2019年10月30日水曜日

スイーツおじさま


スイーツ男子という言葉があるが、あれはイケメンが甘いモノを喜んで食べている姿が可愛いのであって、オジサマに使う言葉ではない。

と思う。

でもオジサマだってスイーティー?な気分になりたい時もある。私もである。

酒が好きな中年男は甘いモノは食べないと間違ったイメージが少なからずあるが、私は割と甘味に目がない。

どこそこのアレが食べたいみたいな細かいこだわりはないが、甘味気分の時にはコンビニスイーツを一気に2つ3つ食べることもある。



娘とロイヤルホストに行った時の画像だ。ファミレスとは思えないぐらいまともでウマい食事を出すロイホだが、スイーツも然りである。

普通の父親なら、娘が頼んだやつを一口もらって満足するのだろうが、私の場合、自分の分も意気込んで注文する。

秋だから栗だ。モンブランがぶいぶい活躍する。昔からモンブラン好きだった私としては栗のモンブランと聞くだけでウットリする。



こちらは東京駅にくっついているステーションホテルのラウンジで出てきたモンブランである。美しい姿だ。私の場合、あのウネウネしたクリームの部分だけが好きなので、まわりの飾りは不要である。

砂糖がふんだんに楽しめる時代に生きていることは幸せだ。江戸時代には砂糖は薬屋に置いてあったらしい。それだけ貴重で病人に舐めさせていたらしい。

江戸時代の病人が現代のスイーツバイキングを見たら、まさに桃源郷だろう。病気も治ってしまいそうだ。

カステラやこんぺいとうと言えば、400年ぐらい前の南蛮貿易の頃に日本に伝わったことで知られているが、当時は生糸と同じぐらいの値段で取引されていたらしい。

生糸がいくらだかは知らないが。

昭和に入ってからも砂糖はしばし貴重な存在で、第二次大戦後の荒廃期には普通に買うことはできず、昭和27年まで配給でしか入手できなかったとか。

砂糖の摂り過ぎで病人が続出しちゃうような今の時代からみれば想像つかない状態である。

喫茶店でコーヒーを注文すれば砂糖は取り放題、よそい放題である。当たり前に思っていることが実はとても幸せなことだと痛感する。



実は私は甘い酒も好きである。バーに行ったら気取ってシングルモルトを舐めて過ごすが、甘いカクテルが無性に飲みたい時もある。

女性連れでバーに行っても、口八丁手八丁で私が飲んでみたいカクテルを半強制的に注文してもらう。

で、店員さんの目を盗んで結局私が大半を飲んじゃうこともある。この画像はモンブラン風味のカクテルである。

気取った顔して渋々と味見するようなフリをしてちゅるちゅると飲んでみた。表情は崩さずに心の中でバンザイ三唱しながら悶絶した。



こちらは銀座の北京ダック専門店「全聚徳」で出てきたマンゴープリンと杏仁豆腐である。

杏仁豆腐もマンゴープリンも気合いが入っていない店だと、トイレの芳香剤みたいな風味の人工的なマズいやつが出てくるが、それなりの店ならそういう事故に遭うことは少ない。

最近はクリーミー、ミルキー?な味付けが主流みたいで、かつての安っぽい味わいとは別次元なウマいものが増えた。

なんだか話がまとまらなくなってきた。兎にも角にも「甘味は幸せに直結している」ことは間違いないと思う。




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