2018年8月3日金曜日

長嶋一茂と寅さん

長嶋一茂がやたらにテレビに出ている。視聴率男とまで呼ばれているらしい。確かに見ていて面白い。

長嶋茂雄の息子だから子どもの頃から有名人だった。私と一茂は同じ歳だ。私は大の巨人ファンだったから、子どもの頃から新聞や雑誌で一茂情報を目にしていた。

その後、大学生になった私は、クラスメートになった友人が六大学野球のマウンドにあがると聞いて神宮球場に応援に出かけた。相手は立教である。主軸打者は一茂だった。

我が友人はいとも簡単に一茂にホームランを打たれた。友人ピッチャーと一茂ではオーラが違っていたことを思い出す。

その頃、なぜだか街で一茂を見かけることが重なった。いつも場所は六本木。常に一茂は綺麗な女子を連れていた。

我が友人ピッチャーは、ずんぐりむっくりした体型で苦学生を絵に描いたような男だった。それに比べて一茂の颯爽とした感じはまさに異人種。当時、スマートな野球選手は珍しかったので印象的だった。

その後、一茂は紆余曲折を経て今のポジションにたどり着いた。

バカ息子だのボンボンだの言われた一茂もとっくに50歳を超えた。今になって人気が沸騰した理由は、彼が漂わす独特の居直り感と達観だと思う。

偉大な長嶋茂雄の息子に産まれて、同じ野球の道を選んだものの大成しなかったわけだから、ああ見えて葛藤やストレスは凄かったはずだ。

あの余裕と居直りは間違いなく今の年齢だからこそ滲み出てくるものだろう。

何かにしがみついてない感じとでも言おうか。媚びへつらわず、あくまで我が道を行くマイペースな言動がウリになっている。

中高年にとっては大事なことだ。大事だけどなかなか実践できないのが現実だ。あちこちに気を使い、しがらみに縛られている中高年のほうが圧倒的多数である。

一茂の自由さは中高年にとって痛快に映る。同年代であれば、かくありたいと願う人も多いはずだ。

ちょっと大げさだが、今の一茂人気は「寅さん」的な意味合いがあるのかもしれない。

フーテン暮らしで気ままな寅さんに昔のオジサン達は拍手喝采を送った。真面目にコツコツ働く現実の生活をひととき忘れるために寅さんに夢を託したわけだ。

一茂にも似たような要素がある。ムダに明るいし、我が道を行く的な無頼な言動は独特だ。日々窮屈に暮らしている中高年にとっては一種の清涼剤みたいなものだ。

朝のワイドショーで見る一茂はヘンチクリンなことをしょっちゅう語っている。話している内容はさておき、見習うべきは予定調和をまったく気にしない姿勢だ。

なーなーでコトを済ますことに慣れてしまった世の中から見ると妙に新鮮に見える。いいぞ一茂!

私もすっかり一茂ファンになってしまったようだ。

今日は中高年にとっての「居直る」ことの大事さをアレコレ書くつもりだった。その一例として一茂に触れるつもりだったのに、結局、長島一茂論に終始してしまった。

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