2015年12月30日水曜日

年の終わり


日記を12月末まで続けられる人はわずか1割だとか。何年も日記を続けていれば、いずれ読み返したときに単純に面白いし、何かと参考になる。でもメンドーなのも確かである。

私自身、過去に何度も日記に挑戦して、その都度挫折してきた。

年が明ければ、このブログも9年目になる。途中で何度かやめようかとも思ったが、一種の日記みたいな効果があって何となく続いている。

数年前の同じ時期に何をしていたのか、どんなことを感じていたのか。その話を書いた頃の自分自身の背景も思い出すからなかなか面白い。

ちっとも進歩していないことに唖然とすることも多いが、それはそれである。若者じゃないからさすがにグングン成長するはずもない。

ということで、今日が今年最後の更新です。

例年のように年末になると、来年はこうしよう、ああしようといった話を書いているが大体なにも変わらず月日だけが過ぎていく。

何年か前に「偏屈は良くないから笑って過ごそう」と決意を書いたが、今年の私は偏屈に加速がかかった1年だったように思う。

50歳の大台を越え、泰然自若に過ごしたいものだが、どうも偏屈ジジイへの階段を順調にステップアップしている。ちょっと問題である。

変な話、最近は出前の注文を幾度となくキャンセルしている。インターネットの出前専用サイトでは、出前してくれるさまざまな店を配達時間の早い順に選ぶことが出来る。

待ち時間は短いほうが嬉しいから、その基準を元に店を選ぶのだが、真面目な店とインチキな店の差が激しいのが困りものである。

待ち時間30分という店を選んでも、ヘタすると1時間ぐらい平気で待たされることがある。真面目な店は予定時間を遅れそうになると電話してくる。インチキな店はうんともすんとも言ってこない。

すべての店が不真面目なら私も我慢するのだろうが、真面目な店が結構あるからインチキな店に無性に腹が立つ。

で、長々と待たされると「インチキするな!」と怒りの電話をかける。当然キャンセルを伝える。「もう出ました」と言われてもダメだ。

我慢が足りないと言われればそうなのだろうが、最低限のルールは守ってもらいたい。

そういう事態に陥ると死ぬほど空腹である。でも空腹に負けてインチキを許すのは武士として許しがたい(武士じゃないけど)。そんな横暴を許したらその店は今後もインチキを続ける。

反省を促すため、その後の被害者をなくすため、などと勝手に力みながら空腹に耐えかねて仕方なくカップ麺をすすったりする。

短気は損気である。

自分で言うのもなんだが、私は結構温厚なほうだ。いちいちカッカしないし、瞬間湯沸かし器的にキレたりもしない。

でも、自分でもあんまりよく分かっていない自分なりの「基準」があって、それに触れると途端に寛容な心が消え去る。インチキっぽいことや最低限のルールが守られないことが大の苦手だ。

タクシーを拾った際、わりと単純な道のりを知らないことを悪びれずに済まそうとする運転手にあたると迷わず降りる。

プロならプロの対応をしてほしい。じゃないと真っ当なプロが可哀想だ。単純な道のりなのに、細かくこちら側が指図しないとならないなら、プロと同じ料金を払うのは理屈に合わない。

高校野球のお粗末なエラーには同情するが、プロ野球のチンケなエラーには腹が立つ。プロならプロらしくしてほしい。珍プレーなどと笑っている場合ではない。張本さんのようにみんなで喝!を連発しないといけないと思う。

席が空いているのになかなか案内しないファミレスの店員とか異常なまでにマニュアル的な応対しか出来ない若者とか、いい歳して「考えることを放棄したようなヤツ」には腹が立つ。

先日もつまらないことで腹を立ててしまった。コンビニでの勘定の際に、店長がレジの処理の仕方を新人に教えている。新人に自ら作業させようと店長は横に立ったまま手を出さない。新人はチョンボするからやたら時間がかかる。待たされている私のことはお構いなし。

私じゃなくても怒るはずだ。こういうナメた行動には激しくイラつく。「なんでオタクの研修にオレが付き合わされるんだ?」わりと大きな声で言ってしまった。

気まずいからそのコンビニに行けなくなってしまった。不便でしょうがない。でも、それもこれも社会のため?である。

実にチンケなことで腹を立てている。書いていて少し残念な気持ちになる。小さい小さい。もっとデンと構えないといけない。

イベントっぽいものが好きではないので、偏屈だからハロウィンのバカ騒ぎを鼻で笑い、クリスマスのイルミネーションも「ケッ!」とやり過ごした。

年が明けたら早々にやってくる「恵方巻き騒ぎ」にも今からイライラしている。あんなものは関西のお座敷遊びから派生した下品な座興である。

2月のバレンタインデーも鬱陶しい。世の中がチョコレート一色になるバカげた風習は日本独自のヘンテコな習慣である。

義理チョコをもらって喜んでいる世の中のオッサン達にも張本さんから「喝!」を入れて欲しい。

さてさて、偏屈が人様から喜ばれたり、有り難がられることはない。当然である。偏屈なヤツはメンドーである。私自身、偏屈なヤツと付き合いたいとは思わない。

でも、今の世の中「正しい偏屈」が不足しているのも確かだ。一つの流行にいっせいに飛びつく。テレビや雑誌に出てたからといって無条件に信じる。なんだかな~って感じだ。

オレオレ詐欺なんて昔はなかった。あんなものが珍しくない世の中になったこととイマドキの世相は無関係ではないと思う。

なんでもかんでもストレートに受け止めるのは単なる「幼稚さ」である。大人だったら適度に斜に構える心掛けは必要だろう。

偏屈な自分を反省しようと思っていたのに、書いているうちに偏屈推進論みたいになってしまった。

まあいいか。結局、偏屈を直す気などちっとも無いのかもしれない。今後はドンヨリしない程度に偏屈に磨きをかけよう。

楽しく笑顔で偏屈に!

ちょっと難しそうだけどそんな路線を目指すことにする。

来年もよろしくお願いいたします。


★新年は1月6日から更新する予定です。

2 件のコメント:

こう さんのコメント...

いつも楽しく拝見致しております。
小生と年齢また立ち寄り先も近しく、勝手ながら親近感を抱いております。
来年も引き続き健筆を振るって下さいますように期待しております。

富豪記者 さんのコメント...

こう樣

コメントありがとうございます!脈略のない話にお付きあいくださりありがとうございます!

いただいたコメントを励みに少しでも気の利いた話が書けるように奮闘します!

良いお年をお過ごしください。