2019年9月4日水曜日

ドブロブニク ツァブタット


なんだか魔術の呪文みたいなタイトルだが、少し遅めの夏休みでクロアチアを旅してきた。気ままな一人旅である。

ヨーロッパまで出かけると、つい観光に精を出して疲れることが多いので、今回はリゾートに陣取ってノンビリしてきた。

行きは羽田発ウィーン経由でドブロブニクに入って4日ほど過ごした。その後はドブロブニクからポーランドのワルシャワに飛んで2日間ふらふらして、ミュンヘン経由で羽田に戻るスケジュールだった。

もちろん、すべての行程が貯まりまくったマイルのおかげで無料航空券利用である。とくに買物するあてもなかったから案外お金のかからない旅になった。









ドブロブニクは、クロアチアを代表する観光都市。「紅の豚」「魔女の宅急便」などの舞台になった場所だとか。大昔の城壁に囲まれた独特の雰囲気に溢れた海辺の街である。

事前に調べたら夏のオンシーズンは鬼のように混んでいるという話だったので、ドブロブニクから20キロほど離れたツァブタット「CAVTAT」という小さな港町を滞在先に選んだ。



ドブロブニクのメインエリアである旧市街からはタクシーボートが頻繁に行き来している。ノロい船で40分ほどの距離だ。

案の定、ドブロブニク旧市街は異様な人混みだったから、ちょっと離れたエリアを選んで正解だった。





ツァブタットの港町もレストランはたくさんあって、見るべき観光名所はないもののボケッと過ごすには快適だった。つい最近はボンジョビも来たぐらいだから、極端にマイナーというわけではないらしい。



泊まったのは「ホテルクロアチア」という大型リゾートホテル。部屋のベランダからアドリア海が一望できて気持ちよかった。ツァブタットの中心街までは歩いて5分ぐらいの距離にある。

部屋も綺麗だったし、朝食ビュッフェもそれなりの品数だったし、中国の団体もいなかったし、プールも気持ちよかった。ルームサービスで頼んだパスタは昭和の給食で出てきたソフト麺みたいにフニャフニャだったが、スタッフの人当たりはいいし、清掃係のオバチャンはわざわざチップの御礼を言ってくるし、全般的に快適な宿だった。






よく歩き、よく食べ、よく本を読んだ4日間だった。池波正太郎の時代小説に集中して、ふと我に返ったら目の前にアドリア海が広がっているというヘンテコな時間を楽しんだ。

大げさに言えば、退屈を楽しんだ時間だった。一人旅ならではの醍醐味だろう。好きなときに寝て、好きなときに食べて、時には自転車を借りてあてもなくプラプラした。ホテルから離れて地元の海水浴場でグダグダ本を読んだりした時間も、アウェー感に浸れて悪くなかった。




小さな子どもと父親がプールでじゃれている姿を見れば、我が身の昔を思って感慨にふけり、イカスミリゾットを食べれば、30年前これを初めて食べた時に一緒だった素敵な女性を懐かしく思い出す。



どうもこの歳になると「振り返り」の場面が増えてくる。それもまた楽しみではある。

夕陽を眺めれば、これまで訪ねた数々の南国リゾートを思い出し、ピスタチオアイスを頬張れば、いつだったかの新婚旅行を懐かしく感じた。





自分探しをするような小僧ではないが、一人で異国の地で非日常感に浸ると、何となく自分と向き合えて悪くない。旅の効用だと思う。まあ、何だかんだ言って、要するにパスタばかり食べて葉巻をふかしてばかりいる時間を過ごせたから良いリフレッシュになった。





クロアチアはアドリア海を挟んでイタリアの対岸に位置する。トリュフやオリーブ、ワインなども名産で、海側だからシーフード系の料理もイタリア料理と同じような雰囲気だった。マズいものにはほぼ当たらなかったのがラッキーである。

マグロのスパゲティーを頼んだときに謎にキュウリがいっぱい入っていたのが呆れるほどマズかったぐらいで、あとは満足できた。美味しかった食べ物を並べてみる。










上から順にマグロのタルタルのアボガドソースあえ、マグロステーキ、白身魚のリゾット、タコサラダ、アンコウのカルパッチョ、ムール貝のワイン蒸し、トリュフのパスタである。

米や麺が出てくればそれだけで満足する私にとって、イタリアンに近いこちらの食べ物は文句なし。

食後は通りすがりのカフェでカプチーノアイスにダブルのエスプレッソに砂糖をぶりぶり入れて、プカプカと葉巻をくゆらす。誰にも気兼ねせず好き勝手に過ごせたから、まさに天国にいるみたいな気分だった。



