2022年9月7日水曜日

浅草の引力

 

15年近く前にこのブログで浅草という街の“逆張り精神”について書いたことがあった。

 

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/03/blog-post_27.html

 

街ごとの個性というか、その街独特の匂いのようなものが薄れてきた今の時代にあって、浅草だけは世の中のどうでもいい流行に背を向けた潔さがあるという趣旨の話だ。

 

あれから随分と時間が経過した。コロナ前のインバウンド景気が後押しして今の浅草はだいぶ綺麗になった。15年ぐらい前とは見違えるほどである。

 

怪しげな薄汚い路地なんかももいまや絶滅寸前だ。ちょっと淋しい気持ちもあるが、あの街の独特のパワーはちょっとぐらい外見が綺麗になっても変わらないのが嬉しい。

 

オシャレとか垢抜けているというジャンルとは一線を画しているのが素敵だ。そんな街のたたずまいが魅力的である。

 

私の祖父は浅草の人だ。それ以前のご先祖様の中にも浅草の腕っこき職人なんかもいたらしい。ときどき無性に浅草に行きたくなるのはDNAのせいかもしれない。

 

バブル景気に湧いた当時、若造だった私はアマノジャク精神でデートの場所を浅草にすることが多かった。

 

カフェバーだエスニックだ、ティラミスだナタデココだなどとカタカナばかりがカッチョいいともてはやされた当時、流行や最先端とは無関係の浅草に妙な居心地の良さを感じた。


都心の学校に通っていたから高校生の頃までは流行に必死にアンテナを反応させていたが、二十歳を過ぎるぐらいから何だかそういう路線が薄っぺらく感じて浅草の独特な空気感に惹かれたのだろう。

 

やれ西麻布だ、やれ表参道だぜ~と浮かれる世相に背を向けて「東京人こそ浅草だ」と頑固に主張して最先端を追いかけたがるミーハーなワンレンボディコンのオネエサンを鰻屋や天ぷら屋、蕎麦屋、とろろ屋あたりに連れ回していた。

 

オッサンっぽいことへの憧れもあったのだと思う。今は正真正銘のオッサン道を極めている立場だから浅草で感じる居心地の良さは昔より遙かに強い。

 

おまけに中央区民になってから意外に浅草が近いので以前より出かける機会が増えた。今の職場の最寄り駅から浅草までは地下鉄で10分程度で着く。自宅近くの隅田川から船でアプローチするのも案外手軽だ。

 



 

先日、釜飯が食べたくなって浅草に行った。わざわざ浅草に行ったのは、私の中に「釜飯は浅草」という謎の固定観念があるせいだ。一種のノスタルジーである。

 

訪ねたのは雷門から近い位置にある「麻鳥」という店。老舗のようだが建物は新しく座敷も明るく綺麗で快適だった。浅草ではやはり畳の席に座ると気分がアガる。私の性格は実に単純だ。

 





 

釜飯を待つ間にアレコレと注文。穴子の肝の煮付け、本マグロの刺身、煮込み、つくねである。マグロ以外は茶色を通り越して黒っぽいのが東京っぽくて嬉しい。見た目ほど味は濃いわけではなくどれも丁寧に作られた印象で美味しかった。マグロの刺身も下手な寿司屋より上質に感じた。

 

浅草は今や観光地的側面が強いからテキトーな料理を出す店も少なくないみたいだが、こちらは全体にキチンとウマいものを出してくれた。

 

中途半端な居酒屋で飲むよりこういう店で過ごすのは大人の分別?として正しいと思う。居酒屋ほど安くはないが間違いのないものを食べるためには逆に安心できる値付けだ。

 

そして釜飯登場。五目釜飯とウニ釜飯である。一品料理の味や素材がちゃんとしていたから具だくさんの五目釜飯がマズいはずはない。ウニ釜飯も名前負けしない量のウニがしっかり投入されていた。幸せになる味わいだった。

 



何より私にとって最高の調味料が「浅草で釜飯を食っている」という事実である。味なんて多分に気分の良し悪しに影響される。そういう意味では平日の夜に人の少ない浅草で畳に腰を下ろして過ごしていることが釜飯の味を一層引き立てていた。

 

半世紀をゆうに超える人生の中でいろんな経験をしてきたが「死ぬまでに一度は浅草に住んでみる」という計画はまだ実現していない。

 

わりと真面目に考えているのだが、あの街に住んだら連日連夜ウマいもの巡りをしてぶくぶく太って肝臓もやられて早死にしちゃうかも知れない。

 

もっと食が細くなってからにしたほうが良さそうだ。

 

 

 

 

 

 

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