2016年5月18日水曜日

なぜ半袖を着ないのか


そろそろ暑い季節が到来しそうだ。ネクタイともしばしお別れの季節である。

お役所が音頭を取ってクールビズを言いだしてから10年。夏場のノーネクタイがすっかり定番になった。

社会人に成り立ての頃、夏場のネクタイに慣れなくてホトホト困ったことを覚えている。大人達はよくもまあ拷問みたいな格好で夏場を過ごしているもんだとゲンナリした。

ここ10年か15年ぐらいで夏の暑さの質が変わった。昔は今ほど殺人的ではなかった。熱中症という言葉も聞かなかったし、学校にエアコンが設置されていることもなかった。

もともと日本の夏にスーツにネクタイというスタイルは合わないから、ノーネクタイの一般化は有難いことだ。


その昔、省エネルックという謎めいた格好を流行らせようというヘンテコな陰謀があったが、誰も相手にしなかったのには笑えた。そりゃあ無理がある。今は亡き大平さんも変なカッコさせられて気の毒だった。画像はネットから拝借しました。スイマセン。

さて、スーツにノーネクタイとなると、それ用のワイシャツを用意することになる。一般的には通常より襟を高くしたものを着ることが多い。

俗にドゥエボットーニと呼ばれるスタイルだ。直訳すれば「二つボタン」である。要はシャツの一番上のボタンをしめる箇所がボタン2個分の高さになっているという意味合いだ。

高い襟がとっちらからないようにボタンダウンやスナップダウンが定番。私も妙に襟の高いシャツを毎年のように馴染みのテーラーさんに注文している。

ノーネクタイ用だから夏用のシャツである。にもかかわらず「スーツの下のシャツは長袖」という呪縛?のせいで半袖は一枚も持っていない。

オーダーシャツだから、半袖だろうと七分袖だろうと私の好きなように注文すればいいのに常に長袖である。



私が決断さえすればノースリーブだって作れるのに毎年毎年、あと一歩の勇気が出ずにノースリーブビジネスシャツは実現していない。

「スーツの下に着るシャツは長袖じゃなきゃダメ」というのは世界的なルールである。理由など知らない。おそらくスーツの袖からシャツの袖が少し見えるスタイルを維持するためだろう。

まあ、わからなくはないが、気が狂ったような日本の夏の暑さの前では、そんな常識にとらわれているのはツラい。

実際、私も長袖のシャツの袖を3回まくって肘の辺りでまとめていることが多い。面倒だからそのままスーツの上着を羽織ることもある。当然「袖問題」は“ルール違反状態”である。

袖問題にキチンと対処できないならシャツだって思い切って半袖にすればいいのに「スーツの下に着るシャツは長袖」という呪い?のせいで、バカの一つ覚えのように長袖しか着ない。

結局は袖をまくっちゃうわけだからトンチンカンな話である。

思えば、高校生の頃も夏になっても半袖ワイシャツを着ないで長袖シャツの腕まくりスタイルで過ごすことが多かった。

理由などない。二の腕に彫り込んだ龍の入れ墨(ウソです)を隠そうとしたわけでもない。何となくその方がカッチョいいと思い込んでいたからだ。

今でこそ長袖シャツを着るのは、あくまでスーツのせいだが、ひょっとすると10代の頃のような「カッコつけ精神」を引きずっているのかもしれない。

袖を3回折り返したら肘の付近にはシャツ3枚分の生地があるわけだ。シャツを3枚も重ね着していたら暑いのも当然である。

痩せてもいないのに痩せ我慢である。

今年こそテーラーさんに薄い生地の半袖シャツをオーダーしようか。はたまた禁断のノースリーブを注文しようか。

本音ではそうしたいのだが、長年のこだわりを捨てるのが何となく怖い。それをきっかけにまるでダムが崩壊するかのように自分の身だしなみに対する気持ちが一気にグータラ方向に向かいそうである。