そういえばスイカがウマかったのも印象的だった。ホテルの朝食ビュッフェで食べただけだが、毎朝ガシガシとかじりついた。

市場で見かけたスイカの姿はやけにヘンテコで大味そうな風情だったが、身の赤色も濃厚で味も充分に甘く、自宅で毎朝スイカジュースを飲んでいる私にとって予想外の嬉しい味覚だった。



5年前、イタリアのジェノバを旅した際、街中に泊まってしまい、近郊のリゾートに滞在しなかったことを大いに後悔したことがある。


それ以来、いつかはヨーロッパのリゾートで、ただただノンビリしてみたいという願望があった。今回、それが実現できたので嬉しい時間だった。

次回はワルシャワについてあれこれと書きます。

2019年9月2日月曜日

お休み中

今日も過去ネタ二つです。あさってから通常の更新に戻ります。



夏の終わりについて
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/09/blog-post.html?m=1


昭和歌謡について
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/01/blog-post_17.html?m=1

2019年8月30日金曜日

旅に出ています

遅めの夏休みで留守にしているので、過去ネタを二つ載せます。




旅の醍醐味についての話
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/09/blog-post_28.html?m=1


変態について真面目に考えてみた話
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2011/11/blog-post_18.html?m=1

2019年8月28日水曜日

馬力をつけにいく


馬はウマい。ダメオヤジのダジャレみたいだが、実に味わい深いから大好きである。刺身に限らず、焼肉や鍋もウマい。

もともとは「男の食い物」である。文字通り馬力をつけるために昔の男衆がこぞって食べたのが馬である。

江戸の頃には、吉原遊郭の近くに数十軒もの桜鍋の店があったそうだ。「蹴飛ばし屋」とも呼ばれていたとか。そのぐらい速攻で元気になる食べ物だと認識されていたわけだ、

低カロリー高タンパク、美肌効果もあることが知れわたって、いまや女性もバリバリ馬肉をむさぼっている。昔カタギの私からすれば「馬肉屋で女子会」などと聞くと妙な気分になる。

そんなことを書くと差別論者みたいだと叱られそうだから適当にしておく。かく言う私も女性を馬肉料理屋に連れて行ってさんざん食べさせる。



専門店以外でも居酒屋あたりでは、しょっちゅう馬刺しを見かける。流通や冷凍冷蔵技術の進歩で臭みのある馬肉に遭遇することはなくなった。嬉しいことだ。

脂肪分は牛肉に比べると5分の1だとか。鉄分やカルシウムは豚肉の34倍らしい。鉄分や亜鉛も豊富で、元気の源であるグリコーゲンとやらもドカンと入っているのが馬肉である。

血圧を下げる作用まであるらしい。まさにオジサマ族にとってはスペシャルな食べ物だろう。



ちなみにこれは馬のタン刺し。馬とディープキスを延々としているような気分になるが、なかなか官能的な味わいだった。

さて、馬肉はウナギ同様、精がつく食べ物の代表格だが、栄養豊富な食べ物に囲まれている現代人は、そうした有難いエネルギーを実感することはない。

私自身、ウナギや馬肉をしこたま食べたからといって、アッチ方面のパワーがみなぎった記憶はない。

いや、もしかしたらウナギや馬肉をまったく食べていなかったら、ヘナヘナヨボヨボな日々を過ごしているのかもしれない。



銀座1丁目の仲巳屋という店で出てきた馬肉ヒレカツである。ハヤリの牛カツっぽい雰囲気だ。甘めのソースとの相性も良く、ムホムホ食べた。

銀座界隈には「こじま屋」、「馬春楼」といった馬肉専門店があるが、大ざっぱに言えば前者は焼肉系、後者は鍋系だ。こちらの店はコース仕立て系とでもいったところか。

私が一番好きな馬肉料理屋は江東区森下にある老舗「みの家」だ。味噌ベースの割下で食べる桜鍋が抜群にウマいだけでなく、下足番がいるような店の風情が独特だ。

立地の関係でなかなか行く機会がないのだが、今の住まいからは思った以上に近いことに気付いた。

涼しくなってきたら、あの鍋を突っつきに出かけたい。

2019年8月26日月曜日

夏の音色


子どもの頃、夏の高校野球が終わると何となく切ない気持ちになった。甲子園独特のサイレンの音や金属バットの音、ブラスバンドの音が、翌年の夏まで聞かれなくなることが淋しかった。

