2020年11月9日月曜日

スケベな話

Amazonで何でもかんでも買っているが、勝手に「あなたへのオススメ」を表示してくるのは困りものだ。

 

何でもかんでもAmazonで買うということはスケベなものも買うという意味である。それに関連づけてオススメを表示されるから時々慌てる。

 

真面目な商品?を買おうとサイトを開いた途端、バニーちゃんの衣装だとか怪しいグッズの画像がデンと表示されかねない。

 

プライバシーの侵害で訴えたくなる。

 

パソコンで操作する場合には、買ってしまったシュールな商品を非表示にすることが出来るが、なぜかスマホ経由だと出来ない。

 

注文履歴から同じ商品を探したくても、スマホの場合、非表示にした注文の一覧が出てこないので記憶の中の商品名を打ち込んで探すハメになる。

 

オヨヨみたいなワードを検索窓に入力する作業が切ない。そんなことに自分の脳ミソをフル活用していると思うと、私を産んでくれた親に申しわけないと思う。

 



 

私が非表示にしていた買い物履歴は70件にものぼっていた。70品ではない。70回分の買い物だ。ハレンチ極まりない。

 

さすがにここで商品画像をお見せするわけにはいかないが、見返してみると我ながら頭を抱えたくなる。

 

中高年のシングルオジサマという生き方は無軌道に走りがちだ。自宅には誰もいない。おまけに職場も個室だから怪しい商品を隠しておくことも簡単だ。

 

急に死んじゃったらヤバい事態になることは確実だ。私の終活においてはヘンテコなものの処分は最優先事項かもしれない。

 

そんなグッズをいつどこでどうやって使っているかは、またの機会に書くことにしよう。いや、書けない。。。

 

さて、最近は過去の出来事を振り返る場面が増えたが、思い出すジャンルはさまざまである。

 

とかく、過去を振り返らずに前を向け、とか、後ろ向きの人生なんてつまらないなどと言われるが、決してそんなことはない。

 

思い出したくもないようなことまで思い返すことで、歩んできた人生を愛おしく感じるのだと思う。

 

と、センチなことを書いたが、思い出す出来事の中にはスケベ満点みたいな話もある。

 

スケベ道の初心者だった頃の可愛らしく微笑ましい体験などは逆に今では恥ずかしい。

 

行為自体はその後の“進化形”のほうがよっぽど恥ずかしいが、10代や20代の頃は、まだまだスケベと呼べるレベルではななかったのかもしれない。

 

加齢とともに変な気どりやテレが無くなり、肩の力が抜けてきたことで、スケベ心はエスカレートしていく。気づけばタブーという概念も無くなってきてしまった。

 

なんだか抽象的な話ばかり書いてしまっている。つまらない。反省。

 

たまにはちゃんとしたスケベ話でも書かないとこのブログを読んでくださっている皆様に申しわけない。


 


とりあえず、おぞましくない程度のスケベ体験話を二つほど書いてみよう。

 

この話を披露するたびにウケ狙いのネタだろうと疑われるのだが、純粋に実話だ。

 

その1

 

まだ若かった頃、とある南の島にて。現地で知り合った女性に誘われて無人の浜辺に海亀の産卵を見に行った。

 

風が強い夜でなかなか海亀が見つからない。借りてきた懐中電灯を照らしながら月明かりだけの浜辺をくまなく探す。

 

ふと気づくとその女性がひざまずいている。それも私に向き合う姿勢だ。そしておもむろに「亀ならここにいるじゃな~い」。

と言いながら私の短パンに手をかけた・・・。

 

死ぬ前に人生のさまざまな記憶が走馬燈のように頭の中に浮かぶと言われるが、私の走馬燈には間違いなくあのシーンが登場するはずだ。

 

その2

 

これもだいぶ前の話。10年ぐらい前だっただろうか。銀座勤めの綺麗なオネエサンにカラオケボックスに連れて行かれた。

 

怪しげな個室で扉もやたらと重く外から中が見えない造り。店員さんも「御用がない限り入室しませんので」などと意味深な顔をしていた。

 

せがまれるままにボーカリストとしての美声?を披露していた私だが、そのオネエサンはやたらと密着してくる。

 

あとから知ったのだが、そのオネエサンは知る人ぞ知る肉弾営業女子だったそうだ。すなわち、私がモテていたわけではない。

 

一応、私だけ歌っているのも収まりが悪いので、オネエサンにも何か歌ってくれと言ってみたが、なかなか歌わない。

 

すると、いきなり私にしなだれかかってきて膝枕状態に。私の膝が枕状態である。そして「私のマイクはこれ~」と謎のセリフを口にしながら、我がセントポール、いや、センターポイントが餌食に・・・。

 

これも私の“走馬燈”に出てきそうな実にシュールなシーンである。

 

長く男を生きていればいろんなことが起きる。今ではそんな事件事故に遭遇することは無くなったが、いまだに新たな事件事故を夢見るスケベ心は消えていない。

 

懲りない自分がちょっと面倒である。

 

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