2019年12月2日月曜日

年齢不相応な味覚


気付けば宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長の年齢を越え、磯野波平と同じ歳になってしまった。

世が世なら老人というジャンルに限りなく近いところまで到達してしまった。大人の中の大人である。

そんな歳になれば、鮭の切り身にきんぴらゴボウ、芋の煮っ転がし、梅干しをおかずに小量のご飯を食べているようなイメージがある。

いや、イメージというより、本来そんな食事を摂るのが正しい姿だろう。にもかかわらず、私の普段の食生活はヒドいものである。

根本的に自分の年齢を正しく認識していない。若い頃のようにジャンクな食べ物を見るとぐいぐい引き込まれてしまう。

そして、胸焼けや膨満感に襲われる。自業自得だ。おまけにコレステロールや逆流性食道炎の薬を毎日飲んでいるわけだから単なるバカかもしれない。



そんな「緩やかな自殺」みたいな日々だからコンビニでおにぎりを買ってもついつい謎のラインナップを選んでしまう。

たらこ以外は50代の大人が選ぶようなシロモノではない。でもついつい手が出る。そして自分の身の丈?に合わない味付けにゲンナリする。

年の瀬も迫ってきたので、せっせとふるさと納税にも励んでいるのだが、ここでもついつい若者が好みそうな返礼品ばかり選ぶ。




魚介や野菜系など身体に負担がかからないようなものを入手すればいいのに、よりによってトンカツだ。

でも、この冷凍トンカツは電子レンジでチンするだけでカラッと美味しく出来上がる。なぜかベチャッとしない不思議な一品なので定期的に取り寄せている。

なんだかすっかり不健康自慢みたいな話になってしまった。

さすがに家で食べる食事ぐらいは魚中心の身体に優しい路線に変えようと思うのだが、アニサキスアレルギーのせいで何となく魚よりも肉系を選んでしまう。


アレルギーのほうはすっかり影を潜めてくれている。週に一度は普通にお寿司屋さんに出かけているのだが、逆にそれが魚を食べ過ぎてはいけないというブレーキになって朝食に魚を食べなくなってしまった。

だったら海苔の佃煮やなめ茸あたりでご飯を食べればいいのに、なぜかガッツリ系に手が出てしまう。

朝ご飯という場面だけは、家庭人が素直にうらやましい。マズかろうが嫌いだろうが、身体に良さそうなものが出てきて、それを食べるしかないわけだから偏ることはない。

時には朝からカップ麺で済ませることもある私とちゃんとした家庭人が平等に健康でいられるはずはない。

自由だとか気ままな時間と引き換えに私が失っていくものは寿命そのものである。

なんだか救いようのない暗い話になってしまった。

もちろん、深刻に憂いているわけではない。一応、自戒のためには書いておくことは大事である。

というわけで、昨日食べたカップ焼きそばの話で締めようと思う。



ペヤング派の私にとっては浮気である。でもこれまた年甲斐もなく妙に惹かれて買ってしまったわけだ。

普通の50代はこういうノリ?のカップ焼きそばは買わないだろうが、時にジャンクの悪魔が身体に乗り移る私としては率先して購入。

そしてこれをウマいなあ、また買おうなどと思ってしまうう味覚が残念である。年甲斐もない味覚としかいいようがない。



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