春のセンバツ大会でもあの音は聞こえるのに、不思議と甲子園の音は「夏の音」という印象がある。

甲子園だけでなく、いつの頃からか夏の音にはやけに敏感になった。四季それぞれを表す音色はあるが、やはり季節を感じさせる音が多いのは夏だ。



代表的なのが風鈴だ。マンション住まいになってから風鈴と縁遠くなってしまった。あの音色に癒されたくても近所迷惑だろうから買いたくても買えない。

先日、寝る前に短編小説をボンヤリ読んでいたのだが、風鈴が主題のしっとりした話だったので、私の中の風鈴欲求ストレスが爆発した。さっそくAmazonで南部鉄風鈴を二つも買ってしまった。

熱帯夜対策として小型扇風機を夜の間つけっぱなしにしているから、室内でも風鈴の音色は楽しめることに気付いたわけだ。これで私の精神衛生状態は格段に向上するはずである。



話がそれた。夏の音についてだ。

ヒグラシの鳴き声は夏の終わりの郷愁を誘う最高のBGMだと思う。時々、YouTubeでわざわざヒグラシの音色を聞くことがある。

https://www.youtube.com/watch?v=Z-KNyeryzj0&t=31s

あれほど胸に染みる音色はなかなか無い。郷愁という言葉だけでは表現しきれない。日本人の感性に訴えかける独特の響きだ。

夕陽を眺めながらあの音に包まれて過ごせば、悲しいことがなくても涙を流す自信がある。そんな自信があっても仕方ないが、必ず泣けると思う。

それにしても、YouTubeのおかげで、聞きたい音が簡単に聞けるのは有難い。ヒグラシの音色はもちろん、花火の音、祭り囃子、夏の夜の風情たっぷりなコオロギの鳴き声だって聞ける。

今の私は防音性が高いマンションに暮らし、エアコン漬けで窓も開けない日々だ。都会では多くの人が似たような環境で暮らす時代だ。

昔は自然と耳にした「音」を感じなくなっているわけで、ネット上でそんな音をわざわざ探して喜んでいるのは一種の文明病みたいなものだろう。人として退化している部分なのかも知れない。

もうすぐ8月が終わる。この時期になると独特な寂寥感がある。そんな雰囲気を楽しんで身悶えるのが私にとってこの季節のルーティンになっている。

室内で風鈴を鳴らし、パソコンでヒグラシの音色を聴く。ヘンテコだが、それはそれで「いとおかし」である。

2019年8月23日金曜日

梅干し入れ過ぎサワー


まるで中毒のように梅干しサワーばかり飲んでいる。アル中ならぬ「梅チュウ中」である。

夏バテ対策というより、単純にやたらと美味しくてグビグビ飲んでいる。1杯目はたいしてウマくない。勝負?は2杯目からである。

梅干しをグジャグジャ潰して飲むわけだが、2杯目も3杯目も「つぎ足し」で注文する。すなわち、梅干しの残骸を捨てずに、追加の梅干しを投入して楽しむ。



3杯目なら3つ、4杯目なら4つの梅干しをグジャグジャにした“梅エキスサワー”である。

4杯目ぐらいになると梅干しの残骸がジョッキの中に大量にあるから焼酎や炭酸が少ししか入らない。

悪循環である。5杯目を頼む頃には梅干しの新規投入はせずに、出がらし達を改めて潰しまくって楽しむ。



自宅でも時々飲んでいる。“ぶっ潰しマドラー”も調達した。自宅だと、あらかじめ潰しまくってから炭酸を投入できるからジョッキの中をグチャグチャかき回さないで済む。その分、炭酸が逃げないから尚更ウマい。

梅干しのクエン酸は夏バテ予防だけでなく、血液サラサラ効果や美肌効果、がん予防効果まであるらしい。

良いことづくめだが、おそらく私の場合は単なる塩分過多だろう。身体に良いか悪いかビミョーである。

一応、毎日きちんと血圧の薬を飲んでいるから気にしても仕方がない。夏場特有の偏執狂的行動だから、まだしばらく中毒は続く。



俗にウナギと梅干しは食べ合わせが悪いなどと言われるが、あんなものは大ウソだ。疲労回復コンビだし、味の相性も良い。絶妙の組み合わせだと思う。

梅干しサワーの利点は、メニューに無くても、たいていの店で作ってくれるところだ。酎ハイ、サワー用の甲類焼酎を置いてない店では、クセのない麦焼酎を炭酸割りにして梅干しを入れれば完成だ。

