2022年11月9日水曜日

障害児の父親

 

このところ息子に癒やされる場面が増えている。ダウン症児として生まれてから早16年近くが経つ。いっぱしの高校生である。肉体的には視力以外にとくに持病は無く元気に育ってくれたが知育面はサッパリだ。読み書きが出来ないから何かと不便である。

 

息子の話は折に触れてこのブログでも書いてきた。いま思うと以前は少し力んだような書きぶりにも見える。

 

わが家のダウン症

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/02/blog-post.html

 

ダウンちゃん、中学生になる

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/04/blog-post_12.html

  

時間とともに息子との関わりは“未知との遭遇”から“普通の日常”に変わってきた。障害児を持つ親として、もっと啓蒙みたいな話を展開したほうがいいのかもしれないが、何だかそれも違うような気もする。

 

つくづく時間という「薬」の効能を痛感する。16年前に息子がダウン症だと宣告された時の衝撃の大きさは私の人生の中でもメガトン級だった。その後、いろんな葛藤もあったが今では彼の存在は私の人生に欠かせない。会えば癒やしをもらえる。私にとってはホトケ様みたいなものだ。

 

口の中の構造上の問題で話し方はたどたどしいが、コミュニケーションは普通にとれている。というか、会うたびにこっちの体調を心配してくれるような気配り上手に育ってくれた。父親、母親、姉と比べても心の安定感や穏やかさは一番である。

 

よこしまな気持ち、狡猾さ、あざとさ、計算高さといった要素がまるでない。一緒に時間を過ごすと不思議とホンワカと平穏な気持ちになる。

 

喜怒哀楽の喜と楽が彼の大半。哀と怒はほぼない。あってもすぐに消える。争いごとが嫌いで学校でも揉め事があれば仲裁役になり、収まらない時には教室から出て行ってしまうらしい。

 

競う意識、戦う意識も無いみたいだ。欲も不平不満もすぐに引っ込める。これまでダダをこねられたことが一度も無かったのは今思えば凄いことだと思う。

 

変な執着心がないというか、一種の達観みたいにあるがままを受け入れる。ハンバーグが食べたいという彼の強い希望を無視して回転寿司屋に行っても嬉しそうにその場を楽しむ。例えがヘンテコですいません。

 


 

先日、娘と3人で回転寿司に行った時の画像だ。とにかくよく食べる。高校生男子だから当然といえば当然だ。普段は母親が肥満防止のために食べる量をしっかり管理しているが、私と会っている時は別である。月に3回ぐらいしか会っていないのでここぞとばかりに食べさせる。

 

ここでも、やれトロが食べたいとかイクラをもっとくれみたいなことは言わない。彼にも好みはちゃんとあるのだが、私が勧めるものを楽しそうに文句も言わずバクバク食べる。

 

息子は私と会うと散歩をせがむ。いつも1時間は黙々と歩く。一緒に鼻歌を歌いながらアテもなく歩く。私にとっても気持ちの良い時間だ。


先日は上野動物園にも行ってみた。普通の高校生なら行きそうにないが、そこは我がホトケ様ちゃんである。楽しそうにしていた。大人目線ではデッカい動物を見たくなるが、彼は変な小さな猿やフラミンゴなどをじっと観察していた。感性が私とは違うみたいだ。




最近の散歩ではなぜか新幹線に突然乗るハメになったこともある。八重洲エリアを散歩した際に乗りたいと言い出した。甘甘父ちゃんとしては断るのも可哀想だから、こだまに乗って小田原まで単純往復をしてきた。

 

息子は車窓から外を見てゴキゲンである。娘とは海外旅行に行ったりさんざんウマいものを食べ歩いたりしてきたが、息子とはいつも散歩するぐらいである。不公平だからたまには息子サービスの時間も必要である。


小田原まで40分弱ぐらいだったか。着いたらすぐに戻りの電車のキップを買って20分後には駅弁を買って東京行きのこだまに乗り込む。ヘンテコなプチ旅行だが案外楽しかった。

 




わが家に遊びに来ることも多いが、こちらのエリアで息子が大喜びするのが隅田川のクルーズだ。いつだったか隅田川沿いの遊歩道を二人で散歩していたらたまたま聖路加病院そばの船着き場に定期船が来たので“衝動乗り”して竹芝の方までちょろっと船移動した。

 

つかの間の船の時間と下船後にゆりかもめで戻ってきた“ぶらり途中下車の旅”みたいな時間だった。息子にとっては一大トピックスだったみたいだ。学校でもこの日のことをその後しばらく話し続けていたらしい。

  

その後も船のリクエストに何度か応えた。おかげで私もすっかり隅田川にかかる橋の順番や名前をだいぶ把握することが出来た。

 



こう書いてみるとさんざん息子を相手に良いパパをやっているように読めてしまうが、10年前に離婚して以来、息子と会うのはせいぜい月に3回ぐらいだからエラそうなことは言えない。

 

でも変な話だが“頑張りすぎる父親”の残念な話を何度も聞いてきたからそれはそれで良いと肯定している。障害児を持った家庭にありがちな話なのだが、子供のことで一生懸命になり過ぎて無理がたたって早く亡くなってしまう父親は少なくない。

 

ちょっと分かる気がする。母親より父親のほうが確実に弱い。もともと男の方が寿命が短いのに加えて予想外の「障害児の父親」という役割が肉体的にも精神的にも何かの歯車を狂わせてしまうのだろう。

 

私自身が見聞きしてきたケースでも早逝するのは“頑張りすぎた父親”ばかりだった。母性という強さには太刀打ちできない男のサガみたいなものだと思う。

 

私などは頑張りたいと思ったところで月に何度かしか会わないからたかが知れている。息子の登場で私の人生に大きな狂いがあったわけでもない。こんなヌルい状態ではさっさとヘタバっているわけにはいかない。

 

自分勝手な解釈だが、頑張りすぎて早くいなくなってしまうより、細く長く息子の散歩に付き合ってやるのは大いに意味があると思っている。

 

まあ、あーこーだ書いてみたが、少なくとも今の私は生きボトケ?のような息子の空気感にホッコリさせられる。こっちのほうが功徳を施してもらっているような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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