それにしても、たかだかシャツの袖の長さでアレコレ思い悩んでいるんだから、私の平和ボケも相当なものである。

2016年5月16日月曜日

ダウンちゃんとダメパパ


ここ2~3ヶ月、やたらと子ども達に会っている。それまでも制限されていたわけではないが、思うように会えなかった時があったことを思えば好循環である。

理由はいろいろある。そのあたりの背景に触れるとカドがたつので書かないが、とりあえずハッピーなことである。世の中に大勢いる単身赴任のお父さんなどより確実にしょっちゅう会えている。




私が住むマンションに泊まりに来ることも多い。そういう時はいつにも増して「ハッスル父ちゃん」になってしまう。いつもヘトヘトになる。困ったものだ。

最近は、娘からも私の頑張りすぎを注意される。心配もされてしまう。情けない話である。でも、妙に頑張ってしまうのが私の悪いクセだ。

自分の子ども相手に気を遣って過ごすのだからバカみたいだ。

「来て良し、帰って良し」という言葉がある。孫が訪ねてきた際の爺さん婆さんが決まって口にする言葉である。ハッスルし過ぎてクタクタになる私もチョッピリ共感する。

いや、やっぱり帰っちゃうと淋しい。でも、ちょっとホッとする気分もある。それが正直な感覚だが、ホッとしちゃう自分のことをダメ人間だ、父親失格だなどと考え過ぎてウツウツする。

結構なバカである。

なんであんなに頑張るのだろう。きっと見栄を張っているのだと思う。

パパはくすぶらずに元気に暮らしているぞ、パパはお前達のことが何より大事なんだぞ、パパと一緒だと楽しいぞ、といったアピールに必死なのだろう。我ながら御苦労なことだ。

さすがに他人行儀ではないが、娘の前ではオナラだってガマンしちゃうから完全な自然体とも言い切れない。そのあたりがバツが付いちゃった私の贖罪意識というか、一種の十字架?みたいなものなのだろう。

で、今日は下の子の話を少し書いてみたい。

このブログでも何度か書いてきたが、ダウン症の元気な男の子である。あっという間に9歳になった。もう4年生である。わんぱく盛りだ。

過去に載せた話もいくつか紹介したい。ここに載せた話以外でも直接間接にいろいろなご意見やご相談を寄せていただいた。同じような境遇になった人達にとって少しでも参考になればいいと思う。

私の場合、家庭を離脱した以上、エラそうなことは言えないが、それでも今まで感じてきたことを書くことで、少しでも誰かの役に立てばいいと思っている。とりあえず古い順にいくつか並べてみた。

ダウンちゃんとの葛藤

座敷わらし

ダウンちゃん奮戦中

ダウン症 赤ちゃんポスト

障害を持つ子ども



発育というか、成長のゆっくりさは理解しているが、それにしてもスローペースである。まだ3~4歳ぐらいに思える。いや、実際には知能的にももう少し成長しているのだが、話すことがイマイチなのでコミュニケーションの面では3歳児を相手にしているような感覚だ。

ゆっくりとはいえ、いつの間にか一人でトイレや着替えもこなすようになってきた。いずれも健常児に比べれば低レベルだが着実に進歩している。長い目で見るしかない。

言語能力については、いつもうるさいぐらいピーチクパーチク何か言っているので充分に備わっているようだが、発声や発音に大きな問題がある。これが今後の大きな課題だ。

今年に入ってから口の中の手術も受けた。発音を良くするための形成的な内容だ。全身麻酔で邪魔な部分をちょん切った。あと1、2回そんな手術が必要になるらしい。気の毒だが、幼いうちに処置した方が何かと良いそうなので頑張ってもらうしかない。

一般的にダウン症の子どもは、おっとりと穏やかで気持ちが優しいと言われる。ウチの子も3歳ぐらいまではそんな要素を感じたが、今ではいっぱしの悪ガキである。

大好物の「じゃがりこ」は他の人に取られないように抱えて食べる。1本横取りするだけでやたらと怒る。散歩中も行きたい方向に行けないとやたらと怒る。

頑固で一途というのもダウン症の傾向だが、そっちの特徴はしっかり身についている感じだ。それでも、私がクシャミや咳払いするだけで、いちいち「ダイジョブ?」と聞きに来るような優しいところは可愛い。

