2021年12月8日水曜日

ぼっち推進論者

 

気付けば今年も残り少なくなってきた。街中が賑やかなネオンで彩られている。クリスマスも近い。「クリぼっち」なる言葉が飛び交う季節だ。

 


 

クリスマスに過ごす相手がいない残念な状況を指す若者言葉である。私は若者ではないがクリぼっちである。ウチは浄土真宗だからとくに問題はない。

 

クリスマスに限らず「ぼっち」な日々だが、私は一人飯も一人旅も大好きだ。いわば「ぼっち推進論者」である。

 

おひとりさまマーケットみたいな話がいろんなジャンルで取り沙汰されるようになって久しい。旅行や飲食業界などサービス業の世界では、グループや団体相手のビジネスモデルだけでは立ち行かなくなっているわけだ。

 

昔とは価値観というか、習慣が変化しているわけだが、いまだに「ぼっち」への差別?が存在することは困る。

 

ぼっちイコール淋しいというステレオタイプな見方が根強く存在する。中にはそういう人もいるだろうが、積極的にぼっちを楽しんでいる人にとっては迷惑な話だ。差別である!

 

一人行動が出来ない人の尺度で決めつけられても困ってしまう。でも、そういう種族?の人達に反論しても「大丈夫か、本当は淋しいのに強がってるんでしょう?」とか言われる。

 

こちらに言わせれば、常に誰かと一緒じゃないと行動できない人が不思議で仕方がない。若い女性ならいざしらず、いい歳したオッサンが誰かとつるみたがるのが不思議に思える。

 

ぼっち組に対しては「大丈夫?淋しくない?」という問いかけが普通に行われる。それに対して、つるみたがる人達に対して「大丈夫?あなたヘンテコですよ」と問いかける習慣はない。実に不公平だと思う!

 

なんだかこんなことを力説すると単なる偏屈ジジイみたいな感じだからテキトーにしておく。

 

さて、ぼっち暮らしの私は相変わらずAmazonやウーバーイーツに依存して手抜きばかりの日々である。

 

乾電池や電球を買うのもAmazon、冷蔵庫に入っているほぼすべての商品はAmazonフレッシュか他のネットスーパーで買ったものである。

 

母親がドルチェグストのコーヒーカプセルを近所で見つけられないと愚痴ってくればAmazonで買って送りつける、娘が卓上ライトを探していると聞けばこれまたAmazonで買って送る。

 

先日のAmazonのセールでは靴下や部屋着、寝具や歯ブラシやら乾燥肌対策商品やレトルト食品まで注文した。

 


 

最近立て続けにミスをしているのもご愛敬である。レトルトシチューを3つ注文したつもりが、一箱5個入りの商品だったことを見落としていたからこんな事態になった。15個も届いてしまって倒れそうになった。

 

この1週間前にも「赤いきつね」が同じく15個も届いて倒れかけた。武田鉄矢もビックリである。注意力も老化しているみたいで問題だ。

 

ぼっちの利点はこんなミスをしでかしても誰からも叱られないことである。家庭人だったとしたら、自分が一番ショックを受けているのに口うるさい不仲の嫁にネチネチと叱られたりする。きっと私は立ち直れないだろう。

 

さすがにウーバーイーツの注文で数量間違いをしたことはまだない。でもいずれ牛丼が15個運ばれてくる日がありそうな気がして戦々恐々としている。





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