2022年1月17日月曜日

脚線美を考える

 

男性のどこに魅力を感じるか。女性と話をする際にそんな話題で盛り上がることがある。顔は別として手や腕という答えが多い。あまり面白くない。でも実際にそうなんだろう。

 

腕まくりをしている男性の腕に目が行くという話もよく聞く。私もそんな話を聞くと真冬の夜だろうと無理して腕まくりしようと頑張る。バカである。シャツに隠れている部分がむき出しになるからだろうか。だとしたらちょっと分かる気がする。

 

男の場合、女性のパンツ姿よりスカート姿に惹かれるが、あれだって脚という魅惑的な部分が露出していることが理由だ。ミニスカートなんて普段はお目にかからない太ももまで出ているから男目線は喜ぶわけだ。

 




 男性の場合、女性のどこに目が行くかと言えば、やはり脚になるだろうか。そりゃあ胸やお尻も見ちゃうが、服に隠れた膨らみを見たところで面白くない。偽装だって珍しくない。

 

それに比べてスラっとのびた脚のラインには独特の魅力がある。男性の身体付きとは根本的に違う。男からみれば自分にはない形状の最たる部分が女性の脚のラインだろう。

 


 

男側の弁解としては、決してスケベ目線ばかりではないということを強く主張したい。女性の脚のラインは素直に美しい。脚線美という言葉は男には使われないように女性らしさの象徴だと思う。

 

富士山の雄大さに自然と目が向くのと変わらない。燃えるような夕陽に見入ってしまうのと同じようなものだ。ちょっと無理があるがそれに近いものがある。スケベ心ばかりではないことは確かだ。

 

もっと言えば絶世の美女の顔と同じだ。男なら誰もがその顔に見惚れてしまうが、そこにスケベ心はまだ無い。ただ美しいものに目を奪われる感覚だ。

 



女性の脚線美も普通の男なら普通に目が向いてしまうわけで、脚を見られたからといってすぐにスケベオヤジ扱いするのはやめてほしいものだ。

 

ちなみに生きている時代が100年違うだけで女性のミニスカート姿など見る機会は無かっただろうし、今だって宗教的な理由で女性が肌を露出しない国もあるわけだから、こうして呑気にこんな話を書いていることは幸せなことだ。

                                                          


なんだかんだと弁解がましいことを書いてきたが、もちろん脚線美に対する男目線はスケベ心バリバリというケースも多い。


私は決してスケベ心など持ち合わせていない!のだが、大半の男はやはり本能的にスケベだから、脚のラインを見ることによってその女性の全身のスタイルを想像して悶々とすることは多いのだろう。

 



 面白いもので全裸の女性を前にしたら脚のラインに目が釘付けになることはない。着衣ありきだからこそ脚線美が際立つわけだ。うなじと似ている。和装だからこそ目が向くわけで全裸の女性のうなじを必死に鑑賞する男はいない。

 

さて、脚に目が向いてしまう隠れた理由が「触れるか触れないか問題」だろう。手をつなぐ、肩を抱くというスキンシップはさほどハードルが高くない。それに比べて脚を触るという行為は別格だ。

 

よほど親しくないと脚を触るという展開にはならない。親しかったとしても、手をつないだり肩を抱く行為のように公衆の面前で堂々と行われることはない。

 

この“禁断な感じ”も脚線美を魅惑的なものにしている理由だと思う。

 


 

何だかどうでもいいことを必死に力説してしまい恥ずかしくなってきた。いい歳したオジサンが今更こんなことを分析してどうなるのだろう。いや、いい歳したオジサンだからこそ真剣にこのテーマを考えてしまうのだろう。

 

まあいいか。

 

脚線美をより魅力的に演出するハイヒールというシロモノも考えてみれば凄いグッズ!だと思う。ウィキペディアによるとその起源は紀元前400年代のアテネの遊女だという説があるらしい。

 

その後、イタリア、スペインあたりで高級娼婦や貴族の女性の間で流行し、欧州ではナポレオン戦争が始まる前までは男性もハイヒールを履いていたそうだ。フムフムって感じである。

 

時折、ルブタンのハイヒールに萌えたりする私としてはそんな基礎知識を知らなかったことは問題である。スケベ心を誤魔化すためにはこういう雑学は常に仕入れておかないといけない。

 


 

なんだか話がとっ散らかってしまった。オチもまとめも無い話になってしまったが、あえて結論めいたことをいうとすれば、男がどう頑張っても手に入れられないパーツだから脚線美には崇高な魅力があるわけだ。

 

以上です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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