やりたいことしかやらない、協調性が足りない。これって考えてみれば私の子ども時代と同じである。そんな要素を受け継いじゃったのかもしれない。

親の立場としては、子どものダメな面をいちいちダウン症のせいにしてドンヨリしそうになるが、健常な子どもにだって腹をたてたり嘆いたりする。そう思えば、たいして変わりはない。

ウチのチビは散歩中にご機嫌だとやたらと見知らぬ人に愛想を振りまく。ニコヤカに反応してくれそうな人を彼なりに見抜いているのが不思議だ。

その一方で、機嫌が悪いと誰彼構わず「邪魔。どけ」とか言い出す。そういう言葉に限ってしっかり発音出来ちゃうから堪ったものではない。その都度ペコペコ頭を下げる私の身にもなって欲しいものである。

生意気盛りだから、誰よりも自分の味方であるはずの姉に対しても時に好戦的な態度をとる。勝てるはずはない。結局、姉に蹴られたりして泣いている。

つい甘やかしてしまう父親より、姉のほうがよほどシビアである。容赦せずにぶっ飛ばしている。変に甘やかすのは一種の差別意識みたいなものだから、姉の自然な姿勢が弟にとっては何よりの教育だろう。

というわけで、特に変哲もない話である。そんなものである。ことさら大袈裟に構えたところで何かが変わるわけではない。普通に受け止めるしかない。

確かにこの先の療育や進路などを考えたら悶々とする。とはいえ、健常に育っている上の子だって同じである。今後のことなど悩もうと思えばいくらでも悩める。キリがない。

投げやりという意味ではなく「なるようになる」と居直った方が建設的だし、またそうするしかないのが現実だろう。

私自身、下の子がダウン症だと宣告された時には天地がひっくり返るほどの衝撃を受けた。目の前が真っ暗になった。

あれから10年近くが過ぎ、感じ方や考え方は都度都度変わってきた。これからもまた変わっていくかもしれない。でも当初の感覚とは大きく変わっていくことだけは確かだと思う。

2016年5月13日金曜日

ギター Flower 家入レオ

  
衝動的にギターを買ってから1年半が過ぎた。ギター教室も通い続けている。亀のようにノロマな歩みだが、さすがに少しは弾けるようになった。



ここからが問題である。

私が目指していたのは「ホロ酔い加減で好きな歌をちょこっと弾きたい」というレベルである。

で、簡単な曲ならとりあえず弾けるようになった。入門者の関門と言われるFコードも鳴る。

言ってみれば「到達」ではなかろうか。喜ばしいことである。バンザイ。

昨夜も酔っぱらいながら「サントワマミー」やら「ルージュの伝言」やらの昭和歌謡から、GLAYの「BELOVED」や斉藤和義の「歩いて帰ろう」などをギター片手に熱唱していた。

凄いことだ。自画自賛である。やはり「到達」である。この1年半、血の滲む思いで(ウソです)頑張った結果である。

「ギター? ええ、弾けますよ。お聴かせしましょうか?」と田村正和ばりの口調で宣言したいところだが、さすがにそんなレベルではない。それ以前にまだまだ大きな関門が待っている。アルペジオなどの指弾きである。

今まで敵前逃亡するかのように指弾きを敬遠してきた。ストロークならあれこれとパターンを変えることも出来るようになったが、ポロリン、ピロリーンと1本ずつ右手の指を動かすのは大変だ。

