2018年8月6日月曜日

官能的か保守的か


新しくなったトヨタクラウンが売れている。発売1か月で月間販売目標の7倍の受注があったとか。


「いつかはクラウン」。昭和のキャッチコピーだ。憧れのマトだったクラウンもレクサスの台頭で、その位置付けがビミョーになっていた。

ノンポリのオッサンが選ぶクルマ(失礼!)というイメージを払しょくするためか、一気にスポーティーさをウリにしてイメチェンを図ったのだろう。

確かにクラウンにしては攻めたデザインだ。個人的には欲しくはない。乗り心地も走りも装備も絶対に間違いのないレベルにあることは分かる。でも興味が湧かない。

歴代のクラウンよりはスマートだと思うが、あまり色気を感じない。欲しいと思わない理由はそこだ。

もっと言えば、スポーティーさを目指した「無理やり感」が目についてしまう。大胆なデザインに進化してきたレクサスLSのほうが曲線の使い方が巧みでさすがに色っぽい。

単なる道具だと割り切れば色気もヘチマもないわけだが、クルマに嗜好性を求めた場合、「色気」は大事な要素だと思う。

色気というか、官能的というか、セクシーというか、表現は抽象的だが、そういう興奮系?の気分にしてくれるクルマが好きだ。

車庫に向かい、クルマの顔を正面から見て、ドアを開けてシートに座り、エンジンを始動させてハンドルを握る。この段階で気分をアゲてくれるクルマを相棒にしたいと思う。

気分をアゲてくれるのは五感に響くすべての部分だ。ドアの開閉音、シートのホールド感、ステアリングの手触り、いろいろなスイッチを押した時の指の感触などなど。そういう細かい点に納得できたらベストだ。

ヘンテコな例えだが、何度も懲りずに肌を重ねたくなる女性も同じだろう。顔だけ、スタイルだけといった部分的な魅力だけでは長くは続かない。総合力こそが決め手だ。

私がいま乗っているのはイタリア車だ。フェラーリではない。ランボルギーニでもない。そんな高いのは買わない。買えない。

イタ車はすぐ壊れるイメージがあるが、私のクルマは1年経った時点でまだ一つも不都合は起きていない。酷暑にも耐えている。

色気に惹かれて選んだ。欧州車の中でもドイツ車とは違うスケベセンス?はなかなかのものだ。イタリア的美意識みたいな矜持を随所に感じる。

クルマに限らず、色気のあるもの、艶っぽいもの、官能的な匂いのするものには魅力がある。50歳を過ぎ、そろそろ枯れてくる年代だからこそ、そういう感覚には執着していたい。

私が身につけるもので唯一真剣に向き合うのが靴だが、こちらも色っぽさを基準にしてしまう。

紳士靴の最高峰と言えば英国の誇るエドワードグリーンやジョンロブになるのだろうが、それとは別に色気のカタマリのようなイタリア製も大好きだ。ステファノブランキーニあたりの個性的な色気は、もはや一つの文化だ。


色っぽいもの、官能的なものを突き詰めると質実剛健や合理性とは別なこだわりやゆとりにつながるのだろう。ムダに思えるような部分にもあえてこだわることがオツというわけだ。

そうは言っても、その部分が「これ見よがし」になっちゃうのはカッチョ悪い。「さりげなく」が大事だと思う。

話は飛ぶが、色気がある人といえば、男女を問わず割とさりげなさの中に艶っぽさを感じる。これ見よがしな「叶姉妹」よりも「木村多江」のほうが色気を感じるのもそこが理由だろう。画像はネットから拝借しました。スイマセン。


いま何かと話題のネット洋服屋さんの社長がSNSで発信する「これ見よがし」な感じが世間のオトナ達をイラつかせている。

まあ、やっかまれるのも当然なほどのお金持ちだから仕方ないが、あのさりげなくない感じは確かにスマートではない。いわば色っぽくない。叶姉妹的である。

随分と話がとっ散らかってしまった。

なんだかんだと書いてきたが、私自身はコンサバを重視する保守的な傾向も強い。だから大胆な格好も出来ないし、屁の突っ張りみたいな小っぽけなこだわりだけをイジイジと守っている。

もっと色気や艶っぽさを前面に押し出してみたいが、“保守ブレーキ”が邪魔をするから、いろいろとあと一歩が踏み出せない。

官能的な生き方と保守的な生き方の狭間で悶々としている。だからいつになっても平凡というワクは超えられず、違う景色を見ることもなく老け込んでいくのだろう。

なんだかビミョーな結論になってしまった。

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