2020年4月6日月曜日

ストレスと遺言


何かとストレスが貯まる今日この頃。ストレスが増えると太る。これは自然の摂理?である。私もストレス食いに走ることが多くなったから何となく体が重い。




大衆酒場に出かけても梅キュウや枝豆をツマミにすればいいのに、マカロニサラダやポテトサラダに目が行く。ラーメン屋に行けば気が狂ったような量のチャーシューにニンマリする。

恐いから体重計に乗っていない。これが一番ダメなパターンだろう。現実から逃げてはいけない。ちょっと節制して体重計にもマメに乗ろうと思う。

さて、話は変わる。ストレスが貯まったせいでもなく、コロナに感染しているわけでもないのだが、つい先日、遺言書を書き換えてみた。

遺言などというと、大げさな話に聞こえるが、中小企業経営者にとっては割と身近な存在だ。

いわゆる自社株問題だ。上場していない株式を持っている場合、相続が起きると厄介な話になる。

額面金額がたいしたことなくても、相続税の取り扱いでは、会社が持っている不動産などの価値が反映されて妙に高い金額で評価されてしまう。

赤字続きで潰れかけている会社でも都心に小さな工場でも持っていれば、その不動産価格が株価に跳ね返ってくるわけだ。

おまけにそんな高値の価値があるものが会社経営に関係ない遺族にまで継承されてしまうわけだからトラブルの元になる。

私自身、離婚などでスッカラカンになったから財産らしい財産は無い。遺言を書く必要は無さそうなものだが、会社の株をずいぶん持っているので、その行方は明確にしておく必要がある。

だから以前から簡単な遺言を作ってあったが、最近、生命保険の内容を見直して信託契約も組み入れたりしたので、全体を書き直したわけだ。

公正証書にするのが一番確実だが、大それた内容ではないし、そんなものにお金をかけるのもシャクだから、いわゆる自筆証書遺言だ。

法的に有効にするための決まりはあるが、とくに難しいことはない。書いていて面白くないのは、私自身の気持ちなんかは書いたところで効力はないという点だ。

兄弟仲良く暮らせとか、ちゃんと供養してくれないと化けて出るぞといった願望や精神論みたいな話は遺言に書いても意味がない。あくまで具体的な資産の配分みたいな話を書くのが普通である。

一時期流行ったエンディングノートは、そういう部分に配慮が行き届いているから根強い人気がある。

感謝の言葉とか伝えておきたい事柄とかをつらつら書くのがメインだから気持ちを伝えるには有効だろう。

私も今回、遺言書とは別な紙にそんな情緒的なことを書いておこうかと思ったのだが、いざそういうことを考えると簡単に書けるものでもない。

というか、そういうシンミリしたことを書き始めると、もうすぐ自分が死んじゃうような気がしちゃう。

で、必要な事務的なことだけを書いて終わったのだが、いつか自分が死んじゃう時にはアレもコレも書いておけば良かったと後悔するのだろうか。

そうならないために思っていることは常にしっかり言葉にして伝えないといけないと肝に銘じた。

というわけで、遺言を書く作業って、普段なら思ってもいないような自分の深層心理みたいなものに気付かされる機会になるから案外面白い。

外出自粛で退屈でしょうがない人は遺言と向き合ってみるのも悪くないと思う。

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