2014年5月2日金曜日

イマドキの出前


なんとなく暮らしていると気づかないのだが、時々、世の中の「進化」に深く感心することがある。

「出前」。今はデリバリーと呼ぶようだが、この分野もいつのまにか劇的に進化した。

私の場合、インターネットの「出前館」というサイトを活用している。何気なく使いこなしているが、考えてみれば、20年、30年前には想像もできなかったような便利な仕組みが構築されている。

https://demae-can.com/

自分の住所を入力すれば、そこに出前してくれる無数の業者がヒットする。和食、洋食、中華などジャンルごとに選べるし、「最低注文金額」とか「待ち時間」などの条件を選べば、自分の都合に合ったさまざまな料理が自宅に届く。

業者ごとにクチコミをベースとして点数まで表示されているから、気になった業者の評判も一目でわかる。

中年世代にとって「出前」といえば、近所のソバ屋か寿司屋か、せいぜいピザの宅配だったが、今では、高級サンドイッチや豪華なハンバーガー、釜飯、本格イタリアン、オムライス専門店、インドカレー、もつ鍋まで選り取りみどりである。

ロコモコ丼、チキン南蛮、鉄板焼きなんかも出前してもらった。業者によってはアルコールまで持ってきてくれるから非常に便利だ。

なかにはサイトの注文画面でクレジットカード決済が可能な業者もあって、小銭をジャラジャラ用意する手間すら省ける。

私自身、一人暮らしを始めてからのこの1年半、ガッツリ系から、中高年の一人暮らしを意識したようなヘルシー系和食まで、随分いろんな業者から出前してもらった。

ヘルシー系の弁当屋さんだと、白米の代わりにヒジキご飯とか玄米が選べたり、ヘタな外食や自炊より健康的なものが食べられる。

注文時に表示されている「待ち時間」から大きくズレることなく配達されるので使い勝手も良い。

その昔、一般的だったソバ屋の出前のいい加減さ(全てのソバ屋ではないが・・・)に比べれば、たいていの業者がしっかりしている。

若い頃、会社の近所のソバ屋さんから頻繁に出前を頼んでいたが、ロクでもないモノでも文句を言わずに食べていた。出前の料理に味の期待なんかしない習慣があった。

実際、盛りそばを例に取ると、ソバは既に乾ききり、箸でひと口持ち上げようとしても、すべてのソバが一団となって持ち上がったしまうようなシロモノだった。

隔世の感がある。

イマドキの出前でも、オヨヨ?と感じるヘンテコな味の料理もあるが、総じてマトモだ。想像以上にウマくて驚いたことも何度もある。

問題は食べ過ぎることである。これは私だけの問題だろうか。出前を頼む場合、ついつい次の日も食べられるようにと多めに注文してしまう。

注文した料理が届いた時は間違いなく空腹である。気づけば次の日の分まで食べきって、太田胃散を飲みながら途方に暮れる自分がいる。

なんとかならないものだろうか。

すべて自分が悪いのだが、二度と出前なんか頼まないと心に誓う。でも、そのうち記憶から悪夢は消えて何度もバカ食いを繰り返す。

自分のことを前世で餓死した人の生まれ変わりなんじゃないかと思ってしまう。

先日も、物凄く空腹だったので、「ウニクリーム入りカルボナーラ」と「カキのペペロンチーノ」という二つのパスタをペロッと食べて満足したつもりになっていた。

この日、二つのパスタの他、翌日の「朝カレー」用に「チキンとトマトのカレー」も出前してもらっていた。

もちろん、満腹な私はカレーになど見向きもしないつもりだった。しかし、冷蔵庫に入れようとした際に、ふとカレーの味見をしたのが運のツキだった。

パスタ二つを食べたせいで、なんとなくコメで口直しがしたくなり、味見の延長の「つい一口」が「二口」、「三口」と続き、気づけばカレー完食である。

バッカじゃなかろうかルンバである。

つくづく世の中の進化がニクい。手軽にウマいものを玄関まで届けてくれて、「さあ食え、がんがん食え」と私を誘惑しやがる。

自宅からパソコンを撤去して、自宅には財布を置かずに過ごすしか逃れる方法はないのだろうか。

困ったものである。

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