2010年1月29日金曜日

和装

年を重ねたせいなのか、銀座あたりの綺麗どころのせいなのか、理由はどうあれ和装に興味が出始めた。

着物にしろ浴衣にしろ和装というと面倒なイメージがあるが、その面倒な感じにちょっと惹かれる。着物を作った事が過去に一度だけあるが、1回ぐらいしか着ずに今はどこにあるかも不明だ。

20代の頃だったので面白がっただけで、すぐに仕舞い込んでしまった気がする。立派な中年になったいまこそ再チャレンジしてみたい。

一応、和装という範疇では私の場合、作務衣をいくつか持っている。旅行の際の必需品だ。温泉旅館にはとくに欠かせない。

姿勢や行儀の悪い私にとって、浴衣が崩れていく感じがイヤだ。朝起きた時にあられもない格好で帯だけがハダカの腹に巻き付いているのも美しくない。

その点、作務衣は快適だ。夏用、冬用と何種類か持っているが、時たま旅館の中で従業員と間違えられること以外は実に便利。

温泉宴会のあとでカラオケで大騒ぎしても着崩れないし、部屋の中でどんなアクロバチックなことをしようが崩れようがない。

作務衣ファンになったきっかけは、15年ほど前の京都旅行。祇園の旅館「畑中」で浴衣の変わりに用意されていた部屋着が作務衣だった。

腹回りがゴムではなく、ひもを締めて結ぶタイプ。大柄な私にとっては使い勝手が良く、満腹になっても調節しやすい、ちょっと界隈を散歩するにも浴衣よりもマシだったので一気に作務衣愛好家になった。

最近は小洒落た旅館が浴衣の変わりに作務衣を用意するケースが増えてきた。洋服しか知らない世代をターゲットにする以上、必然なんだろう。

西洋趣味中心だった私の祖父も節目には和服を着ていた。明治、大正の人達はどんなに先進的だろうと、いかに「モボ・モガ」だろうと和装と洋装を使い分けていたわけだから素直に格好いいし、うらやましい。

着物はリサイズがしやすい便利さも特徴だ。今風に言えばエコかも。そういえば私の実家には祖父が愛用していた着物が色々と眠っていたはずだ。大島なんかもいくつかあったはずだ。早めに我がものにしてしまおう。

大島の生地で作務衣に作り直すのも一考だ。私の男前ぶりがまたアップしてしまう・・・。

2010年1月27日水曜日

白黒ショー

白黒という言葉に妙に惹かれる。私だけだろうか。最近は聞かなくなったが、昔さかんに耳にした「白黒ショー」を連想してしまうからだろうか。

同様に「マナ板」という言葉にもなぜか反応してしまう。悪い癖だ。

話がそれた。白黒の話だ。新聞に掲載される写真は白黒が定番だ。一昔前にはわが社にも白黒フィルムが山のようにあった。

仕事の合間に遊びで撮る写真も当然白黒だった。被写体によっては白黒写真は結構面白い作品になる。カラーを見慣れた目には新鮮に映る。

ボーとしている人の顔もカラーなら「ただのボーっとした人」だが、白黒だと「哲学的に物思う人」に見えるから不思議だ。

水中写真を趣味にしていると、極彩色や微妙なカラーグラデーションが時たま鬱陶しく感じる。色の洪水に目がくたびれるのだろう。

15年以上前、マレーシアのマブールという島で2週間ほど水中撮影三昧をした。潜ることの他にすることのない島だったので、結局70本ものフィルムを消費した。

それだけ潜ってばかりいると、ちょっと変わった写真も撮りたくなるのだが、真っ先に浮かんだのが白黒水中写真。残念ながらそんな島に白黒フィルムが売っているはずもなく断念。

その後も水中撮影を続けているが、せいぜい4~5日の潜水日程だと普通のカラー撮影をするだけで精一杯。白黒フィルムを持参することもついつい忘れていた。

ところが、イマドキのデジカメには白黒モードが用意されている。わざわざ白黒フィルムなどを買わずともボタン操作だけで手軽に白黒撮影ができる。

12月のバリ旅行では、購入間もないデジタル一眼をアレコレ試すため、水中ではカラー撮影だけだったが、陸上では白黒モードを試してみた。



結構面白い。いま思えば、もっともっと白黒撮影をすればよかったと後悔している。バリあたりだと土着伝統的な独特な被写体が多いから、そのあたりを白黒で撮れば結構面白い写真が増えたように思う。