つくづく1年半前から少しずつ練習しておけば良かったと思う。どう逆立ちしたって私は無器用だ。

靴ひもを結べるようになったのは誰よりも遅いし、今だにネクタイを結ぶ際はいったん口にくわえるという段取りを踏まないと上手くいかない。

そんな私が指を細かく動かして演奏するなんて想像すら出来ない。

「あんな神経質野郎みたいなミミっちいことが出来るかってんだ!コノヤロー」と啖呵を切って(ウソです)指弾きにトライしてこなかったツケだ。

1年半も続けているのに指弾きがちっとも出来ないことは異常である。1年半ゴルフに励んでいるのに毎度空振りするぐらいヘタレた話みたいだ。

すなわち、ちっとも「到達」していないわけだ。困ったものである。


さすがにそろそろ指弾きの世界に集中しないとなるまい。かなり憂鬱である。

この「憂鬱」が怖い。楽しみたくて始めたのに憂鬱を乗り越えないと楽しめない。憂鬱だと感じない精神コントロールの方法は無いものだろうか。

部活でもないし、試験があるわけでもない。衝動的に始めたわけだから憂鬱に負けるとギターをやめちゃいかねない。それが怖い。びびっている。

憂鬱である。

そんな堂々めぐりを書き殴っても仕方がない。音楽つながりで話題を変える。

イマドキの音楽にあまり興味がないのは中高年に共通する特徴である。どうしても自分達が若い時代に馴染んだ曲ばかり聴きたくなる。

私も同じだが、思春期の子供を持つ親だから、親子の会話の中でイマドキの歌を教わる機会もある。

キーキーヒーヒー、首を締め上げられたように歌うようなオネエサンボーカルの歌い方や妙に底の浅い印象の歌詞に苦手意識があるのだが、それはそれ。時にはハマる曲もある。

いくつか紹介してみたい。まずはギターの練習用に聴いているうちに好きになった「ちっぽけな愛のうた」。

佐藤健主演の3年ほど前の映画の劇中歌として腕っこきプロデューサーの亀田誠治が作った曲。


次は森本レオとの関係性が気になる家入レオの曲。恋愛ドラマの主題歌になった「君がくれた夏」がヒットしたが、こっちの曲のほうがギターのストローク練習には都合が良い。


続いてはFlowerの「瞳の奥の銀河」という曲。この人達はEXILEの孫会社のような存在らしい。そのあたりの解説は娘に改めて教わらないと分からない。

プリプリとお尻を振って踊るのが仕事の人達かと思っていたが、この曲はメロディーラインが綺麗でグッときた。

個人的にはこんなシャリシャリした感じではなく、アコースティックなアレンジで聴いてみたい。

もっと言えば曲調に合う声質のボーカルが歌ったら更にグッとくるような気がする。ファンの人、すいません。でもとてもナイスな曲だと思う。


ということで、Flowerの曲に萌える50歳である。今風に表現するなら、ちょっとキモい。

2016年5月11日水曜日

ラビスタ阿寒川 タンチョウの赤ちゃん


「ただ川と温泉だけの森に-」

そんなキャッチフレーズに惹かれて,、連休の後半に阿寒湖の近くの宿に出かけてきた。

ゴールデンウィークに入ってから手配したのだが、釧路空港への飛行機も宿もスムーズに取れた。


空港からレンタカーを飛ばして1時間、ホントに何もない所に宿はあった。「ラビスタ阿寒川」というホテルがそれ。

各地に個性的なビジネスホテルや和モダンをウリにした宿を運営するグループ企業が昨年オープンさせたらしい。

鄙びた純和風の宿のほうがピッタリしそうな立地に「旅館のようなビジネスホテル」が突如現れたような風情である。

全体に清潔で快適。どちらかといえば若い人向けだろう。高級感や凜とした感じは無いが、カジュアルに温泉を楽しむにはちょうど良い。


部屋の窓側にはベンチが設置され、この宿のウリである川の眺めを楽しめる。部屋の風呂もリバービューだが、安アパートのユニットバス並みに小さい。せっかく掛け流しの温泉が引かれているのに残念。

