2020年11月11日水曜日

京都 美食の館

今日は久しぶりに富豪?っぽい話だ。ひょんなことから“美食の館”を訪ねた話である。

 

先週末、京都に2泊で出かけた。初日の夜に訪ねた店が凄かった。「凄かった」という語彙力のカケラもないような表現をあえて使いたくなる。そう表現するのがピッタリだった。

 

一昨年、銀座の寿司屋を閉めて京都に進出した昔なじみの大将が開いた店である。ジャンルは寿司屋だが、ただの寿司屋とは呼べないユニークな美食空間だった。

 

大将とは10年来の付き合いだ。二人だけで明け方までカラオケを熱唱したこともある。我がオジサマバンドのライブにも何度も足を運んでもらっている。

 

銀座で10年、しっかり繁盛していた店を閉め、東京人であるにも拘わらず京都に新天地を決めた決断には驚いた。

 

40代も後半に近づき、人生の舵を大きくきりたくなるタイミングだったのだろう。ちょっと分かる気がする。

 

見知らぬ土地に来て、店の立地選びに苦戦し、ようやく新店オープンに至った途端にコロナ禍である。

 

夜逃げでもしちゃったんじゃないかと心配していた私の予想に反して?何とも画期的かつ素晴らしい店をスタートさせていた。

 

ネットに情報がまったく無い。大将自身、SNSも使っているくせに新店の宣伝をいっさいしていない。今時、まっとうな店でそんな“隠密”路線をとっている店は珍しい。

 

事前にメールで予約はしたものの、場所の詳細も店の雰囲気も何も分からないまま、指示されたとおりにタクシーで向かう。

 

八坂神社の横をのぼっていく。タクシー料金は初乗りに毛が生えた程度で着く距離なのだが、円山公園の外れのまさに“山の中”である。

 



 

車がようやくつけられる行き止まりのような奥地にポツンと一軒家があった。周囲はうっそうとした森だ。

 

店名表記も無い。着いたのは夜の6時頃。半信半疑で店の様子を外からうかがう。森の中では夜行性の動物がガサゴソ動き回る音しかしない。

 

宮沢賢治の「注文の多い料理店」みたいな雰囲気である。もしくは宮崎駿作品に出てくる神秘の世界のような風情だ。

 




 

古めかしい外観とは違い、中はピカピカで上質な和モダンの世界が広がっていた。美しい檜のカウンターは斜めに設置され、ライトアップされた窓からの眺めがどこからでも楽しめる造り。

 

この段階で「やられた!」って感じである。大将もそれが狙いらしい。サプライズ効果というか、高揚感はいやでも上がりっぱなしになる。

 

飲食店によく使われる「隠れ家」という言葉をここまで完璧に体現している店はそうそう無いだろう。おまけに客は一組限定で貸し切りだという。

 

「一軒家レストランで貸し切り営業」と聞かされていたら恐らく訪ねなかったと思う。私はそういう大袈裟な感じが苦手だ。でも、ここなら話は別である。

 



 

氷室を備えた和風冷蔵庫に準備されていた数々のネタをすべて説明してくれる。魚に限らず上質な牛肉や鴨まである。それぞれの食べ方を客の好みに応じて相談しながら決めていくスタイルだ。

 

何とも贅沢な時間を過ごした。食事時間も自ずと長くなる。この日はダラダラ過ごしていたらアッという間に3時間半が過ぎていた。45時間過ごす客も珍しくないらしい。

 



 

数え切れないほどのウマいものを食べた。珍味好きの私用に用意してくれたちょっと変わった塩辛みたいなツマミも含めれば20種類以上は食べたかもしれない。

 

すべて美味しかったが、トリュフを細かくおろしてシャリ自体にまぶしたうえで握ってもらったトロが印象的だった。

 




 

あえて醤油は使わず、赤酢を使った味の濃いめのシャリと合わせることで独特の風味を楽しめた。トロが好きではない私も満足。

 

醤油無しでマグロをウマいと感じることなどあり得ないと思っていたが、まさに目からウロコだった。

 

面白かったのは「お麩」の握り。バター醤油で味付けしたうえでシャリと合わせる。これまた未知の味だった。

 





 

京都で魚といえば「ぐじ」の呼び名で人気の甘鯛だ。もともと淡泊な味の魚だが、この日は昆布締めとヅケで楽しめた。江戸前の味付けとの融合である。

 


こちらの大将の味付けは間違いがない。強過ぎることはなく上品に素材の旨味を引き出す。2種類の甘鯛にもその技が感じられた。

 





 

キャビアも食べたし、牛肉も鴨肉もソースの味付けが抜群で感動的だった。フカヒレを使った蒸し寿司も餡の味わいが絶妙だった。

 

他にも白子のリゾット風や松茸の土瓶蒸しなども食べたのだが、「加減」「塩梅」という点で実に素晴らしい仕事をしていた。さすがだ。

  

握りもちょこっと工夫を凝らしながら小さいサイズで出してもらえるから数えきれないほど堪能した。


 

大将の意向で、とりあえず店名は書けないのが残念だが、それも店の立ち上げ時期ゆえの考えからだろう。

 

ちなみに、この店の大将はちっとも排他的な人物ではないし、人当たりは良すぎるぐらいのイケメンである。

 

肝心のお値段だが、当然それなりだ。こういう店だからそこを気にしても仕方ない。安くはない。

 

でも時々京都を訪ねて、神秘的な山の中で時を忘れて上質なモノをひたすら味わうのなら値段より満足感を優先したい。また折を見て訪ねたい。

 

「贅沢は敵だ!」という大昔のスローガンの向こうを張って「贅沢は素敵だ!」とつぶやきたくなる時間だった。



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