2020年5月1日金曜日

自粛の解釈


わが社でも8割方リモート勤務になっているが、徒歩出勤が出来ちゃう私はノコノコ出社する日が多い。

会議も無い、商談も無い、誰かと会う予定も無い状態だから寝間着で出社しようが問題はないのだが、毎度きちんとスーツにネクタイで出かける。

これは気持ちの問題である。オンとオフの切り替えのために一種の制服に身を包むことで何となく自分を鼓舞しているわけだ。

バカみたいな話だ。でも私のような怠け者にとっては必要な儀式みたいなものだ。我ながらご苦労なことだと思う。

さて、昨今のギスギス社会を象徴するのが「パチンコ屋つるし上げ問題」だろう。全国で休業要請に応じないパチンコ店が叩かれまくっている。

店名公表という措置はさらし者効果を狙ったものだが、逆に宣伝につながるなど、まさにテンヤワンヤの状態だ。

私はパチンコをしないからパチンコ屋さんの肩を持つわけではないが、今のヘンテコ同調圧力には薄気味悪さを感じる。休業しない店に爆破予告まであったらしい。

休業要請は要請に過ぎず、従わない事業者がいるのは不思議ではない。夜8時以降も営業している飲食店だって珍しくない。

理想を目指すことは大事だが、理想と現実が必ずしもぴったり一致しないのは世の中の摂理みたいなものだろう。

補償も無いのに休業できない事業者がいるのはやむを得ない。これは仕方がない。国や自治体も補償を棚にあげている以上、そんなことは百も承知だろうが、パチンコ問題については、世間の同調圧力を煽って休業を押しつけているように見える。狡猾な話だ。

東京都の場合、飲食店なら休業しなくても時短営業に応じれば協力金がもらえる。それでも瀕死の状況なのに、パチンコ店には協力金などの措置は無い。それが現実だ。

三密になりやすいから休業が要請されるわけだが、時短営業している飲食店だって今もしっかり三密状態は見受けられる。

店にもよるが、わが社の近くにあるラーメン屋さんやおそば屋さんの昼時の混雑ぶりはかなりのもの。怖くて入る気にならないぐらいの時もある。

皆さん、食事だから当然マスクはしていない。どう考えても危険度は高いと思うのだが、そんな光景に対して世間が文句をつけることはない。ただただ「パチンコけしからん論」ばかりがお祭り状態だ。

営業しているパチンコ店はごく一部だ。だからといってそれが良いという意味ではないが、逆に大半が休業していることのほうを評価すべきかもしれない。補償もないまま休業している大半の店に一国民として感謝したいぐらいである。

無気味なのは経済再生担当相が罰則規定を含んだ法改正に言及したことだ。「要請に応じなかったら罰則」。要請が強制でない以上、これって論理破綻だ。そんなことを大臣が言い出すのは危なっかしいことだろう。

いうまでもなく要請は強制ではない。そんなハチャメチャな筋書きが成り立つなら、罰則はどこまでも広がっていく。

万一、そんな流れになってしまったら、パチンコ屋限定の制度になるはずはなく、どんな業種にも強権が及ぶことにつながる。憲法すら無視したトンデモ法制だという視点が抜け落ちている。

政府関係者ならここぞとばかりに今の世論を利用したくなるはずだ。ドサクサまぎれに強権を駆使できる法律を作れちゃうわけだから、千載一遇のチャンスと認識する。

そんな暴挙が許されるなら、いずれ散歩しても罰則、毎日買い物に出かけたら罰則、帰省したら罰則など、どんどんエスカレートしかねない。

もちろん、極端な例えだが「要請なのに罰則」という考えが通用するなら同じベクトルの話である。

繁華街の人の減り方など、緊急事態宣言が出てからの国民の自粛協力は物凄いレベルで進んでいる。素晴らしいことだと思う。

日本人の勤勉さ、優秀さを誇らしく思う反面、その真面目さが逆手に取られて国家権力が都合良く増長するのは怖いことだ。

改めて思うのだが、自粛自粛で世の中が変に硬直化していることに疑問を感じない人が多すぎる気がする。

ステイホームとやらが原則なのは分かるが、あくまで臨機応変に対応すればいいことだろう。人が密集しなければ出かけることを禁じる必要はない。

サーフィンだって潮干狩りだって周りに人がいない状態なら咎められる話なのだろうか。まあ、なかなかそんな場所がないのが困りものだが。

もっと言えば、自粛という言葉が曲解されて「楽しいことをしてはいけない」というヘンテコな空気になっている気がしてならない。

ウダウダ書いたが、不快に思われたらスイマセン。でも、自粛生活といえども少しでも楽しみを見つけることは大事だ。それだけは間違いない。

いまこそ常識的な大人の判断で臨みたい。それが一番難しいのだが・・・。

★次回更新は5月8日になります。

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