いま思いついたのだが、白黒で撮影した風景写真なんかを用意して、ついでにベレー帽でもかぶって芸術家風を装うのも一考だ。

そんな姿で女性に近づけば、ひょんな感じでヌード撮影に持ち込めるかも知れない。

最近どうもヌード撮影ばかり考えている。おかしいのだろうか。

※お知らせ・・・・ブログの更新は明日の分から週3回に変更します。一応、月、水、金を更新日にする予定です。

2010年1月26日火曜日

おでんバンザイ

いろんな店を探検したいと思っても、季節柄、寒さに負けておでん屋さんばかり訪ねている。

先日も、銀座の「おぐ羅」へ。錫のヤカンで燗付けする白鹿が私を呼ぶ。ここのヤカン酒は単純明快に美味しい。ただの白鹿なんだが名ばかりの吟醸や純米より遙かにウマい。

お燗酒は、たいていの店で下等な扱いを受けている。もったいないことだ。まあ杜氏さんが渾身の力を注いで作る酒が純米なり吟醸だから仕方ないが、燗のつけ方によっては,フツーの日本酒だって抜群だ。日本の冬を彩る絶品だろう(大げさ)。

そんなことを力説している割には、ほんの2杯、3杯でハイボールに移行してしまうのが私のいい加減なところだ。

しめ鯖やカニのカニミソ和えなんかをつまみながら、燗酒をズズッとすすっていると店の空気感も相まって実にホッコリする。

この店、独特の空気感が良い。騒がしい若者は皆無だし、銀座っぽいオジサンやオバサンが嬉しそうに楽しんでいる。

先日は、私の横で独特な雰囲気の3人組が喧々囂々。昭和の新聞人って感じの風貌。聞き耳をたてたら案の定、某日刊紙OBの集まり。マスコミ人特有のウンチクと武勇伝を持ち回りながら楽しそうに呑んでいる。

こういう濃ゆい感じも「おぐ羅」っぽさなのかもしれない。

奇をてらった料理は無いが、小骨一本見あたらないアジフライなんかはニンマリする味。安くない価格設定、いや相当に高い価格設定に比例するかのように普通の食べ物が普通以上に美味しい。

最近サボリ気味のダイエットだが、おでん屋さんで大根とかゼンマイとか食べていれば肉を頬ばるより断然有利だ。なるべく揚げ物系以外のネタを食べていれば安心だ。

この日、調子に乗って〆の炭水化物に手を出した。といっても、雀の涙ほどの分量なので大丈夫だ(?)。この店の人気メニューの「出汁かけ茶飯」だ。

薬味はほんの少しの刻み葱だけ。あとはだし汁を茶飯とともにすするだけ。どんなに体調不良だろうとどんなに満腹だろうと「ウマい」とつぶやける味だ。

また食べたい。

2010年1月25日月曜日

コーヒー一杯の・・・

小沢民主党幹事長の土地問題をめぐってメディアはまさに大騒動。やいのやいのと連日細かい話を必死に報道しているが、はっきり言ってすべてピンボケ。論点ずれまくりだ。

ひょっとすると、あえてピンボケになるようし向けられているのかも知れない。すべての根源はただひとつの制度上の問題に尽きる。国民が騙された形の悪法を俎上に載せなければ意味はない。

政党交付金制度がそれ。

「コーヒー一杯の政治」というフレーズをご存じだろうか。1994年、世の中で政治改革の議論がスッタモンダしている時に得意になって使われた言葉だ。

当時、不正の温床と言われた企業や団体から政治家個人への献金を廃止するかわりに、国庫から政党へお金を配りましょうという話になった。

政党交付金とか政党助成金といわれる制度だが、人口ひとりにつき250円を基準にした金額が毎年ばらまかれるようになったわけだ。その際、国民に理解を得ようと言う趣旨で盛んに使われたフレーズが前記の「コーヒー一杯の政治」。

いまや、こんな制度が存在していることすら知らない人も多い。税金を納めている人なら誰もが日本の政党にお金を寄付している形だ。支持政党があってもなくても、国会での獲得議席に応じて勝手に分配されている。

違憲論争も根強く、学者の多くが違憲という見解を示しているが、司法の世界では合憲とされて存続中。

問題は、肝心の「企業団体献金の廃止」がウソだったこと。事実上は何も変わっていない。

たとえば、「貧乏商事」が「金満党の富豪太郎」という政治家に献金しようとする。富豪太郎は「金満党衆議院選挙区支部」という組織の代表でもある。政党の支部という形だが、実際上は自分が完全支配している。

