すったもんだした税制改正大綱がまとまった。マニフェスト放棄が乱発されたが、財政事情を考慮するとある程度の“修正”は仕方ないという受け止め方が一般的だ。
財源規模という点で一番の焦点だったのがガソリン関連の暫定税率をマニフェスト通りに廃止するか否かという点。
結局、事実上の廃止見送りという「公約違反」がまかり通ったわけだが、世論が比較的平静なのは、鳩山首相自身の巧みなマスコミ対応にも理由がある。
一応、暫定税率を廃止するものの、新税創設という形で課税水準を維持するという今回の決着は、一種のマヤカシであり、単なる“衣替え”でしかない。
旧来型の政治家や官僚であれば、こういう手法について、「廃止は廃止、公約違反ではない」といった屁理屈で押し通す傾向があった。苦し紛れの言い逃れだ。
今回、鳩山首相がストレートに謝罪を口にしたことは、何でもないことのように見えて一連のドタバタ劇の中のポイントになったように思う。
「形の上では廃止かもしれないが、現実は存続することになったことは、率直におわびしなければならない」。
こういう表現で、姑息に言い逃れせずに、さっさと謝罪を口にしたわけだ。“屁理屈”を主張されたら批判しようと手ぐすね引いていたマスコミ陣営も拍子抜け。
鳩山首相のこのあたりの政治センスというか、嗅覚みたいなものが、下落中とはいえ高支持率をキープしているひとつの理由だろう。
一族あげての脱税疑惑の渦中にある首相を評価する気はさらさら無いが、もし、これが「小沢首相」だったと仮定してみよう。
“小沢首相”だったら、マニフェスト違反が相次いでも例の傲慢不遜なマスコミ対応に終始するだろうから、政権瓦解ぐらいの事態を招くのは確実だと思う。
逆にいえば、そんなことは百も承知の小沢幹事長にとって、鳩山首相ほどタッグを組みやすい相手というか、コントロールするのに格好な相手はいないだろう。ある意味、結構強力な組み合わせだと思う。
さてさて、そんな雑感はともかく、一連の騒動の中で注目された「所得制限」の行方が気になる。
民主党政権の目玉政策である「子ども手当」と高校の実質無償化について、いずれも最終的に所得制限は設けられないことになった。
最初から首相自身が「所得制限は設けない」と言明していたわけだし、ある意味、当たり前の結論だが、税制大綱の決定前日まで「年収2千万円」あたりで線引きされる公算が強かった。
富裕層向けのメディアを発行しているわが社では、仮に所得制限が設けられた場合には、当然、大々的な批判キャンペーンを準備していた。所得制限という金持ち冷遇策がいとも簡単にダマシ討ちみたいに実行されるのは異常なこと。
今回はかろうじて、そういう事態は避けられたが、かえって今後のウサン臭さが強まったという見方も出来る。
ガソリンの暫定税率の廃止見送りは、政権の母体である「民主党」が「内閣」に対して要望という形で強力な影響力を行使したことが原因。
子ども手当についても、民主党サイドは内閣に対して「所得制限を検討しろ」と要望。結果的に内閣側が逃げ切ったものの、肝心のマニフェストの発信元である「党」が平然と公約違反を働きかけた事実は重い。
これが何を意味するのか。
導入初年度こそ所得制限が設けられなかった子ども手当だが、二年目、三年目に醜く変貌していくと見るのが妥当だろう。
間違いなく、来年の今頃、「年収2千万円未満」あたりを子ども手当支給基準にする改正案が堂々と閣議決定されるだろう。
たった1年で約束をホゴにされる“被害者”は全体の数パーセントに過ぎないため、マスコミからのバッシングも少ない。
そして、一度、所得制限という既成事実が出来てしまえば、その後は支給制限される所得ラインはどんどん引下げられる。
「お金持ちへの支給制限は必要」などとシタリ顔で語ってる中堅所得者層の人々は多い。自分達レベルなら安泰と思っているから安易にそういう発想をするのだろうが、いずれ所得制限という約束違反が自分達にも降りかかることを自覚した方が賢明だ。
政治家や官僚が新しい制度を創る時の口癖は「導入ありき」。「導入さえ出来れば、あとはどのようにでもいじれる」という意味合いだ。この感覚を所得制限に置き換えれば、子ども手当は決してバラ色の制度なんかではない。
2009年12月24日木曜日
所得制限の行方
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