その分、露天風呂付きの大浴場の他、予約不要の貸し切り風呂が3カ所用意されていた。眺めの良いサウナもあって嬉しい。



立地から考えて大浴場はもっと大きくても良さそうだが微妙に小じんまり。なんとなく全体的に窮屈な印象はぬぐえなかった。まあ混雑していなかったので問題なし。


貸し切り風呂も空いていればいつでも入れるし、予約不要だから手軽で有難い。夕方、夜、朝と3回も入った。窓を開ければ露天気分も楽しめる。

温泉に浸かりながら当たり前のように出没する鹿を楽しめるのも辺鄙な立地ゆえの特権だ。都会育ちなら間違いなく興奮する。私も興奮した。そんな非日常感が旅の醍醐味だろう。


レストランでの夕飯の際にも窓の外の川辺に大量の鹿が登場。餌付けしているわけではなく、宿が出来る前からこの辺りを縄張りにしていたそうだ。

でも、あまり大量に登場すると希少性が薄らぐ。ちっとも興奮しなくなる。ワガママなものである。

夕飯は場所が場所だけに期待していなかったのだが、品数も多いし、一品ずつ運ばれてくる。オジサマ族にとってはクドいものも多かったが、ボリュームもあって若い人なら満足だろう。



何だかんだ言って一番印象的だったのが「寒さ」である。東京が25度ぐらいあった日に最高気温は12度。さすが釧路方面である。温泉に入り浸るには最高だった。

釧路エリアはいつでも気温が低い。夏場でも他のエリアより涼しい。夏場だけ避暑目的で長く滞在する人も多い場所である。

それなりに厚着で出かけたのだが、外にしばらくいるとしばれる。冬を思い出すように冷える。

名物のタンチョウヅルを見に行った時も寒くて寒くて「さすが北海道!」とトンチンカンな感想を漏らした次第である。


今回は丹頂鶴自然公園で運良く生まれたばかりで公開初日のヒナを見ることが出来た。

チョロチョロと親の傍に隠れがちなヒナを見るために長々と寒空に立っていたから身体の芯まで冷えてしまった。まあ、これも一種の非日常である。


真ん中の茶色い個体がヒナ。スマホのカメラではこれが限界。遠くから見ていると単なるヒヨコである。でも、ヒョコヒョコ歩いている姿は実に愛らしかった。

ちなみに、自然公園やツルセンターで真冬の雪原に踊るタンチョウの美しい写真をいっぱい見て妙に興奮してしまった。

おかげで、冬になったら一眼に望遠レンズを装着してタンチョウの写真を撮影したいという欲求がフツフツと湧いてきてしまった。

老後の趣味は「全国の城めぐり」にしようと思っていたのに「真冬のバードウォッチング」も捨てがたい。

数年前に流氷見学に行った際に見た憧れのオオワシもまともに撮影できたことがない。

「タンチョウとオオワシ」がやたらと気になり始めた。最近、水中写真撮影をサボり続けてカメラ機材にお金を使わなくなっていたのに、実にヤバい流れである。

2016年5月9日月曜日

畳の部屋 い草の香り


ラベンダー、オレンジ、バニラ。どれも好きな香りである。しょっちゅうではないが、それらのアロマエッセンスやその時の気分に応じたお香などを買ってきては部屋の中で陶然とする。

香りの効果はなかなか侮れない。ホゲ~っと心からリラックスできる。心地良い香りがする場所にいると立ち去りがたい。

色気のない話だが、鰻屋さんの前で鼻をひくひくさせながら佇んでいると、しばし動きたくなくなる。

雨上がりの緑が発する独特の香りや金木犀がフワッと香る瞬間なども時間を止めたくなる。

そんな香りの魔力を強く感じるものの一つが畳だろう。い草の香りである。癒やされる。


畳が身の回りに溢れていた頃はさほど意識しなかったが、今は暮らしの中に畳がないので、旅先の旅館であの香りに接すると一瞬でホゲ~とした気分になる。郷愁という言葉を実感する。

いま住んでいるマンションには和室がない。遺産分割、いや財産分与で手放した前の家にもアジアンモダン調に仕立てた板の間の部屋はあったが畳はなかった。かれこれもう20年近く畳とは無縁になってしまった。