企業からの寄付は、政党や政党支部であれば受け取れるため、貧乏商事は金満党支部に寄付する形を取って富豪太郎に寄付をする。なんともバカげた話。日本中でこれがごくごく普通の行為として通用している。

一方、企業団体献金を廃止する変わりに導入されるはずだった政党交付金制度は、悪びれることもなくこれまで15年以上にわたって総額5千億円以上の血税を政党に垂れ流してきた。

極端な話、キャバクラでの飲み食い、芸者さんを呼んでの料亭会合、視察名目での海外旅行だろうと「政治活動に必要」という理由が付けば使い放題のカネだ。

納税者をバカにするにもほどがあるって感じだ。交付金制度そのものが国民をあざむいた形で堂々と成り立っているだけでなく、制度上のお粗末ぶりもひどい。

政党が解党しても助成金の返還義務がないというデタラメな部分はまさに異常だ。

いま騒がれている小沢氏の問題も、結局は、こんな欠陥制度が根源にある。検察サイドはゼネコンからのヤミ献金も視野に入れているようだが、結局は旧自由党解党時に曖昧になった政党交付金の流用であれば、刑事事件にまで発展する可能性は低い。

解党時に返還義務がないというお粗末な欠陥は、事ここに及んでも是正される見込みがない。政界に自浄作用を求めるのは難しいと分かっていてもヒドい話。

1994年、海部、宮沢、細川各内閣と渡ってスッタモンダが続いた政治改革騒動は記憶に新しい。シロウトである一般国民にとっては、漠然と「浄化」に期待が集まった。

あれから15年。当時の騒動は、結局「政治家による政治家のための政治改革であり、政治改悪」でしかなかった。

残念ながらそれが歴史の評価だろう。

2010年1月22日金曜日

老後の趣味

ふと老後はどんな趣味を持とうかと考える。現役世代から見ればピンとこないが、よくよく想像してみると、無趣味な年寄りになったら毎日毎日退屈の極みだろう。

リタイア後という前提で考えると、収入面の問題もあるので、そうそう金のかかることは出来ない。

趣味の代表格といえば旅行だが、当然、それなりの快適さを求めれば金のかかる趣味の筆頭になる。

読書なんかは現役時代、寸暇を惜しんでその時間を確保するからこそ嬉しいので、時間が有り余っていたら興味を失いそうだ。

酒さえあれば、などと強がっても、そんなに呑めなくなっているはずだし、胃腸も弱っている。

女性を追っかける意欲も常識的には無くなっている。囲碁だ将棋だという世界も中年の頃から始めていないと馴染めないだろう。

絵を描くほどのセンスはないし、合唱団で歌うのも人付き合いが面倒だ。ボランティアに励むほどいい人ではない。

私の一応の趣味は水中写真撮影に酒器集め、葉巻収集、ひとり旅あたりだろうか。

老後に続けられそうなものは無い。潜水中に心筋梗塞を起しそうだし、酒器集めは経済的にキツイうえに酒量を考えると使いこなせない。

葉巻はさすがに引退したいし、ひとり旅は、きっと自殺願望老人とか徘徊老人として通報されてしまいそうだ。

強いて言えば、水中撮影をきっかけにイジっていたカメラを陸上で使えばもっともらしい趣味になりそうだ。

デジカメの進歩でフィルム代、現像代が不要になった今、それなりの機材さえあれば写真撮影は、金のかからない趣味といえそうだ。

昨年暮れにバリ島に行った際、デジタル一眼レフに慣れるために陸上でも結構な枚数のシャッターを押した。

写真撮影で厄介なのは夜景とか夕日とか逆光とか一連の“光”の扱いだろう。フィルム時代なら36枚分すべてが失敗というケースも珍しくなかった。いや、思い込んでいたデータが間違っていればフィルムを何本使おうが全部失敗したわけだ。

デジカメだとその場でチェックして露出やシャッタースピードを調整すれば、シャッターを押すこと5回、10回分のテストで、その場面に適した撮影データがカメラ上でチェックできる。

上の夕陽の写真もそんな一枚。夕陽の名所に陣取りながら適当にシャッターを押して、出来映えをチェック、シャッタースピードを変えたり、あれこれ試しているうちに綺麗に撮れた。

ホテルのエントランスも夜の雰囲気が印象的だったので、スローシャッターを何段階も試したうえで撮ってみた。

手ぶれはしているものの、手持ちで撮ったにしては上出来だ。近頃ハヤリの手ぶれ補正機能のお陰だ。

この時はキャノンのデジタル一眼入門機であるEos・kissX3にトキナーのフィッシュアイズームレンズを着けて撮影。ちっとも凄い機材ではない。それでもイメージ通りの写真が撮れるから技術革新に感謝だ。

