私が好きな葉巻を例にとろう。そこそこの知識しかないのに、時に精通者然とした顔で語ってしまうことがある。なんか情けない。一種の見栄張り状態なんだろう。もっと素直にならないといけない。
そのほかに好きなジャンルといえば器の世界だ。とくに徳利やぐい呑みといった酒器には目がない。一応知識もあるほうだろう。一時期は随分と専門書なんかも読みあさった。
私の場合、ただの酒器好きなのだが、陶磁器といえば美術品的要素や歴史もある関係から世間的には“文化的なもの”という印象がある。
文化的な要素を持つ器といえば、本来は茶器を指すのが普通だ。それでも同じ陶磁器というつながりのお陰で、ただの酒器好きオヤジである私も「文化的な陶磁器というジャンルに詳しい教養のある人」と他人に錯覚してもらえる。この点はラッキーだ。
単に酒をあおるのでは飽きたらず、器を取っ替え引っ替えしたいだけのアル中オヤジが「教養のある人」に昇格できるのだから悪くない。ウッシシだ。
先日も初めて入った割烹のカウンターで「マイぐい呑み」を片手に酩酊していた。板前さんとお女将さんからマイぐい呑みの質問攻めにあい、適当に格好良いことを喋っていたら随分とヨイショされた。
ほとんどの話が受け売りだが、多少でも器に興味のある人が聞いたら面白いのだろう。私自身も興味を持ち始めた頃はそうだった。器勉強中だという板前さんにすれば面白い話だったのだろう。帰る頃にはすっかりエセ文化人のできあがりだった。
私のビジネスバックは「マイぐい呑み」を入れるためだけにあるようなもの。巾着袋に仕舞い込んだぐい呑みが常時2つは入っている。
たまに入れ替えるが、備前と唐津を用意していることが多い。上の画像は唐津の現代作家の作品でお気に入りのひとつ。少し小ぶりなので熱燗に向いている。全体に丸い感じが柔和な雰囲気で掌で遊びたくなる。
基本的には備前焼の無骨な感じが一番好きな私なのだが、気分や精神状態によっては唐津の柔らかい感じに惹かれる。いつの間にか自宅や会社で使っている湯飲みも唐津ばかりだ。
唐津焼は同じ佐賀県の有田焼と異なり、釉薬を使いながらも土そのものの味わいが特徴的な素朴で艶っぽい焼物だ。
唐津の盃の魅力は、藁灰を主とした釉薬が焼成段階で微妙に変化する点だ。暖かみのある乳白色系の肌合いに、焼成過程で鉄分などが器の表面に溶け出し、青や黒のアクセントが加わる。
釉薬を薄めにかけている作品だと土のザングリした感じが器の表面に残って微妙にぬくもりを感じる。豪快すぎず、凛としすぎず、酔うための器としては最高だ。
今まで何度も産地に直接足を運んだが、風光明媚で酒も魚も美味しい。青い海と雄大な松原が印象的だが、穏やかでありながら力強くもあるあの空気が唐津焼に独特の風合いをもたらすだろう。
なんて、いっちょまえの表現をしてしまった。文化人みたいだ。
唐津は福岡から電車に乗ってボーとしていると乗り換えもなく到着する。福岡出張のついでにちょっと時間を作って足を伸ばすことをオススメします。