2011年5月27日金曜日

飲み屋のオヤジ

もう何年も前から知っている飲み屋のオヤジ。年齢は47。家族はいない。恋人もいない。仕事が好きで店もほとんど年中無休。雇われ店長だった店を昨年買取って自分の城にした。

客足は順調。オーナー経営も軌道に乗ってきた。そして今、店をたたむ決意をした。

「世の中に迷惑ばかりかけてきた。人様に助けられてここまで来た。自分が動ける時間はせいぜいあと15年程度。残りの時間は被災地での人助けに使う」。

活字にすると重くなるのだが、本人の口調や様子は実にひょうひょうとしたもの。全然難しく考えていない。純粋にそう思い込んで四の五の考えずに具体的な準備に入った。

被災地で宅配弁当屋から始めるらしい。調理のスタッフから配達の人まで、地元のお年寄りとか仕事が無い人に任せたいそうだ。

ちっとも力んでない。押しつけがましい感じもない。ただ自分がそうしたいという思いを素直に行動に移す。

何もしないで、政府の対応がノロいとか、レンホー大臣の襟がどうだとか言ってる私に比べると、人間としてのステージが違うのだろう。素直に敬服する。

もちろん、だからといって、自分はどうなんだ、自分は何ができるのか、などと一々考えていても仕方ない。人それぞれ置かれた環境や考えは違う。

強いて言えば、自分にできることは、そういう傑物的行動を賞賛して声援することだろう。

それにしても、日本人の人間力というか、精神性って大したものだと思う。ヨソの国は知らないが、きっとわが国には気高い心が根強く染みついているのだろう。よく分からないが、そう思っていた方が楽しい。

映像でしか知らないが、戦争でとことん焼け野原にされたこの国。あんなにコテンパンにやられて、中心的な労働力である若い男性も莫大な人数が死んでしまった。そんな中で10年や20年で国を甦らせちゃった先人達は改めて凄いと思う。

なんか道徳話みたいになっちゃうが、最近つくづくそんなことを思う。冒頭で書いた「近所の飲み屋のオヤジ」みたいな人が、日本中で復興の原動力になったのだろう。

行政がどうだとか、官僚がどうしたとか戦後の奇跡的な復興の立役者は見方によって諸説ある。そんな表層的なことではなく、結局は日本中に存在した「近所の飲み屋のオヤジ」の精神性が根っこにあったことが最大の要因だったのだろう。

そんなことをボケーっと考えていたら、最近どうにも腹が立つテーマを書きたくなった。その役割に首をかしげたくなる消費者庁の存在だ。

消費者庁とは、一昨年秋に鳴り物入りで誕生した新しいお役所。今の時代、役所の肥大化は与野党を問わず絶対悪として認識されている。それにもかかわらず新しい官庁をわざわざ作ったわけだから、さぞ国民のために大活躍する組織なんだろう。

勇ましいかけ声が躍る消費者庁のホームページを覗いてみていただきたい。ふむふむ、「消費者が主役になる安全社会の実現」を目指している。よく分からないが、そういうことだ。平たく言えば消費者目線らしい。

更に言えば「消費者の利益を第一に考える行政の司令塔」なんだそうだ。実に頼もしい。昨今の不穏な状況のなか、消費者の利益は無視されているから頑張ってもらいたい。

さて、同庁ホームページの震災関連情報を見てみよう。いまだにトップ扱いで表示されているのは生活物資の買い占め問題への対応だ。ちょっとズレていないだろうか。


食の安全に関してはどうだろう。3月頃の官房長官発表をなぞるような告知が中心だ。目新しい情報はちっとも見つからない。大臣コメントのどうでもいい一部修正の告知なんかが目立っている。

それ以外には、消費者目線の対極である生産者視点にたつ他の役所へのリンクが目立つ。

何かと怪しげな茶葉の情報は見つからないし、日々、飛散しまくっている放射性物質について消費者の利益につながる情報は皆無だ。不思議で仕方ない。

「消費者の目線で、消費者の利益第一で」を標榜する役所として、現下の状況で「動いている感」は全然感じられない。

ちなみにこのお役所、小さい規模ながらも担当大臣がしっかり付いている。担当大臣はアノ蓮舫サマだ。

蓮舫大臣閣下は、消費者に対して節電を呼びかけていらしたようだが、他に何をしているのだろう。消費者の安全や消費者の利益第一を掲げるなら、放射性物質がふりかけのように飛散する状況に噛みつきまくってもらいたいところだが、そんな話も聞かない。

蓮舫大臣閣下が一躍名をあげたのが税金の無駄遣いを正す「事業仕分け」での勇ましさだ。

せっかくだから現在の消費者庁を事業仕分けしたらどうだろう。津波対策のスーパー堤防にダメ判定を下した人だ。シビアな目で「消費者庁なんて不要」と言いそうな気がする。

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