満月の夜、ホテルのビーチサイドレストランの気配を撮った一枚も何段階か試したうえで椰子の木に寄りかかって撮影。

この時ももちろん三脚など無い。手持ちだ。木に寄りかかってカメラを固定しただけでナントカなった。一昔前のカメラで通常のISO感度のフィルムしか無ければ絶対に撮れない写真が、イマドキのカメラなら簡単に撮影できる。

老後の趣味になりそうな写真撮影だが、老後を想像すると被写体の問題はある。異国に頻繁に行くわけでもないだろうし、もっと身近な被写体に興味を持てないと続かないだろう。

かといって、公園のハトを追っかけてもすぐに飽きそうだし、女子高生のパンチラを狙えばスケベ老人として逮捕されてしまう。

何気ない日常の中に美しいものを見出すようなセンスを磨かないといけないのだろう。

そんな訓練に励むのは結構大変そうだ。

いっそのこと、どなたかヌード撮影のモデルに立候補してくれないだろうか・・・。

2010年1月21日木曜日

公私混同

オーナー経営者の感覚は、それ以外の人にはなかなか理解されにくい。会社のお金にしろ、個人的なお金にしろ消費活動には一種独特の感性がつきもの。

先日、独立したての経営者と色々話をする機会があった。まさにオーナー初心者なので、「経費」の概念がよく分かっていない。

「会社のカネで車なんか買ってもいいんですか?」、「会社のカネで人間ドックやってもいいんですか?」。たとえて言うならそんな感じ。

勤め人感覚だと仕方ないのだろうが、車に限らず、家だって会社で買っても何も問題ない。社宅に関する税務上の規定がアレコレ用意されている以上、逆に安心だ。

経営判断として、そういう投資行動が可能ならどんどん実行すればいい。

オーナー企業では、経営者の「公私混同」がとかく問題にされがちだ。創業オーナー社長などは、もともと会社も自分も一心同体。感覚的に区別をつけられないのも無理はない。

オーナー経営者ではないジャンルの人から見れば、公私混同は単純に「悪」と映るのだろうが、そんな簡単な話ではない。

税金の専門紙、それもオーナー経営者側の目線を意識して編集しているわが社の紙面で、その昔、画期的な特集を組んだことがあった。ズバリ「公私混同こそ中小企業のパワー」。

税務署からすれば、目を剥きそうなタイトルだが、かなりの数の賛同の声が寄せられた。個人保証がつきものであり、まさに命というリスクまで背負わされているオーナー経営者の実像だ。

西欧諸国と違って、儲かっていても慣習的に破格の役員報酬を取ることが少なかった日本の経営者は、いわゆるフリンジベネフィットと呼ばれる「会社経費での経済的利益」を厚くしていった経緯がある。

新入社員と比べてたかだか5倍程度の年収で、すべてのリスクを負っている経営者は珍しくない。考えてみれば変な話ではある。

近頃やたらと勤め人保護の思想が手厚くなってきた労働関係法規にしても、経営者はカヤの外だし、いざというときのリスクの大きさを考えると従業員と年収を比較すること自体がナンセンスだろう。

必然的にゴルフとか車は社用が前提になり、福利厚生施設としての別荘だとか社長交際費だとかが充実してくる。

当然、「経済的利益」に敏感な課税当局は、一連の社長関連費用に睨みをきかす。結果、税務上の細かい取扱いがアレコレ誕生することになった。

逆にいえば、税務上の規定等々に違反しない範囲であれば、公私混同的行為は当然の行為とみなされているという見方も出来る。

少なくとも、税務署側に抗弁できる客観的な論拠なり資料などの証拠があれば、公私混同と指摘されそうな経費処理であってもビクビクする必要はない。堂々と経費処理すれば良い。

今度の税制改正でもスッタモンダしていた「特殊支配同族会社の役員給与の損金不算入」という制度がある。内容は省くが、この文言だけでも差別的だ。言葉の字面を見るだけで、いかに課税サイドがオーナー経営者を色メガネで見ているかが分かる。

色メガネ規制がキッチリあるのならそれはそれで逆に分かりやすい。規制に抵触しない範囲の行為やそれ以外のことなら堂々としていればいいわけだ。

公私混同的経費については、わが社の新聞でも注意点とかポイントを特集することが多い。あくまで経営者的感覚の対極にいる税務職員を納得させるためにはそれなりの準備は大事。逆にポイントさえ抑えれば無用な紛争も避けられるわけだ。