時々は仏壇に線香を上げに行く実家も、15年ぐらい前にベルサイユ宮殿を模して(ウソです)建て直してしまったので今は和室がない。

今の世の中、ダイニングテーブルと椅子、ソファにベッドという暮らしだから、畳が無くても不便はない。それでも中高年になってくるとDNAのせいなのか、無性に畳の部屋の香りが恋しくなる。

若い頃にはピンとこなかった演歌が染みるようになってくるのと同じ感覚だ。お吸い物に入っている三つ葉をよけずに食べるようになったのとも同じ感覚だろう。

なんか違うような気もする・・・。

先日も、多くの旅館が使っているらしい「い草の芳香剤」をネットで購入した。畳替えした直後のような香りが楽しめる。枕元にシュッと吹きかければあの香りに包まれて眠りに落ちることが出来る。

ホームセンターに行っても、い草の香りが強い枕や座布団がすぐに欲しくなる。愛用しているスリッパもい草をベースにした畳っぽいやつである。

それより何より、今の住まいに引っ越してまだ1年も経たないのに、次に引っ越しする時は必ず和室がある物件にしようと決意している。

加齢とともに原点回帰みたいな傾向が強くなってくるのだろうか。

あと10年もしたら着物姿で純和風の家に暮らし、割烹着姿の後妻さんと畳の上で鍋をつついているかもしれない。

そもそも畳のエコ効果は大したものらしい。湿度が高ければ湿気を吸い、乾燥すれば湿気を放出するんだとか。防音性、断熱性にも優れているそうだ。

最近よく聞くようになった「フィトンチッド」という物質も畳文化の日本では昔から当たり前のように機能していたそうだ。

森林が持つ活性パワーみたいなものである。ストレス予防や免疫力向上に効果があるようで、人生後半戦の身としてはセッセと取り入れないといけないと思う。

ということで、畳の香りに身を置きたいという大義名分をタテに快適な旅館に出かけたくなってきた。


最近は、和風モダンとやらで板の間を多用してそこにローベッドを配置する宿も増えてきた。それはそれで悪くないが、畳スペースも適度に維持してもらわないと雰囲気が出ない。

温泉で身体をほぐして、ウマい酒、ウマい飯を味わい、い草の香りを吸い込みながら眠りに落ちる。これぞニッポン人としての喜びの基本だと思う。

2016年5月6日金曜日

ウナギ雑感 大江戸 いづもや


「冷酒のつまみコンテスト」で21年連続1の座に君臨するのがウナギの白焼きである。

私の頭の中だけで展開されるコンテストなのだが、四半世紀にわたってトップの座を守り続けている。



わさび醬油をチロッとまとった白焼きを味わい、飲み込んだと同時に冷酒をキュッとあおる。ウナギの風味と脂が冷酒に包まれて五臓六腑に染み渡っていく。

グヘヘヘって感じである。

白焼きに限らず、私はウナギが大大大好物である。仕事の付き合いの席でこちらが店を指定できる際にはウナギ。おひとりさまディナーもウナギ、オネエサマ方と食事をするのもウナギというパターンが結構多い。

冒頭の画像は日本橋にある老舗「大江戸」の白焼き。下にお湯を張ってウナギが冷めないように工夫された器で出される。

もう何年も前になるが、初めて食べに行った際に「白焼き命」の私が一気にこの店のファンになったのもこの気配りのせいかもしれない。

白焼きがウマい店は間違いなく蒲焼きもウマい。「大江戸」に行くと頼んでしまうのが「極上鰻重」である。3年ぐらい前に値上げしてバカ高くなってしまったのだが、たまにしか行かないから奮発したくなる。



ご飯が見えないのが何とも贅沢である。絶滅の危機に瀕しているウナギをこんなに食べちゃうことに後ろめたさを感じるが、私にとっては人生の喜びそのものなのでガツガツ食べてしまう。


白焼きを肴に飲んだ後に蒲焼きもツマミにして飲みたい。だから始めのうちは冷めないように蓋を開け閉めしつつ、ご飯には手をつけずにウナギだけつまんで冷酒をグビグビする。

