2009年3月12日木曜日

謝るということ

感謝や謝罪の言葉がスッと出てこない人間は信用できない。強く私が思っていることだ。

民主党・小沢代表の政治献金問題。国策捜査だろうが、政争だろうが、そんなことに関係なく、秘書逮捕直後にただただ突っ張った小沢氏の姿勢に失望した人は多い。

事件の真相はどうあれ、あの人にも大勢の支持者がいて、少なくともその人達が心配したり、ビックリしたことは事実だ。早々にその部分だけ限定でお詫びの言葉を出すのが人としての筋だと思う。

1週間経ってようやく、「ご心配、ご迷惑をかけたことについて」謝罪した。最初からそうすべき話。たとえ、結果が無実だろうが関係ない。心配した人への謝罪は絶対に欠かせない。

ビジネスの世界では確かに簡単に頭を下げてはいけない局面はある。謝った以上、責任を認めたわけで相手方にカードを持たせてしまうという意味合いから慎重になる場面は多い。

軽い交通事故を起こしても絶対に「I’M SORRY」と口走ってはいけないと言われるアメリカ型の発想は、局面によって大切な心構えであることは理解できる。

とはいえ、なんでもかんでも謝ったらオシマイみたいな感覚は根本的に間違いだと思う。

財政再建で男を上げた大阪府の橋下知事。私が苦手なタイプだ。知事選出馬が取りざたされた際、「2万パーセント立候補しない」と言いながら結局出馬。それ自体は、様々な事情があるだろうからさほど問題ではない。

ところが、出馬会見の際に「ウソをついていたのか」という記者の質問に「解除条件付き契約」だの「技巧的ロジック」だの、イヤミッたらしい言葉を使って、「ウソではない」と抗弁。

「これこれこういう事情で結果的にウソをついていました。ごめんなさい」という姿勢を見せてこそ立派な大人だろう。屁理屈で居直るかのような姿勢って美しくない。醜い。

強気の姿勢を見せることと謝らないことをマゼコゼにするからおかしなことになる。この二つは両立するはずだ。

プライドとか自信の有る無しに関係なく、人格的に優れた人は、謝るべき点は率直に謝る。名声や地位に関係なく、善悪の判断が的確な人は、謝ることから逃げない。
リーダーたる人はそうであって欲しい。

感謝の言葉についても同じだ。誰もが立派だと思うような人は、決まって感謝の言葉を素直に口にする。逆に言えば、感謝の言葉が素直に出ない人は低級という理屈になる。

要は相手方の立場に立って冷静に物事を見られるかどうかという一点につきるのだろう。人間性とか人間力とは、つまるところこの部分がすべてなんだと思う。

こういう能力や気付きが人より優れている人が「徳のある人」として評価されるのだろう。

偉そうに書いてしまったが、自分自身そう思いながら実践できているわけではない。まだまだ修行が足りない。

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