2021年11月12日金曜日

私の銀座物語


このブログでも過去に何度か書いてきた銀座のおでん屋さん「おぐ羅」。2年ぶりにふらっと訪ねた。

 


 

残念なことに店の大看板だった大将がかなり前に亡くなっていたそうだ。82才だったとか。何とも切ない気持ちになった。

 

私にとっての「銀座物語」が一つ終わってしまったような気がした。

 

大柄で押し出しの強いタイプの大将はいつもカウンターの真ん中でどっしり構えていた。おでんの前に一品料理をアレコレと勧めてくれる大将の“圧”が一種の名物だった。

 

私は正直に言うとおでんがあまり好きではない。でも渋いオジサマを目指そうと力んでいた30代半ば頃にこの店の存在を知り、通を気取った中年になりたくてポツポツと通うようになった。

 




 丸椅子に座らせるおでん屋さんというカテゴリーなのに安くはない。でも一品料理は居酒屋とは一線を画す仕上がり。季節ごとにウマいものが揃っている。

 

客層も“分かった大人”が中心で銀座っぽい店の筆頭だろう。20年ぐらい前はとくにそう感じた。どこぞの業界のフィクサーみたいな風貌のお爺さんやキリッとした風情のダンディーなオジサマが多かった。

 

まだ30代の私などヒヨッコみたいな気分で小さくなって座っていた。時々通うようになって何年か経った頃にちょくちょく大将と世間話を交わすようになった。

 

そんな何でもないことが嬉しかった覚えがある。客として認定?されたというか、いっぱしのオジサマ族に仲間入りしたような気持ちになった。

 

あの頃、夜のクラブ活動に夜な夜な励むようになり、銀座という世界に対して知ったかぶりばかりしていた。そんな私にとってクラブ活動でチヤホヤされるより渋い料理屋さんで常連扱いされることのほうが正しいオジサマっぽくて嬉しかった。

 

銀座らしさを漂わせながらちょっとばかり敷居が高そうなお店でしっぱり飲むことにこだわっていた。それが絵になるようなオジサマを目指していたのだろう。

 

たかがおでん、されどおでん。おぐ羅の雰囲気はまさにそんな感じ。オジサマ族の入口にいた当時の私にとっては「銀座イコールおぐ羅」だった。

 

その後、大将とは何度も野球談義に花を咲かせた。往年の学生野球で活躍した人だったから面白い話をいっぱい聞かせてもらった。

 

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/04/blog-post_27.html?m=0

 

大将は大谷翔平の今年の活躍を見ずに亡くなったそうだ。その日、大谷の話題で盛り上がるつもりで訪ねた私としてはただただ残念としか言いようがなかった。

 



献杯のつもりでお店自慢の銅(錫だったかも)のヤカンで燗をつけた日本酒をしっかり飲んだ。昔から変わらぬまろやかな味わいが心にも染みる。

       

この店に来て外せないのが名物の薬味たっぷりのカツオのタタキだ。薬味たっぷりの理由はカツオを食べ終わった後におでんの豆腐を投入するためである。相変わらず絶品だった。





 店の隅に置かれた亡き大将の写真を時折見ながら自分の“銀座史”を思い起こす。一人しみじみそんな時間を過ごした。感慨深い時間だった。

 

一時期、おぐ羅で食べた後は道を挟んで向かいにあるクラブ「麻衣子」に出かけるパターンが多かった。移動距離10秒である。

 

おぐ羅での献杯に飽き足らず、当時を思い出しながら「麻衣子」に顔を出す。地下の店に入るなり漂ってくるお香の香りにまめに銀座通いをしていた頃を思い出す。

 

この店に初めて来たのは20代の終わりの頃だ。銀座デビュー?の店である。よく分からないまま迷い込んだのがきっかけだった。

 



全然行かない時期も結構あったが、時々訪ねると妙に落ち着く。お店がどう思っているかは知らないが個人的にはホームみたいな気分になる。

 

10年以上前にもこの2軒をハシゴした話を書いていた。私にとって定型パターンの一つだったみたいだ。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/10/blog-post_29.html

 

気付けばいっぱしのオジサマを目指して力んでいた日々も随分と昔の話になってしまった。

 

今ではいっぱしのジイサマになれるかどうかを考える年齢になってしまった。


肛門屁の出口、いや、光陰矢の如しである。




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