宝箱をコソコソあさっている気分になってワクワクする。

ツマミとして堪能した後でも充分すぎるほどウナギは残っている。シメの鰻重として存分に堪能できるわけだ。

東京にはウマい鰻屋さんがたくさんある。私も自分の行動範囲ではアチコチ食べに行ったが、最近はこの「大江戸」ともう一軒、日本橋の別の店ぐらいしか行かなくなった。

開拓精神が乏しくなったこともあるが、「いつもの安定感」に惹かれるようになった。今更知らない店に行ってガッカリするのはゴメンだ。

最近も某下町の某老舗の鰻屋さんに行ってみたが、味付けが甘ったるいだけで私には合わなかった。日本橋に足を伸ばさなかったことを後悔した。

さてさて、日本橋のもう一軒の鰻屋さんの話だ。「いづもや」という店。ここでは白焼きの応用編ともいえる魚醤焼きが味わえる。ウナギで酒を飲みたい時にはもってこいである。




この店が独自に開発した「いづも焼き」がそれ。以前、このブログでも書いたことがあるが、ウナギで作った魚醤で付け焼きする。

ハーフサイズで注文できるのも有難い。私の場合、ここでは白焼きといづも焼きをそれぞれハーフで注文して冷酒をカピカピ飲んでいる。

他にも気の利いたツマミが揃っているので、いつも最後の鰻重がフードファイト状態になりそうになる。

さて、白焼き、蒲焼き以外にも鰻屋さんには嬉しいメニューが揃っている。オジサマにとっての宝物である肝焼き、卵焼きでウナギを包んだ「う巻き」、酢の物としてサッパリ味わう「うざく」などなど。





こんなラインナップで冷酒を楽しんでいるのが何より幸せである。だいたい鰻屋さんでノンビリしている時は、店に入った時からずっとアノ香わしい鰻の蒲焼きの匂いにさらされているわけだ。凄いことである。

それにしてもニュルニュルニョロニョロで見た目も不気味なウナギを美味しく料理するようになった先人の知恵と技術に心から感謝したくなる。

忘れてはいけないのが「ウナギのタレ」だろう。あれが嫌いな人は世の中に存在しないんじゃないかと思えるほど日本料理界の傑作だろう。


わが家の冷蔵庫には常にウナギのタレが買い置きしてある。豚肉や鶏肉をフライパンで炒める際に、ウナギのタレで味付けすると簡単に一品が出来上がる。

いつも目分量で適当に炒めるのだが、塩コショウでの下味も要らないぐらいだ。簡単かつ便利なのでモノグサな人にはオススメである。

子供の頃、山盛りのドンブリ飯にウナギのタレだけをかけてウホウホ食べることがあった。肝心のウナギが無くても気にせずタレだけで満足していた。

今もその頃の質実剛健?な嗜好が維持できていれば安上がりなのだが、さすがにそれは無理である。いつもウナギをドッサリ食べたくなる。ウナギ煩悩の塊である。

書いているだけでまた食べたくなってしまった。




2016年5月2日月曜日

クリームコロッケの立場


「ニッポンの洋食」大ファンとして、これまでもオムライスがどうした、タンシチューがどうだ、エビフライが不憫だなどとアレコレ書いてきたが、今日はカニクリームコロッケについて考察したい。


別に「カニ」である必要はない。エビでもチキンでも構わない。クリームコロッケという不当に低い地位に甘んじている存在に光を当ててみたいと思う。

ちなみにこの画像は、銀座にある「南蛮銀圓亭」のカニクリームコロッケとエビクリームコロッケの盛り合わせ。ウットリするほど美味しかったが味は一緒である。

さて、洋食屋さんで主役といえば、シチューやステーキ、カツレツ、ハンバーグといった面々である。クリームコロッケは「ついでの一品」という印象がぬぐえない。脇役である。

