2011年5月2日月曜日

腹が立つ

3月11日を境に人々の日常の暮らし方まで変えてしまいかねない福島の原発事故。毎日毎日、放射性物質が大量に漏れ続けているのに「馴れ」にも似た感覚が広まってしまい、国民の危機感を麻痺させる。

政府が最も恐れるのは国民のパニック。確かに無用なパニックは避けたいが、それを優先するあまり、肝心の情報開示に制限を加えるのは大罪だと思う。

インターネットでドイツ気象局が発表する放射性物質の拡散予報をチェックする人が増加中だ。私もよく見ている。これって実に悲しく情けない話だと思う。

わが国にも気象庁があったはずだが、それこそ四の五の言って同様の発表をタイムリーにしていない。国際原子力機関の要請に応じる形で不定期に拡散予報を出しているが、国民向けではなく、あくまで国際機関向けという建前だから英語表示だ。

アホじゃなかろうか。そんな役所は要らない。花粉や黄砂の飛散予想はせっせとやるのに放射能拡散にはダンマリ。国民不在の最たる例だと思う。

また、空気中の放射性物質の測定結果は公表されているが、地表に累積した数値は発表されない。エリアごとの累積被ばく量の発表も、なぜか事故発生後最初の10日間ぐらいのデータが除外されている。実にフシダラだと思う。

いま一番大事なのは「どこを向いて、誰のために」という政府としての当たり前の立ち位置を認識し直すことだろう。

お役所のマヌケぶりを挙げたらキリがないが、原発事故に関しては、責任逃れの「こすっからい感じ」が凄く目立つ。東京電力がダメダメなのは今更言うまでもないが、その流れを煽っているのは、監督官庁の責任逃れ体質にあると思う。

「結果論に過ぎない」とか「結果論で評価するな」とよく言われるが、そうは言っても結果こそが大事な分野もある。原発なんて存在はその際たるものだろう。結果責任は重大。

「想定外」という曖昧な理由による責任逃れが大手を振ってひとり歩きしている現状がどうにも気持ち悪い。大震度地震はもちろん、大津波の危険性も過去に国会などで指摘されていた以上、今回の事故は不可抗力とは言えない。

原発に関するすべての業務を全面的に監理、規制しているのが原子力安全・保安院。その責任は物凄く重いはずだが、責任追及の矛先は東京電力に集中。ダブルチェックを標榜していた原子力安全委員会しかり、公的機関はどのように機能していたか糾弾されるべきだろう。

原子力安全・保安院に投下される年間予算は3百数十億円。10年前は500億円規模。ここ10年、20年で投下された税金は数千億円にのぼる。ロクに機能しないで責任も曖昧なら大いなる税金の無駄遣いだ。まさに冗費だろう。

保安院のホームページを見ると、いまだに反省の姿勢などはまったく無く、いけしゃあしゃあと自らの素晴らしさ?を高々と歌い上げている。

原発の計画から用地選定、建設、運営などすべてにおいて、監理、承認、規制の権限を持っているのは保安院に他ならない。東電の計画や行動すべてにお墨付きを与えてきたわけだ。

ちなみにそんなに圧倒的権力を持つ保安院サマだが、厳格な行動規範が制定されている。「強い使命感」、「科学的・合理的な判断」、「中立性・公正性」、「業務執行の透明性」がそれ。

実に崇高だ。カッコいい。絶対大丈夫そうだ。でも結局、震度6でヘロヘロで予備的装置まで全滅させて世界中がシビレを切らして援助したがる事態になった。

ご立派な行動規範は、しょせん、綺麗事、絵空事でしかなかったわけだ。過去に津波や地震の危険性を指摘されてきても知らん顔していた連中だ。平気で天下りしてヌクヌクと評論家顔で現状を語る。実に醜い。

東電は全社員の給与カット、役員報酬の半減ウンヌンを発表しているが、そんな鼻クソレベルの反省ポーズすら、保安院関係者の間からは出てこない。

東京電力という分かりやすい看板に隠れて、無責任という大罪を追求されない奴らが存在することは国民すべてが認識するべきだと思う。

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