2021年8月4日水曜日

永井荷風にたどり着く


不良老人という言葉をよく聞く。嫌いな言葉ではない。目指せるものなら目指してみたい。

 

世間がイメージするお爺さん像から逸脱して破天荒に生きるお年寄りは率直にカッチョいい。「死ぬまで現役」を実践するような生き様に憧れる。

 


 

不良老人の元祖といえば永井荷風だろう。文化勲章までもらった文豪だが、知れば知るほど“文化勲章っぽくない”人である。ちょっと調べてみたら、受賞当時、結構な批判や嘲笑が文壇を中心に広まったらしい。

 

反社会的な作品ばかり書いてきた上に、国への批判的論説も多かったから、当然、辞退を予想していた面々はかなり驚いたらしい。

 

辞退しなかった理由は文化功労者年金が魅力だったからだとか。その俗っぽさが実に素敵である。社会派みたいなゴタクを並べずにウハウハ喜んじゃうあたりが突き抜けている。

 

https://books.bunshun.jp/articles/-/3256

 

ストリッパー達に囲まれて文化勲章をお祝いされる画像が今もネットで簡単に見つかるほど、最後まで“お盛ん”だった人だ。ある意味、辞退しないこと自体がシニカルな態度だったのかもしれない。

 

というわけで、徐々に老人に近づく私が最近やたらと興味をそそられるのが不良老人・永井荷風大先生である。

 




ハマりやすい性格だから平行していくつもの本を読んでいる。いつもは古い文体や文章は読むのが億劫で敬遠しがちなのだが、荷風大先生の作品は楽しく読んでいる。

 

30年前の映画「墨東奇譚」も観た。代表作の映画化だが、実際には日記文学の最高峰と言われる「断腸亭日乗」の記述をうまく織り交ぜながら荷風自身の生涯を描いている。

 

津川雅彦が二枚目過ぎるのが玉にキズだが、荷風ワールドを手軽に知るにはもってこいの映画だと思う。Amazonプライムビデオで観られるのでオススメ。

 



 荷風大先生の作品を端的に表現するなら人間の業と寂寥感に尽きる。ついでにエロの突き抜けぶりが凄い。

 

かの「みうらじゅん師匠」は人生の3分の2はいやらしいことを考えてきたと豪語しているが、荷風大先生は“レベチ”かもしれない。

 

煩悩との向き合いかた、煩悩との付き合いかたを生涯をかけて追究した人だと思う。単なるエログロなどとレッテルを貼るのは簡単だが、荷風大先生の作品はそんな薄っぺらいものではない。

 

あの世界観を単なる低俗なものと決めつけつけるような見方は「性道」の深淵を覗こうとしない退屈な人間の視点に過ぎないと思う。

 

荷風大先生の小説は、女であること自体を売る女性達が中心に描かれる。明治の頃は芸者、大正昭和初期はカフェの女給、戦後は進駐軍相手のパンパンなど、社会の陰の部分で必死に生きる女性が中心だ。

 

それに向き合う男の心の揺れ、打算、葛藤などもまた人間の業を描いていて何とも奥深い。

 

常識や秩序、固定観念といった人間を縛っているよもやま事と、そこを超えたしまった際に見えてくる景色が巧みに描かれている。

 

なんだか分かりにくい表現になってしまった。

 

理性と欲望のせめぎ合いに悶々とする男女の本能的な「どうしようもなさ」を何とも情感たっぷりに表現しているのが特徴だと思う。

 

小説の世界だけでなく、荷風大先生は自身もまた異常者扱いされてしまうほど個性的だったようだ。平たく言えば偏屈ジジイである。

 

誰も信用せず、自分勝手で協調性はない。まさに無頼の極みだ。最期までその姿勢を崩さず勝手気ままに生きたことを喜びとしていた人だ。

 

そんな生き方を淋しい人生などと評するのはマト外れだろう。秩序という枠に収まっていないと落ち着かない俗物根性的感覚で捉えれば、淋しい晩年にみえるのだろうが、好き勝手に生きて一人でポックリ死んでいった生き方は実に潔く格好良い。

 


 

ちなみに「荷風になりたい」というマンガまで買ってしまった。「女帝」「夜王」「黒服物語」などネオン街劇画の第一人者・倉科遼の作品だ。

 

特定の中高年層にとってこの漫画のタイトルは心に刺さる。まさにその通りって感じだ。

 

最近知ったのだが、永井荷風は若い頃、わが母校・暁星学園でフランス語を学んだそうだ。私が幼稚園から15年近く通った場所に若き日の荷風大先生がいたと思うと妙に感慨深い。

 

おこがましいし、口幅ったいが、私だって「荷風になりたい」。

 

 

 

 

 

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