2015年9月16日水曜日

女犯と邪淫


先週、姦通罪の話を書いたが、セクシャルなテーマを文化人類学的?に考察するのが好きな私としては、「下ネタ系の罪」をもっと掘り下げてみたくなった。

自宅にある数々の下ネタ文化系?図書はもちろん、ネット上に飛び交うさまざまな情報をせっせと読みあさってみた。

なかなか面白かった。それを知って何になるなどとヤボなことは言わないでいただきたい。

下ネタ系の罪には「はずかしめ」、すなわち恥辱刑というジャンルの罰がくだされることが多かったらしい。世界的にそうした傾向があったようだ。

わが国でも江戸時代までは「晒し(さらし)刑」があった。切られた首を晒す、いわゆる「晒し首」が究極だが、下ネタ系の場合、命を奪わない「晒し刑」も一般的だったようだ。

日本橋のど真ん中、野村證券本社の前あたりに今も窪地状の広場がある。あの場所が「晒し場」だったと知って結構ビックリした。

「たいめいけん」などに行く時に通っていた場所だ。シュールな歴史の現場だったわけだ。

確かに人前にさらす以上、人通りが多い場所じゃなければ意味はない。当時の日本橋はおそらく日本中でもっとも人通りが多かった。全国から人が集まる玄関口だから見せしめ効果は凄かったはずだ。

晒し刑の主役?は心中未遂だったらしい。当時の流行だった心中を厳しく戒めたい幕府としては、生き残りを晒し刑にすることで予防策にしたわけだ。

戒律に背いて女性と関係を持った僧侶も晒される対象だった。きっと、口の悪い江戸っ子達にさんざん罵詈雑言を浴びせられたのだろう。

だいたい、戒律を破ってまでムフフな行為に励んでいた以上、その坊さんはモテ男である。当時の江戸は日本中の武士が単身赴任していた街だから、女っ気のない武士もゴマンといたはずだ。ヒガミ根性で罵倒するヤツも多かったはずだ。

晒された坊さんはキツかっただろうなあ。モテる男として生きてきた私(ウソです)としては江戸時代の僧侶に生まれなくて良かったと心から思う。

さて、晒し刑の現場を必死に想像してしまう私の変態ぶりはさておき、実は古い時代の「言葉の迫力」こそが今日書きたかったテーマである。

姦通罪の「姦通」という文字ヅラもおどろおどろしくて凄いが、晒し刑にされた坊さん達の罪状を表す言葉が何ともエロティックだ。

「女犯」。文字だけみると何のことはない。読み方が艶っぽい。「にょぼん」と読む。ニョボンである。ニョボ~ンと叫びたくなる。

どこか淫靡な響きである。私が欲求不満なだけだろうか。「あいつ、ニョボンらしいぜ」とか人から言われたらちょっとカッコいい。

同じような意味で使われたのが「邪淫」である。これまた文字ヅラからストレートにスケベなイメージが伝わる言葉だ。

「邪」は、よこしまとか道に外れたことの意味であり、「淫」はみだらな色欲を意味する。

「道に外れたみだらな欲望」である。いやはや凄い言葉だ。「あいつ、ジャインらしいよ」とは言われたくない感じだ。

今の時代、セックスのことをエッチと呼び、行為そのものをプレイと称し、バイブレーターもバイブと略しちゃうように、そっち方面の言葉が軽くなっている。今日も冒頭で「下ネタ」などと中途半端に書いてみたが、正しくは「猥褻」である。

あまりにライトな感覚で猥褻方面を語るのは何だか少し物足りない。

文字ヅラが古めかしく、かつハード系なのに現役として使われている言葉は「乱交」「獣姦」「近親相姦」ぐらいだろうか。

個人的には「交尾」という言葉がシンプルな上にも色気をそこはかとなく感じるから好きである。

でも、「交尾してみないか?」と誘ったところで逃げられるのがオチだ。

仕方ないから、遠い目をしながら「邪淫してみないかい?」と言ってみたほうがスマートだろうか。

ただのバカだと思われそうだからヤメておこう。

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