社会人になって30ウン年。思えば社会は随分と変わった。革命的に変わったのがタバコをめぐる環境だろう。喫煙者のまま時代に取り残された私にとってはITの進化よりもその変化の凄さを痛感させられる。
私がタバコに手を出したのは1980年ぐらいだ。当時の成人男性の喫煙率は8割近かったと思う。8割って凄い。病人とか変人以外は全員スパスパしていたわけである。
いまや25%ぐらいの喫煙率だから、私のような時代遅れの人間は実に肩身が狭い。まるで犯罪者のようである。
だったらヤメろと言われそうだが、嗜好品だからなかなか簡単にやめられない。コーヒー、酒あたりは迫害を受けていないから実に羨ましい。
まあ、そんな愚痴を書いたところで時代の趨勢にまったく影響はない。ブツクサ言いながらコッソリ喫煙生活を続けるしかない。
職場が禁煙だから、時たま流し場の換気扇の下で隠れてタバコを吸う。大のオトナとして実に残念な姿である。シャバダバである。
仕事を終えて一杯やろうと思う時は当然タバコが吸える店に入りたい。でもそれが無い。なかなか無い。滅多に無い。トキやニホンオオカミを探すぐらい見つけるのに難儀する。
年々、喫煙可能な飲食店を探すのが大変になってきたのは事実である。最近も連敗!!続きである。
タバコが吸えてそれなりにウマいものも食べられる居心地の良い店はいくつか知っているのだが、そこじゃない店に行きたい時もある。
某日、わが社がある京橋からぶらぶら歩いて銀座一丁目界隈を散策。目的は喫煙な店を探す一点である。どこもかしこも禁煙マークを誇らしげに貼ってある。結局、4丁目のほうまで辿り着き、「全席タバコOK」という大きな貼り紙が魅力的な沖縄料理屋に吸い込まれた。
タバコを吸いながら一杯やれれば大満足のはずが、入ったら入ったでワガママな私はウマいものが食べたくなる。ラフテー、アーサの天ぷら、豆腐よう、ジーマミ豆腐あたりを並べて泡盛を飲んだのだが、正直どれもいまいち。ちょっと残念だった。
別な日、茅場町周辺をぶらぶら。相変わらずタバコが吸える穴場探しである。足がかなり痛くなるまで歩き回ったがピンと来る店が無い。
仕方なくチェーン店のモツ焼屋に入る。バイスサワーやホッピーを片手にもろきゅうや串焼きをかじりながら過ごす。マズくはないけどウマくもない。赤いウインナーを久しぶりに食べたことぐらいが収穫?だった。
わが家の近くにあるタバコの吸える快適な店か銀座にあるタバコが吸える快適な店に行けば良かったと後悔する。本当に後悔ってヤツは後からじわじわやってくる。不思議なもので最初はタバコが吸えるだけで有難かったのにだんだん感謝の心を忘れてしまう。人間の業みたいな世界である。
別な日、喫煙者歓迎の大衆酒場が人形町にあったことを思い出して仕事を終えてわざわざタクシ-で向かう。そこならそこそこウマい一品料理もあるから知らない店に突撃して撃沈するような悲惨な事態は避けられる。
で、数ヶ月ぶりに訪ねたその店は喫煙スペースが新たに用意された変わりに席では吸えないシステムに変わっていた。ジェジェジェ!である。アッパーカットを食らった4回戦ボクサーのように崩れ落ちそうになった。
悩んだが結局その店で妥協せずにブラブラと散策。タバコはやはり座って吸いたい。その後「タバコ吸えます」という店がいくつか目に付いたので余裕を持って店構えなどを吟味しながら歩く。
結局、下町っぽい渋い風情の店に決める。軒先に出ていた自慢メニューに惹かれてノレンをくぐってみた。客は誰もいない。ドンヨリした雰囲気。おまけにカビ臭い。ハズレを引いた予感大だったが、歩き疲れていたので、つい生ビールを頼んでしまった。
もう後には引き返せない。でも、軒先に誇らしげに書かれていた自慢メニューに期待してスパスパしながらビールをグビグビ。注文を取りに来た店主に例の自慢メニューを頼んだら「今日はありません」と衝撃の返事が返ってきた。
あまりのショックに金縛りに遭いそうになった。仕方なく怪しげな刺身と怪しげな豆腐料理とマカロニサラダを注文した。マカロニサラダがごく普通だったことに救われた夜だった。
タバコを吸わない人からすれば実にバカげたくだらない話にしか思えないはずだ。でも仕事終わりに一服しながらゆっくり一献傾けたい気持ちが分かる少数派の人には理解してもらえる切ない話だと思う。
4月に入ったらわりとすぐに引っ越しである。最近、時間があれば新居の周辺を散策している。目的はもちろん喫煙可能な飲食店探しである。なかなか見つからない。ツラい。
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