怒ってるバカ。これって凄くみっともない。SNSなんかを見ていてもやたらと怒ってる人を目にする。正義感ぶるのも結構だが「アンタは何様だい?」と言いたくなる。本人は怒ってる自分に酔っているからタチがわるい。
とか言いながらこんな話を書き始めたのは私のバカ話を紹介するためだ。
ATMでお金を引き出したのに肝心のお札を取り忘れたり、コインパーキングにクルマを駐めたことを一週間忘れるようなマヌケな日常はこれまでも書いてきた。
最近はやたらと物忘れも激しく、アゴにひっかけたままのマスクをどこに行ったか必死で探したり、家のカギをクルマや会社に置き忘れて帰宅することも珍しくない。
家のカギは財布に予備を入れてあるので困った事態にはならないが、いつか財布をどこかに置き忘れそうでそうなったら一巻の終わりだ。
父の日に娘にもらったのも小型の置き忘れ発見ブザーである。クルマのカギと家のカギにくっつけている。見つからない時にはスマホから指令を出すとブーブーピロピロ音が鳴る仕組みだ。もはや徘徊老人に近い扱いである。
若年性痴呆の可能性もゼロではないが、さすがにそこまで深刻ではないと自分では思っている。物忘れの原因は加齢もあるもののやはり緊張感の欠如に尽きると思う。
中高年になると鈍感力が強まる。これ自体は結構なことだ。無駄に肩に力を入れて生きていた時代と違ってどこかホゲホゲした気分で過ごすことが増えた。よく言えばおおらかになったわけだが、その分、いろんな方面にピンと張っていたアンテナみたいな感性はユルユルになる。
鈍感の「鈍」は「なまくら」と読む。もともとは切れない刃物のことを意味する言葉だ。まさしく私の感性はなまくら状態だ。注意力が散漫になってドジも頻繁にやらかす。
つい先日、寝間着を新調しようとユニクロのオンラインストアであれこれとTシャツやスウェットを購入した。ユニクロは店舗ではなくネット上では3Lや4Lサイズがよりどりみどりだ。寝間着や部屋着はダボダボに限るから季節ごとに利用している。
マンション暮らしだと不在時でも宅配ボックスがあるから安心だ。だから時々注文したこと自体を忘れかける。今回のユニクロもふと届いていないことに気付いて注文履歴を確認したら既に配達済みだった。
宅配ボックスのナンバーも記載されていたので取りに行ったのだがボックスの中はからっぽだった。バカな私はやたらと腹が立って勢い込んで配送業者に連絡して文句を言ってみた。
先方は平身低頭である。配達員に確認してすぐに折り返すとのこと。しばらくして連絡が来たのだが、配達員は間違いなくそのボックスに入れたとか。どうにも話がかみ合わない。私の怒りはかなり激しくなる。
「モノを置きに来るだけなんだから普通に当たり前のことをやってくれよ。バカは使わないでマトモな人間を働かせるべきじゃないか?」等々、強い口調で怒ってみた。
再度確認するとのことで私のイライラは爆発寸前になった。次はいよいよ罵詈雑言を浴びせようと身構えていたところに折り返しの連絡が来た。
平身低頭の業者さんは住所の確認とやらで私の登録住所を語り始める。「中央区○○~・・・」。ふむふむと聞いていた私は自分の耳を疑った。相手が伝えてきたのは私の引っ越し前の住所だった。
そこから私は電話越しなのに一気にペコペコモードに切り替わった。Amazonやウーバーなどは引っ越しと同時に住所変更を怠らなかったのだが、たまにしか使っていなかったユニクロは前の住所のままだったわけだ。
当然、3月まで住んでいたマンションの宅配ボックスに配達されたわけで、私が怒りまくっていたのは大いなる失態だった。顔から火が出る思いとはこういう瞬間を言うのだろう。ひたすら配送業者さんに謝ったことは言うまでもない。
「怒ってるバカ」。実に恥ずかしい。親切な配送業者さんは既に見知らぬ人が入居している私の引っ越し前のマンションの管理人や入居者とやり取りしてくれて荷物を再配達してくれた。
菓子折でも持って詫びたいところだったが今のマンションの宅配ボックスに再配達されてすべて完了である。
恥ずかしさだけが残った。半沢直樹が相手だったら土下座して詫びるハメになるぐらいの失態だった。
大事なのはこういう失態を忘れずに二度と同じ間違いを犯さないようにすることだ。とはいえ、ATMもコインパーキングもカギを忘れることもすべて何度もやらかしている私のことだから多分ダメだ。
少なくとも自分はバカだということだけはしっかり自覚しないといけない。簡単に怒ったりしない心掛けも大事だ。怒ってるバカほど恥ずかしいものはない。怒りにまかせてブツクサ興奮している姿って人間の行動の中でも一番醜い姿だと思う。
教訓。オレのふり見て我がふり直せ。
以上です。
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