経営者向けの雑誌とか新聞は数多い。もっともらしい企画が満載だが、会社の財布と個人の財布という「二つの財布」の使い分けとか勘どころを掘り下げた企画を見ることは無い。担当編集者の目線が経営者的でない以上、当然そういう角度の媒体を作ることは出来ないわけだ。

富裕層向けのメディアも同様。高級嗜好品の消費行動を煽るような企画が満載だが、その根源である経営者の「二つの財布」までは発想が及んでいない。

5千万円の高級車を前にして、オーナー経営者が考えることは、「今期の減価償却はいくらになるのか、それによって節税効果がどのくらいなのか」。意外にそんな観点だけで決済するか否かを決めている。

2010年1月20日水曜日

エロを考える

とある商談の最中、ひょんなことから「エロ」について深く深く議論が進んだ。

成功した人、勢いのある人の多くがストレートにエロ全開だという話題で盛り上がった。

英雄色を好むといわれるように、バイタリティーとかエネルギーとかそういう活力って、結局そっち方面の欲求と比例するのだろう。

男子たるもの、エロ追求は一種の使命みたいなものだ。そうは言っても「エロの出し方」というか「エロの見せ方」は人それぞれだ。

フェロモンマシーンのようにまるっきりエロモード全開を隠さない人もいれば、表面的にはスケベなんか興味ないみたいなスカした人もいる。

勢いがあって、自信にみなぎっているような人は案外、「ストレートエロ」が多いような気がする。

そういう意味で「スカしたエロ隠し野郎」はダメな男に多いのだろうか。

私自身、東京人の悪い癖もあって、どちらかといえばストレートエロを展開するにはためらいがある。スカシ系だ。

一応、エロ話なんかは沢山引き出しがあるので、座を盛り上げるためにはいくらでもご披露つかまつる。それも実例ばかりだ。創作ではない。

そんなこと自慢してもしょうがないのだが、エロ話が得意だったとしても、そういう状況にたどり着くまでの実際の行動がなかなか難しい。ストレートエロとまでは言えない。ムッツリ系だろう。

時と場所を省みずに手を出したり、舌を伸ばしたりするようなストレートなスケベ太郎にはなりきれない。

気取っちゃっても何もトクは無いのに、なんか気取ったり臆病になる。紳士的という曖昧な言葉でゴマカシながら悶々としている。

アホみたいだ。女性から見れば実に御しやすいタイプだろう。

敏腕営業マンはナンパするのが上手という話がある。逆にナンパ上手だった若者は敏腕営業マンになるという話もよく聞く。ナンパで鍛えた雰囲気作り、話術、空気の読み方、押しの強さが営業の世界でモノをいうわけだ。

私の旧友にも学生時代、ナンパがうまかった男がいる。今彼は営業マンとして頻繁にヘッドハンティングされるほどの人物になっている。かつてグループで旅行した際、私が寝ている隙に私の連れを土下座までして食ってしまった男だ。

そのぐらいの人間じゃないと敏腕にはなれないのだろう。気付かなかった私も私だ。

そういう意味では、若い頃、ナンパをバリバリしてこなかった私は全然ダメだ。かといって、この歳になって路上で突然ナンパ修行をするのも無理だ。

「ストレートエロ」を発揮するように心を入れ替えてみようか。それが出来たらきっと壁だとか殻を破った違う自分が見えてくるのかも知れない。そんな自分を見てみたい。

先日大昔の映画を暇つぶしに見た。森繁の社長シリーズだ。森繁扮する社長が草笛光子演じるバーのマダムとアーだのコーだのやっているのだが、結局、口先だけの男はモテないという趣旨の話になる。

森繁社長もいいところまで行くのだが、肝心なところで意気地がなかったりする。森繁社長の敵対役の商事会社の重役はストレートエロ。ちょっとしたチャンスも逃さない感じ。

善し悪しは別にして、単純にスマートに見えるのはストレートエロ重役の方で、イジイジしている森繁社長はちっとも格好良くない。愛すべきキャラクターではあるが・・。

エロに対して気取ってしまうと、結局、滑稽な路線に収まってしまうというのが教訓だろう。

いい人に見られたい、ガツガツした男だと思われたくない、スケベ野郎だと思われたくない、、、等々、ついついそんな感情が言動を抑制する。考えてみればバカみたいだ。

いい人なんかじゃない、ガツガツしてまっせ、スケベで当然だい!などと堂々と言いながら頑張るほうが、ある意味スマートなんだろう。

今年はそういう点を意識して生きていくことにしよう。