2022年9月21日水曜日

マスクをめぐる喜劇


マスクを外せない日々が続いている。世間様の無言の同調圧力に打ち勝つほど私は肝っ玉がすわっていない。

 

さすがに散歩の時は外す。それでもアリバイみたいにマスクはポケットに入れずに手で持ったりする。チキン野郎みたいで残念無念である。

 

少なくとも屋外でマスクをする意味は無いはずだ。誰もが分かっているのに思考停止のままだ。病気など何らかの事情でマスクが出来ない人もいるらしいから、そろそろ常識的判断で着脱を実行する段階だと思う。

 

とはいえ、私自身、社内の会議などではマスク着用のままだし、職場の自室から出て他の部屋に行く際にもわざわざマスクを着けてしまう。しゃべりもしないのにマスクをする意味はない。やはり思考停止だ。

 

4回もワクチンをうって元気に過ごしているのに何だかトンチンカンの極みである。外したい気持ちはあるのだが、それはそれでイキってる人だと思われるのもシャクだ。我ながら情けない。

 

新橋あたりを歩いているともはや喜劇みたいな光景が展開されている。混雑している飲食店では誰もがマスクを外してワイワイガヤガヤ過ごすのにお会計を終えて外に出ると途端にマスクを着ける。

 

外を歩くためにマスクをつける。実にヘンテコだ。さっきまでデカい声で騒ぎ高笑いをしていたのに一歩外に出たらマスク・・・。ビミョーである。

 

他にも喜劇みたいな話はいろいろある。満席でギュウギュウ詰めの飛行機。いうまでもなく前や後ろとの間隔は非常に狭くソーシャルディスタンスどころではない。

 

着陸して乗客が機内を降りる際に流れる機内アナウンスは「お降りの際はお一人ずつ距離をとってください」である。苦笑するしかない。

 

コロナ禍が始まった当時に国があれだけマスクマスクとうるさく強要したわけだから、状況が大きく変わったいま、やはり国が先頭を切ってマスクのメリハリ利用をPRすべきだろう。それが言い出しっぺの責任だと思う。

 



 

御年73歳の英国・チャールズ国王の画像である。大衆に近づき親しく歓談する光景だが、いつどの場面でもノーマスクである。脱マスクを象徴するシーンだろう。

 

エリザベス女王の国葬をネット中継で観ていたのだが集まった大群衆の中にマスクをした人を見つけるのは難しかった。荘厳な葬列よりも沿道の人々がマスクをしているかどうかばかりチェックしてしまった。

 

ご訪英された天皇陛下もご参列された際や前日のレセプションではマスクを外されていた。世界標準としてはそれがごく普通だったわけだ。貴重な前例になることを期待したいところだ。

 

もちろん皇室にそんな役回りを担っていただくのは筋が違う。やはり首相や官房長官、厚労大臣あたりが率先してTPOに応じたマスクとの付き合い方を実践すべきだろう。


来週行われる安倍元首相の国葬には海外から多数の要人が参列する。マスク至上主義の我が国では参列者にマスクを強制するのだろうが、はたして騒がない、喋らない場面でそうすることが正しいのだろうか?。実に興味深い。

 

繰り返しになるがコロナ禍の初期と今では状況が違う。入国制限も大幅に緩和され遠からず規制全廃も視野に入っているのはその証だ。マスクへの意識を変えないのはむしろ不自然ともいえる。

 



 

こちらは言わずと知れた大谷翔平先生の活躍シーンと観客席だ。とっくの前からマスク姿は見かけない。日本では野球観戦だろうとコンサートだろうといまだにマスクは強制される。

 

ちなみにアメリカのコロナ死者数は100万人を超えている。イギリスは20万人超。日本は4万人である。

 

もちろん、日本のマスク至上主義が死者数の差に繋がっているという見方も出来なくはない。でも当初よりコロナが弱毒化している現実を前にすると諸外国が脱マスクへ切り替えたことは現実的な対応だと感じる。

 

私がここでブツクサ書いても仕方ないのだが、こういう声が少しずつでも広がっていくことに期待したい。少なくとも外にいるときはノーマスクで当然という空気が醸成されて欲しい。

 

私自身も別にいきがったりするつもりはないが、TPOに応じてマスクの着脱に励んでみよう。スパっとやめちゃいたいところだが勇気がないから一歩ずつ脱マスクに舵を切ろうと思う。


まずは散歩の際にわざとらしく見せびらかすように手に持ってしまうマスクをポケットに入れるところから始めよう。なんだか自分の小心者ぶりが哀しくなるが、まずはそこからである。

 

 

 

 

 

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