2011年5月30日月曜日

浅草

浅草をぶらぶらする機会があった。ディープな街の香りを久しぶりに堪能した。

浅草は私自身のルーツでもある。敬愛する祖父が生まれ育った街であり、幼い頃にはよく連れて行かれた思い出もある。


スカイツリーを今更ながら初めて目撃した。デカくてびっくり。浅草の異型文化財?である「ウン○ビル」も小さく感じる。スカイツリーが巨大なので、あのビルも「ウン○」というより「フン」みたいになった。

今年の春、大阪の通天閣に出かけてディープな世界にウキウキしたのだが、地元の人はあの界隈には行かないらしい。観光客だけだとか。

浅草にもそんなイメージがある。事実、この日も浅草寺に続く仲見世には修学旅行生の集団がうようよいて、あとは外国人観光客がチラホラ。

一歩路地をそれると人出が少ない。賑わう週末との落差を思えば、確かに観光客しか来ない場所みたいだ。

なんかもったいない。東京人こそもっと浅草に目を向けて良い。あのシュールな感じ、タイムスリップした感覚は、ファッションとか流行とは無縁の世界だ。

肩に力が入った地方の人達が東京を舞台に作り出す「最先端」というウサン臭い空気を鬱陶しく思う東京人は多い。そんな東京人がうろつくには浅草の泰然自若な感じが心地よい。ちょっと大袈裟か?

ところで、「東京っぽい場所」って一体どこなんだろう。見る角度で違うが、どちらかといえば、垢抜けない昭和の臭い漂う下町あたりがドンピシャだ。

谷中とか根津あたりの細い路地、夏の夕暮れ、セミの声はヒグラシ。ボロアパートの軒先に吊された風鈴が安っぽく響く。割烹着姿の痩せたお婆さんが不機嫌そうに打ち水、薄汚いブチの猫があくびついでにひと鳴き--。そんな感じだ。

浅草も中心から少し離れるだけで昭和の東京を感じる。たまにぶらつくと飽きない。それにしても、どうして売っている服とか靴のラインナップがああまで独特なんだろう。

歩いている人も見るからに「浅草人」的だったりする。この街にたどり着く前に関所とか国境は通らなかったはずだが、不思議と異界に迷い込んでいる。

靴屋の軒先ではメッシュ系、は虫類系のドテッとした靴が主役、洋服屋さんでは目玉商品のブルゾンの胸に大きな刺繍。その名も「LOIS VERSACE」だ。ヴィトンとベルサーチの合弁企業があるのだろうか。ぜひ「ルイ・ヴェルサーチ」を着てイタリアの街中を闊歩したいものだ。

秀逸だったのは偶然立ち寄ったブロマイド屋さん。そんなカテゴリーの店があること自体が自体が浅草ならではだが、品揃えが確信犯的でシビれた。

AKBとか嵐は皆無。主役級の扱いは現役?バリバリだった当時のジュリーだ。ジャニーズではフォーリーブスばかりが目立つ場所を陣取っている。

時節柄、若き日の長門裕之やキャンディーズが目立つ場所に陳列されている。やっぱり当時のランちゃんは国宝級の可愛さだ。

そのほかは渡哲也、小林旭、美空ひばり、松方弘樹あたりの若かりし頃のブロマイドがニカっと私に笑顔を向けていた。青年然とした桂歌丸とか林家三平なんかもある。水着姿は石田えりだったりする。

桜田淳子サマもしくはランちゃんの笑顔をを購入しようかと思ったが、上半身裸で空手ポーズを決める倉田保昭のブロマイドにたじろいで店を後にする。倉田保昭、日本のドラゴンだ。懐かしい・・。


梅園で一息いれる。不思議と浅草では洋菓子ではなく、和の甘味が欲しくなる。「粟ぜんざい」を注文。アワなんて飢饉の時ぐらいしか食べないが、上質なこしあんと合わさるとクセになる味だ。

その後、隅田川沿いを少し歩く。通り過ぎる水上バスの乗客は例外なくスカイツリーに向かってカメラを向けている。船が揺らした川面の水音になごみ、まだまだ涼しげな風に吹かれてひと時の命の洗濯。肩の力が抜けてホンワリとした気分になる。

街から漂う、力んでいない感じ、達観しちゃったような空気のおかげで、私も何となく「素の状態」になって肩凝りもやわらぐ。

こういう時間は大事だ。健康促進剤みたいで活力の源になる。ありがたい限り。幸せな時間だった。

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