2022年9月5日月曜日

鴨の誘惑


牛、豚、鶏の順番で食べたい肉をランク付けしていたのは若い頃の話。今では鶏か豚がトップの座を争い、次いで馬や羊あたりが割り込んできて牛肉は最下位になってしまった。

 

30年ぐらい前までは焼肉屋ばかりに出かけ毎日毎食カルビでも嬉しかったことを思うと隔世の感がある。人間の嗜好は簡単に変わるものである。

 

わりとしょっちゅう焼鳥屋さんでいろんな部位を楽しみながら晩酌タイムを過ごす。私が好きなのはモモ肉やセセリやハツだ。さっぱり済ませたければ胸肉やナンコツ、クドい味が欲しければハツモトやボンジリあたりか。

 

鶏ではないが焼鳥屋の準レギュラーである鴨も大好きである。時々無性に食べたくなる。焼鳥屋だけでなく蕎麦屋でもたいていは鴨せいろが欲しくなる。

 

普通に食べている鴨はいわゆるアイガモだ。マガモもとてもウマいらしいがお目にかかる機会はなかなか無い。アヒルとマガモを掛け合わせたのがアイガモである(違ってたらスイマセン)。食用にするために改良された生き物だ。

 


 

北京ダックの例で分かるように鴨アヒル系は皮の美味しさが独特だ。まあ鴨に限らずどんな肉も皮周りはたいていウマいのかもしれない。

 

適当なことを書いたが鴨肉はよく分からない。アヒルもマガモも合鴨も英語で言えばダックとひとくくりにされている。正直言ってレストランで出てくる鴨がアヒルなのか合鴨なのかジビエなのかチンプンカンプンである。

 

鴨肉消費量世界一のフランスでは産地の違いで鴨肉のランク付けは随分とシビアらしい。産地だけでなく部位ごとに好みとこだわりが別れるみたいだ。日本人にとってのカニみたいなものなのだろうか。全然違うか。。

 

相対的に日本よりも海外のほうが鴨肉の地位?が高いように感じる。名門「トゥールダルジャン」の存在や北京ダックの人気がその証だろう。とはいえ当たり外れがあるのも鴨の難しいところでもある。

 

10年ぐらい前にパリに一人旅に行った時に食べた鴨が印象深い。印象深いと言っても良い意味ではない。ビックリするほどマズかったことにショックを受けた。

 

その旅では街中の中華惣菜屋で買った冷えたチャーハンや焼きそばをホテルの部屋で食べるというシャバダバな食事が多かったので、ちょっと奮発して真っ当なレストランで真っ当な値段の鴨を注文してみた。

 

これが誤算だった。ジビエだったのか何なのか、呆れるほど臭かった。ウマいマズいを通り越して鼻がひん曲がるほど。一口食べただけで挫折した。あとはエシレバターを塗りたくったパンだけを大量に食べて空腹をごまかした。

 

あれ以来しばらく日本でも鴨肉が食べられなくなったほどだった。繁盛店だったしその他の料理は美味しかったからあの鴨料理は今だに私の中では謎である。

 


 

さてさて、カモネギという言葉があるだけに鴨と葱の相性は抜群だ。こればかりはフランス料理や中華料理でもない日本の味だと思う、焼鳥屋でも鴨肉の間に挟まれたネギを肉と一緒に頬張れば幸福感に浸れる。鍋で味わう鴨だってネギの存在が不可欠だ。

 

上の画像は自宅近くの鶏料理屋さんで食べた鴨しゃぶ。ネギまみれにして味わう鴨はなかなかウマかった。これから涼しくなってくるとこういうモノが恋しくなる。

 

鴨肉はあまり火が入りすぎても良くない。半生ぐらいだとウナるほど美味しいのに火が入りすぎると別モノかと思うぐらい劣化?する。いわゆるタタキぐらいで楽しむのが無難だろう。

 



 銀座一丁目にある焼鳥屋「葡萄屋」に行くと頼みたくなるのが鴨のタタキだ。結構ボリュームがあるので誰か連れがいないと味わえない。一人でふらっと訪ねた際にはいつも我慢である。

 

鰻屋さんの「う巻き」みたいなものだ。あれも一人だと頼みづらい。最後の鰻重までたどり着けなくなる。なんだか例えがヘンテコになってしまった。

 

鴨の魅力は鶏肉とは一線を画したあの旨味というかコクというか独特の風味だ。私のボキャブラリーでは上手に表現できないのが残念だ。

 

サッパリしているかのように思わせておいてパンチの効いた脂の部分がジュワジュワと口の中に広がる。鳥肉感とは別モノ。かといって豚肉の感じともまったく違う。クセという意味ではヤギ・ヒツジ系に通じる雰囲気も無くはないが、やはり孤高?の味わいだと感じる。

 


これを書いているだけでまた鴨を食べたくなってきた。秋から冬に向けて鴨肉で幸せになる機会は増えそうだ。

 

 

 

 

 

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