2014年2月19日水曜日

白い東京 ペニンシュラ

雪で大迷惑の2月である。ちらちら舞い始めて、木々がうっすら雪化粧する程度なら風情があって良いが、今回のドカ雪は迷惑の一言。

でも、思わぬ収穫が一つあった。迷惑積雪のおかげでスマホでタクシーを呼べるアプリを使い始めたのだが、これが実に便利。

自宅マンションの車寄せまで来てくれるし、GPS機能のせいで、かなり正確な到着予定時間まで通知される。便利な時代になったものである。

1度目の大雪の時は、なぜか激しく雪が降っているのに、娘が私の住まいに遊びに来ると言い張るので、雪の中を迎えに行き、夜になって雪の中を送り届けた。

送り届けたはいいが、その後、暴風雪状態になって、電車が止まったりして散々な状況になった。雪中行軍みたいになってしまった。


別な日、子ども二人を連れて杉並区の実家に出かけた。庭にドカンと雪が残っていたので、今度は息子を雪遊びさせようと画策した。離れて暮らしているせいで、会う時には妙にハッスルしてしまう。常にヘトヘトになる。

雪合戦である。しかし、投げつけた雪がヤツの首回りに命中し、服の中まで濡れてしまい、ヒーヒー泣かれてすぐに合戦終了。結局、近隣の散歩ばかりさせられるハメになった。ダウン症の子どもは体質的にシモヤケになりやすいそうなので、スパルタ雪合戦は無理みたいだ。

思ったようにはいかない。

翌週、二度目の大雪の時には、天気予報が外れて、都心部は思った以上の積雪に見舞われた。いろいろ用事があったのだが、あらかじめ帰宅困難者になることを想定してホテルを取るハメになった。

同じ事情の人は多かったみたいで、手頃なホテルは満杯。泊まろうと思っていたホテルも全然ダメで紆余曲折を経て有楽町のペニンシュラを確保した。富豪だからそんなところを取ったわけではない。基本的に外資系ホテルは苦手なのだが、その手のお高いホテルしか取れなかったのが実情である。



チェックインの際、予約していたはずの喫煙部屋がオーバーブッキングでいっぱいだとフザけたことを言われた。「じゃあキャンセルするで~」と怒ったら妙に立派な部屋にアップグレードされる。最初からそうすりゃいいのに間抜けな対応である。

それにしても、あの日、東京のホームレスはどこで眠ったのだろう。真っ白な都会の景色を眼下に眺めながら妙に気になった。

深夜、オリンピック中継を見る。羽生選手の金メダルを生中継で見られた。この日のことは「暴風雪のペニンシュラ」ととともに私の記憶に残ることになった。

さてさて、雪の思い出といえば、やはり若い頃のことばかりだ。

スキーはまったくやらなかったクセに、高校、大学の頃は悪友達とスキー旅行に何度も出かけた。

温泉に浸かって酒飲んでワイワイバカ騒ぎ。昼間は寝ているか、時々そり遊びをする。普通の服、普通の靴でスキー場に行ってたのだからモノ好きである。

女の子グループなんかも一緒だったので、チャラい若造だった私としては、スキーに興味が無いのにニコニコ参加していたわけだ。

何日も滞在していると、毎日一人ぐらいはスキーをサボる女子もいる。そうなれば暇を持て余す私の出番である。冬眠を忘れた熊のように頑張ったりしていた。

「若さ」と「バカさ」が同義語だったあの頃、エネルギーが有り余っていたのだと思う。

大学生の頃、当時はまだマイナーだった四輪駆動車にハマり、冬が来ると雪道踏破にハッスルしていた。

4輪にチェーンを装着すれば、かなりの悪路もヘッチャラなので、わざわざ雪深い場所に出かけて秘境の雪見露天風呂を楽しんだり、人のいない大雪原でコーヒーを沸かしたり、アマノジャクの極みみたいな時間を過ごした。

都心に雪が積もると自慢の四駆でウロウロ走り回り、脱出不能な車を牽引して、謝礼を稼いじゃったことも何度かある。

アクティブな若者なら、雪といえばスキーにスノボって感覚なんだろうが、私の場合は、「雪イコール温泉」である。

雪見の露天風呂こそ、日本最上級の風流の世界だ。今までも何度も出かけた。近場の群馬あたりにイソイソ出かけ、イメージ通りの「渓谷、川、ドカ雪」みたいな背景を眺めながら極上の湯浴みを楽しんでいた。

わざわざ北海道まで行って「海、カモメ、雪」という演歌みたいな状況で温泉を楽しんだことも何度もある。

顔だけ冷たい雪見露天はのぼせない点が最高である。演歌以外にはいつもレミオロメンの「粉雪」を口ずさむのだが、サビの「こな~ゆき~」という部分しか歌詞を知らないので、常にその四文字以外は鼻歌になってしまうのがストレスである。

また話は変わる。

15年以上前だっただろうか。京都・大原の雪景色が自分史上、もっとも印象的な雪だったかもしれない。

大阪に出張で出かけた時のこと。出張といっても、講演会でちょろっと話をするだけだったので、細かいスケジュールに縛られていなかった。

天気予報を見たら京都は雪。本来の用事をサクッと済ませて京都に向かう。駅前でレンタカーを借りて、明るいうちに大原に着いた。

平日、遅めの午後。三千院に人はいない。雪に埋もれる境内を歩き、高名な画家がどんなに頑張っても描けないような美しい景色の中に身を置いた。

静寂のなか、時折ばさっと木々に積もった雪が落ちる音だけが聞こえる。幽玄の世界そのものだった。あんなに美しい雪を見たのは、それ以前もその後もない。

あの時、もし恋仲の女性を連れていたら間違いなく詩人になっていたはずである。いや、意味もなく心中しちゃったかもしれない。

それほどこの世のものとは思えない光景が広がっていた。いつかまた好きな人を連れて行ってみたい。いや、心中しても困るからやめておこう。

その頃、自己満足に過ぎないヘタな短編小説を書いたことがある。南国ミクロネシアの小さな島の空港で、星空を見上げていた主人公が、雪が降り積もる錯覚を見るという意味不明な話だった。

雪を描写する際に、京都で体験した神がかり的な雪景色を参考にした。ほぼ完成していたのだが、いつの間にか原稿自体を紛失してしまった。ちょっと残念である。

まあ、紛失したからこそ、自分の中で都合良く美化しちゃってる部分もある。ひょんな時に見つかって読み返したらゲンナリするはずだから良しとしよう。

今年、東京はまだ雪に見舞われる可能性があるらしい。迷惑な話だが、せっかくだから画期的な時間になるように企てたい。

何年か後に大雪になった時、今年を振り返って「○○で△△と一緒に過ごしたなあ・・・」などと懐かしくホッコリした気持ちで思い出せるような雪の時間にしたいものだ。

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