私の場合、焼酎は芋派なので、麦焼酎を飲むことは基本的にない。とはいえ、梅干しサワー用に麦焼酎をボトルキープしている店がいくつかある。本格的な中毒状態だろう。



カットスイカである。これまた私の夏の定番だ。見つければ必ず買う。ネットスーパーの配達でも頼む。

今更ながらスイカの効能を調べてみたら「余計な塩分の排出」とある。“梅干し入れ過ぎサワー”マニアである私にとっては、スイカは実に頼もしい相棒だったわけだ。

私がここ1,2年で突然好きになった「キュウリ」もスイカと同じ効能があるらしい。飲み屋に行くとたいてい「もろきゅう」や「梅きゅう」を大量に食べるのだが、キュウリにも余計な塩分を排出するパワーがあるんだとか。

我ながら理にかなった食生活を送っているみたいである。

長生きしちゃうかもしれない。

2019年8月21日水曜日

月光にやすらぐ

月を見ていると落ち着く。時々、やたらと月を見ていたい気分の時がある。

なんだかロマンチストみたいな書きぶりだが、別に誰かに恋しているわけではないし、とくに感傷に浸っているわけでもない。

月の光を見ていると安らぐ。せわしない気分が小休止するような感覚になる。



若い頃の話だが、中秋の名月の頃に海の中から月を眺めたことがある。夜の海に潜った時のことだ。とくに見るべき生き物も見つからなかったから、夜光虫がキラキラ光る景色を眺めていた。

ふと水面を見上げると月が見えた。水面のさざなみで月の形もゆらゆらと動く。実に神秘的かつ幻想的だった。

夜の海は静かだ。自分がレギュレーター(呼吸装置)越しに空気を吸う音と、吐きだす泡の規則正しいリズムしか聞こえてこない。それをBGMにして揺れる月明かりに見とれた。

夜の潜水は大学生ぐらいまでしかやらなかったから、まだ20代前半の頃の記憶だ。その後は日が暮れるとすぐに酒を飲むことばかり考えるようになったから、ダイバーならではのオシャレで小粋な月の楽しみ方はそれ以来味わっていない。

さて、高い建物だらけの東京では、月が見える場所を意識して探さないとならない。だから月への関心も低くなるし、畏怖の念みたいな気持ちも薄くなっていく。

地球のすべての場所を古来から照らしてきたのが月の光だ。考えてみるとその事実だけで凄い。

高い建物もネオン街もなかった大昔は、どれほど存在感が大きかったのか想像を絶する。

電気が無い時代、もちろん街灯など無い。家の窓だってガラスではない、行燈の明かりが建物から漏れ出るぐらいだ。集落から離れれば、まさに真っ暗だ。

月の灯りがなければ闇の世界だから、月が隠れてしまう曇りの夜と晴天の夜とでは、まるで異質の世界だったはずだ。

満月ともなれば、月の存在感はとてつもなく大きかっただろう。平安貴族などの間では満月を直接見るのは不吉だとして、水面や杯に映した月を眺めたという話もある。

そんな話に限らず、満月に関連する逸話や伝説は世界中で聞かれる。狼男しかり、かぐや姫しかり。

伝説はさておき、満月の影響は人間にも及ぶのはよく知られている。人間は身体の大半が水分で出来ているから、海と同じで潮の干満のような影響を受けるという話だ。

実際に女性の月経周期は月の月齢周期と同じだし、満月の日に出産が多いとか、満月の日に凶悪事件が起きるという話もある。

カミュの「異邦人」で、殺人の動機を「太陽のせい」とする有名な場面があるが、実際には月のせいで様々な現象が起きているわけだ。

ちなみに、満月の夜は発情する人が多いという言い伝えもある。性欲は人間の根本的な生理現象だから、確かに満月の影響を受けても不思議ではない。

とはいえ、私自身、このウン十年、満月だからといって発情したことなどない。やはり都市伝説に過ぎないだろう。

いや、常に発情していたから気付かなかっただけかもしれない・・・。

ひょっとしたら、満月には発情するのが当然で、現代人は文明の発達のせいで、そうした自然の力を感じなくなっているだけかもしれない。

タイムマシンに乗れたら、江戸時代の月見の名所である九段坂に行ってみたいと考えていたのだが、やっぱり満月の夜の吉原に行ったほうが面白そうだ。