2021年8月25日水曜日

真面目な話を書いてみた


今日はちょっと真面目な話です。すいません(笑)。

 

最近、寝る前の読書タイムでは、歴史探偵の異名でも知られた半藤一利さんの本をよく読む。歴史モノを読むとついついそこから学ぶ教訓みたいなことが頭に浮かぶ。

 

とくに近現代史の研究で知られた半藤さんが、著書や講演で何度も指摘していたのが戦時中の日本政府にまん延していた楽観論だ。

 

「起こって欲しくないことは起きない」という考え方が事態を悪化させたというもの。あの当時の政府だけでなく、日本人の一種の特徴のようなものだとの指摘だ。

 

確かに私自身の考え方を思い返してみても、つい最悪の想定は避けてしまう傾向はある。根拠なき「そんなこと起きるはずがない」という考えは時にヤバい事態から目を逸らす逃げにつながる。

 

かつての戦時中、国民の命を守る役割を担う政府の意識がそんな次元にあったかと思うと実に切ない。

 

楽観論に基づく国の暴走が310万人というとんでもない数の犠牲者につながった。結果論ではあるが、現実的な判断が賢明になされれば原爆の悲劇だって避けられたわけだ。

 

そんなことをツラツラ考えながら、新型コロナへの国の対応が常に後手後手に回る現状は過去の失態から何も学んでいないように映る。

 

医療体制の逼迫は1年以上前から指摘され続けてきた話だ。「そのうち収まる」「なんとかなる」「ワクチンが出来れば終わる」みたいな最悪の事態を想定しない素人感覚の成れの果てが今の状況だろう。

 

医療体制に関する根本的な手立てを講じることもないまま漫然と時間だけが過ぎ、あげくの果てに繰り出された対策は自宅療養の強制という何とも呆れたお粗末な話。

 

国民皆保険制度の放棄ともいえる愚策である。これってトンデモナイ失態ではなかろうか。

 

政策理念として、公助や共助ではなく真っ先に「自助」を掲げる菅首相だ。エボラ出血熱と同列だと国が定義する指定感染症にかかっても自己責任で対処しろという考えなのだろう。

 

つくづくデモや税金不払い運動につながらないのが不思議なぐらいだ。

 


話は変わる。

 

後手後手、場当たり的、無能など政府の新型コロナ対策への批判は増すばかりだが、その延長線上で、いわゆるロックダウン待望論が強まっている。

 

強制的な私権制限について専門家や知事会、一部野党までが声高に要求している。一種のトレンド?みたいになっている。

 

政府はロックダウン法制の制定には否定的だ。その裏にある思惑はさておき、慎重になるのは真っ当なことだ。そんな議論より抜本的な医療体制の整備を検討するほうが建設的だ。

 

ロックダウンを断行した国はいくつもあるが、実際にコロナの封じ込めに成功した例はないのが現実。

 

たび重なる緊急事態宣言に“慣れ”と“飽き”が広まったいま、おまけにワクチン接種も進んでいる中で、あえて強力な私権制限を安易に立法化する必要はない。

 

ロックダウン支持派の議論では、個人の外出制限などへの罰則ばかりが焦点で、最重要課題であるはずの補償についてはカヤの外だ。

 

補償なき私権制限という考え方はかつての“大本営時代”の悪夢を思い起こさせる。ドサクサ紛れに政府に強権を与えることは危険だろう。

 

莫大な補償や責任問題を避けたいというのがロックダウンに否定的な政府の本音だろうが、闇雲な権力強化を防げるなら政府の思惑はどうあれ今のまま消極姿勢を貫いて欲しいものだ。

 

強力な私権制限という切り札を与えていいと思うほど国民は今の政府を信用しているかどうか。。。その一点を考えれば話は簡単だ。安易な私権制限を国民のほうから求めるのはトンチンカンだと思う。




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