ウナギを外しまくっている。悪循環、負の連鎖が続いている。なんのことはない。自分の横着でウマいウナギを逃している。
そんなにしょっちゅう食べるわけではないが、私自身、ウナギは大好きだ。東京の名店と呼ばれる店にも随分行った。
よく冷えた冷酒のツマミにはわさび醤油で味わうウナギの白焼きが一番合う!。こんな信念を曲げずに20年以上になる。
先日、久しぶりに真っ当なウナギ専門店に行こうと計画。ところが土用の丑の日が近かったせいもあって予約が出来ない。
日本橋で2件、神田で1件、築地で1件、ことごとく「今月は予約は受けない」とか「その日は満席だ」とか言われてしまった。
その程度であきらめるようじゃ救いもないが、立て続けに断られたのでウナギ自体が恨めしくなって、相変わらずの寿司屋通い。こういうこだわりの無さがその後のダメダメな日々に続く。
ウナギ専門店にふられまくった数日後、風邪気味だったので、まっすぐ帰宅。その際、滋養をつけようとウナギのことが頭をよぎる。時間も遅かったので、なんと近くの吉野屋で鰻丼を購入して持ち帰る。
「牛丼屋で鰻丼」。絶対ダメじゃん!そんなことバカでも分かりそうだがやってしまった。
フタを開けたらどんぶり飯ばかりが目に入る。ウナギが小さい。しょぼい。寂しい。悲しい。
まっとうなウナギ屋なら、お重のフタを取った瞬間、目に飛び込むのはウナギばかりのはず。大きいウナギだったら端っこのシッポのほうを折り返してあるほどだ。
吉野家のウナギをそういうウナギと比べること自体、無意味なのだが、フタを開けた瞬間に感じたあの寂しさは想像を絶した。
4人分か5人分の鰻丼を買ってきて、ひとつのどんぶりにウナギだけを総結集すれば、それなりの鰻丼になりそうだ。残ったどんぶり飯をどうするのかが問題だ。
牛丼だったら牛皿というメシ無しの一品がある。牛皿を別注で買ってきて牛丼にトッピングすればスペシャル盛りは際限なく可能だ。
鰻丼の場合はどうだろう。たしか「うな皿」という単品メニューは無かったからコトは簡単ではない。
さて、その翌日、この日も体調が優れずまっすぐ帰宅。またまた滋養をとろうと今度は自宅近くの魚屋の店頭にあった蒲焼きが目に入った。
「愛知県産、当店でさばきました。タレも当店特製」と貼り紙まである。迷わず買った。蒲焼き一枚が吉野屋鰻丼の3つ分の値段だ。それが普通だろう。期待して持ち帰る。
家でそそくさと食べる。マズい。素直にマズい。タレもまずい。まともなのは山椒だけ。泣きたい。
思えばあの魚屋は普段ウナギなど置いていない。そんな魚屋がさばいた自家製ウナギだ。美味しいはずがない。骨もやたらと気になる。また失敗だ。
その後、週末にウナギを食べた。奥方様にデパートで買ってきてもらった。ここ数日の中ではマトモだった。一応、専門店のウナギらしい。もちろん、温め直しというジャンルでのマトモさだ。嬉しくなるほどウマいものではない。でも確実に軌道修正だ。
数日後、会社終わりにウナギでも食べようと思いつく。ウナギというよりアルコールへの意識が強かったせいで、またまた失敗。
池袋という立地が微妙だ。でもそこそこ有名な老舗があるので行ってしまった。
いま思えばウナギが美味しくて有名なのではない。珍しいウナギの各部位を串焼にして出すことで有名な店だ。
池袋西口の繁華街に立派な店舗を構える。オヤジのオアシスみたいな店。串を頼んだ。レバと肝とカシラ。
ウナギの肝と呼ばれる部位は一般的に臓物系全般を指すらしい。この店のレバ串を食べると、肝とレバの違いが良く分かる。ウナギのレバ串はとてもウマかった。
串と枝豆でいい調子で飲み始めていた私だ。ウナギの白焼きも早めに注文する。冷酒に変えた時にじっくり楽しもうと企む。
ところが10分もしないで白焼きが登場。オキテ破りだ。ヤバい。おそるおそる食べてみる。味がない。マズい。串はウマかったのに、この落差はなんなんだろう。わさびと醤油をやたらとベチョベチョつけて食べる。
気を取り直して「うざく」を頼む。今度は2分で出てきた。ウナギ専門店としてそういう感覚でよいのかっ!と突っ込みたくなる。
そんな店でも最後にうな重を注文する私は、ただのバカ食い野郎だ。ウナギが食べたいという思い込みは、注文後数分で白焼きを出すような店であっても衰えない。
案の定、頼んでから6分ぐらいでうな重が運ばれてきた。
甘いタレ、ビチャッとしたウナギ・・。想像した通りだ。でも完食。
ここに書いた出来事は1週間ちょっとでの話だ。0勝4敗みたいなもの。いま頭の中にあるのは敗者復活戦のことばかり。1回で5勝分ぐらいの満足感を味わいたい。
いつどこに行くか、いろいろ検討中。負の連鎖に終止符をうつ日は近い。
2009年7月27日月曜日
ウナギ
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