2021年8月2日月曜日

保守的な舌を持つ男


食べるのは好きだから斬新なモノも食べたいと思うのだが、舌が年々保守的になってきたせいで定番モノについ惹かれてしまう。

 

カップ麺はめまぐるしく新製品が誕生するのにコンビニに行けば、カップヌードル、どん兵衛、ペヤングあたりが中心に居座っているのと同じかもしれない。

 

伝統は安心。未知は恐い。これって人間の防衛本能みたいなものだろう。私にとっての中華料理のフカヒレもその一つだ。

 

どこの店でもフカヒレの姿煮といえば高い。高いのにハズしたら悲しい。中途半端に安い場合はまずハズレにあたってしまうことは多い。

 

先日、フカヒレのウマさで泣く子も黙る赤坂の維新號に出かけてきた。私が「不幸のフカヒレ」と呼んでいる逸品が一番の目的だ。

 



 もう10年ぐらい維新號以外ではフカヒレの姿煮を食べていない気がする。他の店で食べられなくなったことは不幸なことだからそう呼んでいる。

 

美味汁と呼びたくなるようなスープが極上だ。フカヒレ抜きでこのスープだけで満足である。フカヒレ抜きで注文すれば安く済むなどとフラチなことも考えるのだが、さすがに恥ずかし過ぎて口に出せずにいる。

 

トロリとした美味汁はコクがあって濃厚で、それのみで完成した料理と言ってもいい。まさに「旨味の権化」と表現したくなる味わいだ。

 

そのままで良し、フカヒレをまとえば尚良し、ご飯にかけても良し、紹興酒のアテに舐めるも良しといった感じだ。

 

正直、他の料理はいらないからこれだけで充分なのだが、さすがにそうもいかず他にもアレコレ注文した。

 





 全部ウマいのだが、維新號ではやはりフカヒレの余韻にひたすら浸るのが王道だと思う。あ~また食べたい。

 

続いての保守的メシの店は銀座の資生堂パーラーである。洋食好きな私が時々無性に行きたくなるお店の一つだ。

 

ある意味、東京洋食の総本山みたいなイメージの店だから、私のような固定観念男は「資生堂パーラーでメシを食っている」という気分だけで何でも美味しく感じる。実に単純である。

 

舌平目のフライについてきたタルタルソースだって「資生堂パーラーのタルタルだぜ」というアゲアゲ補正が作用するから残さずきっちり味わってしまう。

 



 

ビーフシチューもうまいし、何よりもベシャメルソースが大好きな“ベシャメラー”である私にとっては「小海老とバターライスのホワイトソースグラタン」が最高だ。

 

「小海老とバターライスのホワイトソースグラタン」。何度でも言いたくなる。声に出して読み上げたいほど官能的な響きだ。

 




 

デミソースのシチューとベシャメルソース系の料理を交互に食べていれば残りの人生は充分幸せに過ごせるような気がする。

 

この日のシメはオムライスである。喫茶店でも食べられるオムライスという料理は奥が深い食べ物だと思う。これまた「名店で食べてるんだもんね」というミーハー根性のせいで一層美味しく感じる。

 


 

この上品かつ端正な姿に萌える。ジッと眺め続けていたいのだが、それだと冷めちゃうからガツガツ食べる。一言でいえば丁寧。それがすべて。あ~また食べたい。

 

若いときはブランド志向に走ったこともあったが、さすがにこの歳になると闇雲なブランド信仰など無くなる。

 

ただ、どのジャンルにおいてもブランドと呼ばれるまでになったことには理由がある。飲食店もまったく同じだ。やはりポッと出のお店にはないホンモノの力がある。

 

舌が保守的である以上、定番モノを飽きずに食べているのは間違いではないだろう。変に刺激を求めるよりそれはそれで堅実な楽しみ方だと思う。




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