脇役がダメというわけではない。主役を引き立てるその力量は軽視すべきではない。でも、主役になれる実力があるのに脇役に追いやられていたら実にもったいない話である。

クリームコロッケはそんな存在だ。前菜とも違うけどメインというわけではない。それが現実的な立ち位置である。

なんでだろう。おそらく芋のコロッケのせいだ。

あいつはお手軽で身近な家庭版ファストフードの代表である。大衆料理の大看板だから同じ「コロッケ」を名乗るクリーム系がトバッチリをくらっている。

ポテトコロッケに恨みはないが、私はジュリジョワっとしたじゃがいもの食感が苦手なのであまり手を出さない。

肉が混ざっていても中途半端な感じがする。肉のクセにジャガイモの子分みたいにまぶされている挽き肉や肉片の頼りなさが気に入らない。肉としてのプライドが感じられない。

個人的かつ偏屈な意見なのでファンの方には御容赦いただきたい。

イモコロッケとクリームコロッケは、明治や大正の頃は、コロッケとクロケットと別々に称されることも多かったらしい。前者がイモ、後者がベシャメルである。

確かにまったく別の食べ物だから、同じコロッケという呼称に問題がある。「コロッケ食べたい」と聞けば普通はジャガイモ系のことを想像する。

ベシャメル系のコロッケはわざわざ「クリームコロッケ」と余分に発音しないとならない。最初から負けている感じがする。


洋食専門店で丁寧に作られたクリームコロッケの美味しさは格別だ。ウホウホフガフガ言いたくなる。こちらの画像は日本橋「たいめいけん」の一品。

合わせるのは中濃ソースでもウスターソースでもいい。カラッと揚がった衣とベシャメルソースが黒いソースという魔法のタレと混ざり合うことで口の中だけでなく脳や心臓まで幸せにしてくれる。

そこにタルタルソースを追加するのも良い。複雑に絡まり合った甘味や酸味や旨味がスペシャルなハーモニー?を奏でる。十二分に主役を張るだけの実力を備えている。

子供の弁当向けの一品だと錯覚している人がいたら大間違いである。大正時代はビフテキより高価だったという説もあるぐらい洋食の世界ではエース級の存在だ。


ちなみにこれは白子のコロッケ。冬の珍味の代表格である鱈の白子を揚げてもらうと「ほぼクリームコロッケ」になる。時々、お寿司屋さんで作ってもらう邪道メニューの一つだ。

単純明快に美味しい。でも、白子にソースをかけるというよく考えたら変な食べ方が少し気になる。「だったら洋食屋に行けばいいじゃないか!」と心の中でつぶやく。

ついでに言うと、クリームコロッケは画像が撮りにくいのが難点である。飲食店で食べ物の画像を撮るのはカッチョ悪いことだと自覚しているが、ブロガーとしての習性?でついついスマホを取り出してしまう。



ウナギやトンカツは絵になるが、クリームコロッケはかっさばかないと冒頭の画像のように単に丸っこい衣の画像になってしまう。仕方なくわざわざ断面が見えるように撮影するのだが、そんな作業に励む自分の野暮極まりない振る舞いが哀しくなる。

でも、そんな手のかかるところもクリームコロッケのニクいところである。

さんざんクリームコロッケを褒め称えておいて何だが、結局私はベシャメルソースが死ぬほど好きなんだと思う。

古くは子供の頃に親が作ってくれたグラタンやドリアが大好きだった。私にとっての「おふくろの味」は間違いなくその二つだ。



この2点の画像はコキールである。銀座の老舗「煉瓦亭」の一品だ。店によってはコキーユという名で出している。洋食屋さんで時々見かけるのだが、あまり一般的ではないのが不思議で仕方がない。

はしょって言えばグラタンやドリアの「上だけ」である。そんな言い方をすると元も子もないが、実にウマい。おかずかツマミか判然としない料理だが、「ベシャメラー」である私にとってはドストライクな食べ物である。

胸焼け太郎として揚げ物であるクリームコロッケを我慢する時でも、これがあれば私の煩悩は満たされる。

これからの人生、残された時間をクリームコロッケの地位向上とコキールの普及を声を大にして主張していきたいと思う。