2020年4月1日水曜日

「首都封鎖」という言い回し


新型コロナをめぐってネットにはさまざまな情報が飛び交っている。こういう問題こそ情報弱者になってはいけないから、マメにチェックしているのだが、怪しげな話もあるから困る。

どこかの国では当初は感染者が少ないことを祈りと規則正しい生活習慣のおかげだと政府関係者が公式に発言していた。ハチャメチャである。

解熱作用のあるイブプロフェンがコロナには逆効果だという話が広まりWHOが火消しに回る一幕があった。

そんな話が出れば、常備薬として買いに行く解熱鎮痛剤選びにも慎重になってしまう。

どこかで高濃度ビタミンCが有効だという話を聞いたので、単純な私も影響されてしまい、娘のニキビ対策のために定期的に取り寄せているその種のバカ高い商品を多めに買ってしまった。

たとえデマだろうとビタミンCならムダにならないから、マヌケと言われるほどではないだろう。

ロシアで外出禁止を守らせるため、街中に800頭のライオンとトラが放たれたというフェイクニュースが広まったそうだ。



バカみたいな話だが、信じちゃう人もいたようで政府が「ライオンじゃなくてクマを放った」と冗談でデマを否定するハメになったとか。

問題は信じた人がいたという点だ。情報の洪水の中で生きているとデマやフェイクに惑わされるのが一番怖い。

オレオレ詐欺を始めとする詐欺にしても信じちゃう人が膨大にいるから成立するわけで、ウソ、デマの類いは実に厄介だ。

「まず疑う」。残念ながらこれが大切だろう。ひねくれ者みたいだが、結局それが自衛策の第一歩だ。

志村けんさんの訃報を聞いた時もフェイクニュースかと疑ってみたのだが、残念ながらテレビ各局がこぞって報道している以上、信じるしかなかった。

私もドリフに熱中していた世代だからショックだった。ヘビースモーカーで手術歴もある70歳という点で重症化する可能性は高かったのだろう。

67歳で糖尿病という基礎疾患があるトム・ハンクスが元気に復活したことで、何となく勇気づけられた人にとっては、新型コロナの怖さを改めて思い知らされた感じだ。

いま一人歩きしている言葉が「首都封鎖」だ。言葉のインパクトのせいで多くの人が戦々恐々である。法制度上、首都封鎖などという権限は国にも都にも無い。ところが、勝手に広まるこの言葉の効果によってそれが普通に実施できるような空気が広まっている。

近いうちに出そうな緊急事態宣言では外出自粛要請が行われることになるが、外出者を取り締まったり、交通機関を遮断する権限はお上には無い。

都営の交通機関は都の判断で止めることは可能だろうが、私鉄に命令したり企業に休業を強制できる法令もない。

もちろん、だからといって要請を無視していいという話ではない。実際にはすべてがストップするわけではないから、むやみやたらにすべての活動を止めるのが当然みたいな空気が広まるのは怖いことだと思う。

すでに飲食業やエンタメ業などは青息吐息の状況だが、ここにきて今度は営業を続けていることを非難する声まで一部から出てきた。感情的に非難するのは無責任だと思う。黙って破産しろと言われているのと同じだ。

一種のヒステリーだろう。そうしたヒステリーが強まれば、飲食業界などに限らず、リモートワークが出来ないような職種や休業出来ない一般中小企業まで批判の声が及ぶことも予想される。

補償も無いまま漫然と休業する発想は企業には無い。潰れてしまっては元も子もないし、それこそ雇用維持どころではない。

公務員や巨大資本を持つ大企業の関係者の感覚とそれ以外の事業者との感覚は天と地ほどの開きがある。

また、メディアの視点も個人の日常ばかりに向けられ「事業」の維持継続という社会基盤の大事な部分に向けられることが少ないことが気になる。

自粛を「要請」ではなく「強制」だと言いたげな識者のかたがたは、補償や救済策も無いまま強制的にすべてをストップさせたら物凄い数の事業崩壊だけでなく、大量の自殺者が出かねないことを念頭に置いて語っているのだろうか。

繰り返しになるが、自粛という方向性に反対と言っているわけではない。安易な行動は無責任であり、おとなしくしている必要性は理解している。それでも、どうしても状況に応じた予防や対策しか出来ない現実があることは忘れてはならない。

外出禁止や企業活動の停止などヨソの国が行っているような強制力を持った制限は日本では断行出来ない。過去の反省によって国に強大な権力を持たせない法体系になっていることが影響している。

この思想が新型コロナという敵を前にして吉と出るか凶と出るかは歴史の審判を待つしかない。

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