2019年10月4日金曜日

志満金 喜代川 宮川本廛

アニサキスアレルギー宣告のせいで、ビビってしまってお寿司屋さんに足を運んでいない。もう3週間近く寿司断ちである。


こんなに間が空いたのは記憶に無い。ここ20年で初めてのことだ。今までほとんど問題なかったのだから今更そんなことをしても無意味だ。わかっているのだが、モチベーションが上がらない。

一応、内服薬も家にストックしたから、ちょっとジンマシンが出たって平気なはずだが、意外な自分の神経質ぶりに我ながら困っている。

で、肉ばかり食べるのもツラいからウナギ攻めの頻度が増えた。すっかり高値安定になってしまったウナギだが、エンゲル係数破たんオヤジだからしょっちゅう食べている。



たまに食べるからこそ感激する。ウナギってそういう要素がある。しょっちゅう食べてももちろんウマいが、最近は感激しなくなってしまった。バチが当たりそうな話である。

高校生の頃、渋谷センター街にあった大衆的な鰻屋さんで、細切れウナギが34つだけ入っている安いウナ玉丼を頬張っていた日が懐かしい。

あの頃は、普通の鰻重を食べるオジサン達が羨ましくて、大人になったら飽きるほどウナギを喰いまくるぞと心に誓った。

いま、ウナギざんまいという目標は達成したわけだが、若い頃のウナギへの飢餓感が無性に愛おしく思える。タチの悪いワガママみたいな感覚だ。まあ、それも人間の業である。

なんだか大げさな話になってしまった。



これは神楽坂「志満金」の鰻重。てんこ盛りである。先日、娘から昼間に呼び出された時に御馳走させられた一品。

私は朝夜の二食生活だから、昼からこんな立派なのを食べるのは無理だ。もっと小さいやつにして、それも半分は娘にあげてしまった。

「ウナ玉丼」の頃には考えられない退化である。

もはや私にとってのウナギは、食事というより酒の相棒になってしまった感がある。それはそれで構わないのだが、ガッツガツ食べていた頃に比べて弱体化した自分がちょっと切ない。




茅場町と人形町の間ぐらいにある「喜代川」の白焼きとうざくだ。繁華街から離れた場所にポツンと佇む雰囲気のある店だから、シッポリとウナギ飲みを楽しむには良い店だと思う。

ウナギを味わう際は店の風情も無視できない。モダンな造り、オシャレなBGMなんか害にしかならない。



あの香りが漂ってくる場所はあくまで純日本的な空間に限る。その点、この店はイメージ通りの鰻屋さんだから心地良くホロ酔いになれる。

今の住まいに引っ越してから3か月が経ったが、徒歩で行ける便利な店が「宮川本廛」だ。築地と新富町の間ぐらいに位置している。

大箱だからウナギ以外のツマミも揃っている。「夜ウナギ」には嬉しい。先日頼んでみた焼鳥も美味しかった。



子持ち昆布や枝豆でスタートして、こんな焼鳥やら肝焼きを肴にグビグビ飲む。そしてノッソリと鰻重がやってくるーー。こんな素敵な展開は日本人にとってスペクタル極まりない世界である。

高い高いと言っても、得体の知れないフレンチのお仕着せコース料理にどうでもいいワインを頼むようなディナーよりはよっぽど安上がりである。何よりこっちのほうが気分が上がる。

まだまだ訪ねてみたい鰻屋さんはたくさんある。しばらくはアニサキスアレルギーでウジウジしたままになりそうだから、別次元の魚?であるウナギに頼って生きていこうと思う。

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